いのち ~Life is beautiful~ 限りある命を 生きるということ

心の琴線にふれる「お説法」

「死」、そして「いのち」の大切さ伝え未来を担う子どもたちを包み込む

本当の「死」知らない子どもたち

井ノ口:今の世の中は、日常の中から「死」を意識するものが排除され、子どもたちが死を学ぶ機会が減少しています。そのためか若者が安易に命を絶ってしまったり、未成年の凶悪犯罪が増えたりして「いのち」の尊厳が脅かされているように感じます。

住職:そうですね。流行りのゲームでは、オンとオフがあり、そしてリセットまであります。死んでもスイッチ一つで簡単に生き返ってしまうという“ゲーム脳”の影響もあるのかもしれませんね。

株式会社 クリスタル代表取締役 井ノ口 章善 さん

井ノ口:お葬式は「いのち」について考えるよい機会にもなりますが、最近ではお孫さんが参列されないケースが増えています。

住職:僧侶はお葬式でそこに参列された人々へお説法を施します。一人でも多くの人たちに「死」と向き合ってもらい、「いのち」の尊さを伝えることで「このお葬式に来てよかった」と思ってもらうことが大切なのです。しかし、近年は僧侶もこの努力を怠っているのではないかと懸念しています。

浄土真宗 本願寺派 佛国寺 第9代住職 藤野 智誠 さん 愛荘町教育委員会 教育長
心に響くお説法 日本人の宗教的DNAを呼び覚ます

住職:私は40年近く中学校の教職に就いていましたが、子どもたちにはよく「いのち」についての話をしました。自分を生んでくれた両親、その両親を生んでくれた祖父母、そして何百年、何千年と遡っていくと膨大な数の先祖がおり、その中の誰か一人でも欠けていたら、あなたは生まれていなかったことになると。それほどあなたの「いのち」は尊い存在であるのだということを。反抗期であり、多感な中学生ですが、それらの教育で何かを感じとっていました。

 今も寺に来られた方々へお釈迦様の教えを説くと、子どもも年配者も皆うなづいてくれます。共感を得られるのは、「いのち」に対する日本人の共通したとらえ方が存在するからだと思います。教員や僧侶たちは、普段は隠れているそれら心の中の日本人のDNAを呼び覚まし、「いのち」の大切さを伝え、夢や志を持って社会に貢献するような人間教育をしていかねばなりません。

井ノ口:私自身、お説法を聞かせていただくことで、この仕事に携わる前は考えもしなかった「いのち」について心を動かされることがあります。子どもたちがお葬式に参列し、学校の科目では決して習うことのできないお説法を聞くことで、改めて「いのち」の大切さについて学んでもらえたらと思います。

住職:寺にお説法を聞きに来られるのは年配者が多いです。自分の子どもを育てているときは時間がなかったかもしれませんが、孫と接する時間はゆったりと流れています。心に響いた仏教の「教え」、そして長年の豊かな経験を生かした「教え」を是非とも孫に伝えてもらいたいですね。それが祖父母の果たすべき大切な役割の一つではないでしょうか。

佛国寺の法話では、「この瞬間が少しでも記憶に残れば」と、内容を書にして傾聴者にお渡ししているとのこと。
子どもたちへは「聞く」「待つ」「譲る」 100%を求めないこと

井ノ口:ご住職は長年の教育者としてのご経験があり、また現在は愛荘町教育委員会の教育長を務められ、教育に通じておられます。子どもたちとの関わりで大切なこととは。

住職:中学校の校長をしていた頃は、常に子どもたちに問いかけていました。やんちゃな子、いじめられそうな子たちを見つけては、「おはよう」とあいさつをし、「どうしたんや」と聞いて回っていました。「聞く」ことで子どもは自分で考え、答えを見つけるようになります。そして、気にかけている人間がいることを実感するのです。

 教え諭しても、一瞬しか直らないかもしれません。それでも「まあ、いいか」と考えるのです。たとえ100%で返ってこなくても、呼び戻せば戻ってくるタネ(正しい心)があることがわかればそれで十分。

できていないことを問い詰めてばかりいると、人と人との関係は必ず壊れます。でも、「まだ、頑張っている途中なんだ」と考えれば、対話は変わってきます。一つでもできていることを見つけ、それを褒める方がはるかに前進するものなのです。上に立つ者の見方で学校が変わるということを私は経験から実感しています。

井ノ口:なるほど。それは会社組織でも、また人と人との関わりすべてにおいても言えることかもしれませんね。貴重なお話をありがとうございました。


【佛国寺・所在地】東近江市種町876

取材:2016年6月

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