間もなく平成が終わり新元号『令和』の時代を迎える日本。
ここでは、去りゆく平成の時代(1989年-2019年)のフットボールシーンで印象に残ったユニフォームを選出。やや筆者の主観的な内容となっているが、9つのユニフォームで平成を振り返ってみよう。
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Italy 1993-94
イタリア代表/1993-94/Diadora/ホーム
1994年のワールドカップで着用したユニフォーム。当時はユニフォームにメーカー名を掲出してなかった。見た目はシンプルながら、シャツ全体にエンブレムの透かしプリントが入る凝った作りで、現在でも人気の高いキットだ。
【平成6年】ブラジル代表との94年W杯決勝戦は、120分間をスコアレスで終えてPK戦に突入。そしてロベルト・バッジョの蹴ったボールがクロスバーの上を越えた瞬間、ブラジルの優勝が決まった。PK直後のバッジョのうなだれる姿は、皮肉にもサッカー史における名シーンに。
Manchester United 1996-98
マンチェスター・ユナイテッド/1996-98/Umbro/ホーム
マンチェスターUでも屈指の人気を誇るこのユニフォーム。前面にはエンブレムの透かしプリントと“THEATRE OF DREAMS”の文字をプリントする。エリック・カントナの“襟立て”の着こなしも懐かしい。
【平成9年】クラブ伝統の背番号7を付けていたカントナは、96-97シーズンを最後に現役を引退。97-98シーズンからその番号を受け継いだのは、当時22歳だったデイヴィッド・ベッカムだった。
Perugia 1998-99
ペルージャ/1998-99/Galex/ホーム
赤を基調としたユニフォームに、銀のグリフォン(鷲の翼の上半身と、ライオンの下半身をもつ伝説上の生物)が印象的なユニフォーム。中田英寿の加入によってペルージャの名は一躍日本中に知れ渡った。
【平成10年】中田がスタメンを飾った98-99シーズンの開幕戦。試合は3-4で敗れたが、日本人選手がユヴェントスを相手に2ゴールを挙げるとは、いったい誰が想像しただろうか。後の日本人選手の欧州移籍への道を切り開く序章的な一戦だった。
Yugoslavia 2000-01
ユーゴスラヴィア代表/adidas/2000-01/ホーム
2000年の欧州選手権(ユーロ2000)に向けて投入されたこのキットは、ユーゴスラヴィアらしい鮮やかなブルーが特徴。後にセルビア・モンテネグロへ国名変更となるため、この大会がユーゴスラヴィアとして最後の大舞台となった。
【平成12年】ユーロ2000の出場メンバーには、当時名古屋グランパスに所属していたドラガン・ストイコヴィッチも名を連ねていた。グループステージ第2戦のノルウェー代表戦では、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれている。
Real Madrid 2001-02 CL
レアル・マドリー/2001-02/adidas/チャンピオンズリーグ/ホーム
クラブ創設100周年記念にあたる2001-02シーズンのCLモデル。胸スポンサーは入らず、白を基調に3本線のみというシンプルなデザインが人気を博した。左袖には100周年記念ロゴが付く。
【平成14年】これまでに数多の名勝負を生んだチャンピオンズリーグだが、ある瞬間を切り取るとしたら、このシーンを選ぶ人も多いのではないだろうか。レヴァークーゼンとのCL決勝戦。ジネディーヌ・ジダンが放ったボレーシュートがゴールネットを突き刺し、チームを2シーズンぶりの優勝に導いた。
England 2001-02
イングランド代表/Umbro/2001-02/ホーム
白を基調に、セントジョージ・クロスを思わせる赤いラインがシンプルながら格好良いユニフォーム。2002年の日韓ワールドカップモデルとしても知られている。
【平成14年】日韓W杯当時のベッカム人気はとにかく凄まじく、ヘアスタイルを真似る人も続出。そしてこのユニフォームも異常なまでの人気で、常に品薄・品切れ状態だった。並行輸入品を含めると一体どれほど売れたのか、皆目見当がつかない。
Juventus 2006-07
ユヴェントス/2006-07/Nike/ホーム
ユヴェントスのセリエB時代のユニフォーム。細めの白黒ストライプに、ちょっと大きめの襟が付いたクラシックなスタイル。歴代の名キットと比較しても遜色のないデザインだ。
【平成18-19年】イタリアサッカー界が大激震となったカルチョ・スキャンダル。ユヴェントスには厳しい裁定が下されたが、スクデット剥奪以上に衝撃だったのがセリエB降格処分だ。だが、多くの主力を放出するもリーグを制覇し、1年でセリエAに舞い戻った。
Borussia Dortmund 2010-11
ボルシア・ドルトムント/2010-11/Kappa/ホーム
香川真司の第1期ドルトムント時代最初のユニフォームは、水平ピンストライプが特徴的なデザインだ。ヤング・ドルトムントの躍進に現地でも人気が高まり品薄状態に。日本への入荷は簡単ではなかった。
【平成22-23年】2011年のアジアカップでの負傷によりシーズン後半を棒に振ったが、それを差し引いても大きなインパクトを残した。その始まりは2010年9月のシャルケとのダービーで叩き込んだ、センセーショナルな2ゴールだろう。
Japan 2018-19
日本代表/2018-19/adidas/ホーム
「勝ち色」と呼ばれる藍色と、「刺し子柄」の模様が特徴のロシアW杯モデル。発表当初は賛否両論だったデザインだが、W杯ベルギー戦の激闘でイメージアップに成功したユニフォームだ。
【平成30年】ドーハ、マイアミ、ジョホールバル、W杯初出場、日韓W杯。平成を代表する日本代表ユニフォームのキーワードは幾つも存在するが、最もW杯ベスト8に接近した(そして“偉大なキャプテン”長谷部誠の代表最後となった)ベルギー戦を考慮し、この2018年モデルを選出となった。