いのち ~Life is beautiful~ 限りある命を 生きるということ

「尊敬」と「感謝」の念を再び

仏法に学ぶ、生き方のヒント
 できるのは門戸を開け、発信し続けること

忘れられつつある“いのち”の尊厳 敬いのこころ

井ノ口:近頃は仏壇を祀らないおうちも増えてきているようです。当社でもご親族が参列されないお葬式に出会うことがあり、お墓がなくてもいいとおっしゃる方もおられます。家庭でのお仏壇や仏事のことについて、ご住職にお話をお聞きしたいと思います。

住職:昔の子どもは、親や祖父母から“いのち”の尊さや年長者を敬う心などを教わったものです。今は親や祖父母などが、以前に比べ威厳を示さなくなってきているのではないでしょうか。一目を置かれた存在のその人たちは、家族に何か事が起きた場合など、いざという時に頼りにされ、経験をもとにした正しい目で物事を判断し、助言するという大切な役割を担っていました。

株式会社 クリスタル 代表取締役 井ノ口 章善 さん

井ノ口:育児放棄や幼児虐待などの報道も多い世の中です。子どもを導いていかねばならない親自身が、「感謝の念」や「敬いの心」を教わらずに大人になってきている場合も多いのではないでしょうか。私が子どもの頃は、お寺でもそのようなことを教わる日曜学校がありました。

住職:浄土真宗などのご寺院では、今でも日曜学校を行っているところもありますね。日曜学校は、家庭の中だけで教えることができない「感謝の念」や「敬いの心」を育てるためにも、大切な役割を果たしていると思います。また、子どもだけでなく、大人にとっても、そのような場所は必要なのではないでしょうか。当寺でも、お檀家さまは勿論のこと、一般の方々にも、初地蔵や花まつりの法要、また月例の坐禅会や写経会など、どなたでも気軽にお寺に出入りできるようお寺を開いています。これらの参加者は30~40代の若い方も多く、子どもたちもいます。

 仏教の教えは“いのち”の尊さとともに、人と人とのつながりや困難に出会った時の心の持ち方など、私たちが「よりよく生きること」へのヒントをたくさん示してくださっています。肝心なときに心を救ってもらえる仏法を知ることはとても大切なことだと思います。これからも門戸を開け、より多くの人たちに仏教の教えにふれる機会をつくっていくことが必要だと思っています。

曹洞宗 寶珠山 地福寺 第32代住職 安田 賢悟 さん

井ノ口:セレモニーホールも同じです。地域の方々に役に立つようなイベントや感謝祭などを催すことで、身近なコミュニティの場としてご利用いただいています。その過程で、皆さまが少しでも尊い“いのち”について向き合い、改めて考えていただけるきっかけになればと願っています。

“捨て続けること”で新たな自分を広げる

住職:威厳を示すお年寄りがおられる家庭や、お仏壇をおいてある家など、絶対的なものが家の中にあると、皆が物事に対して一歩引いて自制することができます。「引く」ということが大事なのです。曹洞宗の教えの根幹である坐禅も、息を吐き切ることから始まります。つまり捨てることから始まるのです。自分の器がいつも自分だけで満たされていては、どんなに良い教えに出会っても、入る余地がありません。それではさまざまな気づきや人としての成長を阻むことになります。気づきや学びの機会は至る所にあります。さまざまな声に耳目を傾け、受け入れる余裕をもつこと。それが私たちの生活にどれほど多くの救いをもたらすかということを、知っていただきたいと思います。

井ノ口:なるほど。積み上げたものを捨てる勇気も必要、それでこそ心にゆとりが生まれ、人としても成長していけるということですね。

【寶珠山 地福寺・所在地】東近江市佐野町894 ご本尊は延命地蔵菩薩。約600年もの歴史を経て地域の信仰を集めてきました。
感謝の気持ちを善行で返す仏道修行

住職:見守られ、生かされているご恩返しとして、どなたでもできる「無財の七施」という布施(仏道修行)をご紹介します。

無財の七施

  • 和顔施(わがんせ):どんな時も和やかな顔を、微笑を絶やさないこと。
  • 愛語施(あいごせ):愛のある言葉、慈しみのある言葉がけを忘れないこと。
  • 心施(しんせ):相手への思いやり、相手の身になって気配りをすること。
  • 慈顔施(じがんせ):慈悲の眼を持ち、慈しみの眼を持って相手を見守ること。
  • 捨身施(しゃじんせ):自分の身でできることがあればすすんでさせてもらうこと。
  • 房舎施(ぼうしゃせ):親切なおもてなし。また、居場所のない人に場所を提供すること。
  • 床座施(しょうざせ):座っている場所を変わってあげること。座席だけでなく、全てのものを分かち合い譲り合う心のこと。

 お寺に来られた方々に、この七つの布施行をお話ししています。また寺報にも載せたところ、そこの部分を切り取り、財布に入れて日頃から心がけているという方がいらっしゃいました。布施行はどなたにでもできる仏道修行です。一日の終わりに、いくつできたか早速今日から考えていただけたらと思います。


取材:2016年3月

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