『よたんぼう』桂歌蔵著 磨く人生、やり過ごす人生

 ここで語られるのは、ひとりの噺家の成長期である。主人公の「おれ」は40代中盤。大ブレイクするでも、この道に絶望するでもない、どっちつかずの日々を送る彼のもとに、師匠の死の報せが舞い込む。そこで一気に、彼の記憶は、師匠に入門した15歳の頃へと飛ぶ。

 和歌山の片田舎で、女手一つで育てられながら、不良仲間とつるむ日々。母やクラスメイトからの愛情や友情をうまく受け取れず、けれど旅興行で和歌山へやってきた師匠・鏡生の落語を聞いて、魅せられる。中学卒業の翌日から、東京に出て、内弟子になることを決める。

 無我夢中で家事をこなし、噺を覚えるのでいっぱいいっぱいになり、今日を、明日を生きることで必死な前座時代。けれど、経験を重ね、二ツ目に昇進する頃には、あっけなく慢心が彼の胸に芽生える。噺家稼業は長距離走だ。定年はない。焦ることはない、じいさんになる頃に勝ってりゃいいんだと先輩に言われ、うっかりとそれに乗じてしまう主人公。

 幸せな未来ってなんだろう、という問いが浮かぶ。毎日毎日研鑽を重ね、ストイックに生きる日々を選ぶか、その日暮らしで人生をやり過ごす日々を選ぶか。どちらも苦しい。じゃあどうしたら? 主人公は自問する。けれど時間は待ってくれず、明日はすんなり今日になる。とりあえず、今日をしのごう。そんなふうにして彼の日々は過ぎていく。

 彼の困難は、「どちらにもつけない」ことにある。その日暮らしの先輩を見ると、嫌悪する自分がいる。でも、ストイックな道にそぐわない自分を認めると、先輩の甘い言葉に安らぐ自分がいる。一部の超人をのぞいては、このどっちつかず感に、身に覚えがある者が多かろうと思う。そう、普通の人であること。超人にまぶしく憧れながら、でも、自分は普通の人だと思い知る日々。それが、修行だ。

 その痛みに耐えかねて、主人公はテレビ番組の出演を決める。風俗店のレポーターである。身体を張って、ローションまみれになりながら、女の子たちを相手にふざけまくる日々。それを知った師匠から、破門を言い渡される主人公。

 人を奮い立たせるのは、周囲の「ああしろ」とか「こうしろ」ではないことを、彼の足跡は示している。流れに流れてたどり着いたインドの地で、彼は自分の内から湧き上がる「笑わせたい」という衝動に突き動かされ、一度は捨てた落語の、英訳上演に取り組むのだ。師匠や兄弟子がどんなに小言を重ねても、主人公はきっと、こうはならなかった。

 「流れに逆らわず、けど泳ぐことをやめちゃいけない。それが人生」

 旅先でできた友が、主人公にかけた言葉だ。そこから描かれる復活劇は、決して華やかではない。拒まれ、自ら背を向けたはずの原点との再会。ついに知らされる、衝撃の事実。主人公はそれを受けて、迷うし、蹴つまずくし、立ちすくむ。しかし、彼を取り巻くすべてが、愛に満ちている。伸び悩む者が、一歩前へと進む方法。それは、すでに受け取っている愛に気づくことである。

(KADOKAWA 1600円+税)=小川志津子

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