【世界から】ミャンマー、民主化が水かけ祭りにもたらした変化とは

祭りが最も派手だったころの大型水かけステージ=2014年4月、板坂真季撮影

 「水かけ祭り」開催中の4日間に、ミャンマー全土で亡くなった人の数が288人。このうち、けんかなど祭りと直接関係のある死者は29人だった。これを多いと見るか少ないと見るか。実は昨年の同期間の死者数は642人なので、ミャンマー的には「激減」といえる。(死者数出典:「イラワジ誌」電子版)

 水かけ祭りは、ミャンマーやタイを始めとする上座部仏教国で行われている祭りだ。これらの国では4月半ばに新年が始まるが、本来は仏像をお清めしたり、お互いに水をかけ合って旧年のけがれを洗い落とそうという趣旨だったといわれている。

▼休暇期間が半分に

 ミャンマーにおける今年の元日は4月17日。一部の地域を除き、4月13~16日までの4日間が水かけ祭りで、元日の17日を含めた5日間が連続休暇になる。実はこの休暇は、2015年までは連続10日間、曜日の並びによっては11日間もあった。しかし、アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が政権をとった後の17年、長期にわたる休暇は経済停滞を招くとして、以前の5日間へ戻した。

 06年に軍政が休暇を5日から10日へと倍増したのは、ヤンゴンからネーピードーへ遷都した影響といわれている。国家公務員の多くが家族をヤンゴンへ残しての単身赴任となったため、帰省期間を延ばし不満を少しでもやわらげようとしたのだと。

 休暇期間だけではない。水かけ祭りの様相も、現政権になってがらりと変わった。

祭り中は子どもであっても、大人に水をかけ放題できる=19年4月13日、板坂真季撮影

 以前は目抜き通りはじめ市内数ヶ所に、企業がスポンサーになった大掛かりなステージが立ち並んでいた。入場券を買って入ると、備え付けのホースで道行く車や人に放水することができ、どのステージでも大音響での音楽ライブや、きわどい露出度のタイ人ダンサーたちのショーなどが繰り広げられ、通り全体が大狂乱の巨大クラブと化していた。

 ところが、ヤンゴン市は16年にいくつかの大通りを除いて商用ステージを禁止にした。年を追うごとに禁止エリアは広がり、今年はついに例外的な数カ所を除いて、原則「全面禁止」となった。こうした縮小措置が、祭り期間中の死者数の減少を実現したのだろう。

▼祭り縮小も不満がないわけは

 祭りの縮小は、華やかさを満喫していた若者たちの不興を買うのではと危ぶまれたが、意外や意外、けっこう好評のようだ。

 大規模ステージがなくなった分、各商店や会社が店舗やオフィスの前に小さな「水まきスペース」を設置し、いわば「おらが水まきステージ」を楽しむ人が増えたのだ。こうした水かけスポットを歩いて巡ることを「ランシャウティンジャン(歩く水かけ祭り)」と呼び、ここ数年のトレンドとなっている。

 水かけ祭の規模や休暇期間のカットは、市民と新政権がともに「アウン・サン・スー・チーさんの言うことは何でも正しい」と信じる、ある意味で〝ハネムーン〟状態にある時だったからすんなり受け入れられたのかと思っていたが、そうでもないらしい。「これが本来のミャンマーの水かけ祭りで、あるべき姿」と言う若者が多い。

 軍政時代に水かけ祭りが商業化してどんどん派手になっていったことについては「政権への若者の不満を年に1回の祭りで発散させるためだった」という説がある。これが正しいとすれば、民主化が成った今は発散すべき爆発寸前のいらだちを若者たちが抱えていないということなのかもしれない。(ヤンゴン在住ジャーナリスト、板坂真季=共同通信特約)

商店の従業員たちによる「水かけスペース」=19年4月16日、板坂真季撮影

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