ヤクルト2年目村上は球団第107代の4番打者 出るか4番“初安打”“初本塁打”

ヤクルト・村上宗隆【写真:荒川祐史】

5月12日の巨人戦で4番に起用された高卒2年目の村上

 ヤクルトの2年目、村上宗隆は5月12日の東京ドーム、巨人戦で初めて4番で先発した。主軸のバレンティンが故障で離脱する中、今季すでに10本塁打を打った打撃を買われての抜擢だった。

 1950年に国鉄スワローズとして創設されたヤクルトは、今季で70シーズン目を迎えるが、スタメンの4番打者は、村上が107代目だ。

 初代の4番打者は1950年の開幕戦である3月10日、下関球場の大洋(現DeNA)戦に4番中堅でスタメン出場した久保吾一。専修大学、明電舎を経て入団した26歳だった。久保はプロのキャリアで本塁打を記録しないままに引退した。

 2000年2月2日生まれの村上は、4番に座った時点で19歳3か月と10日、これは、町田行彦(12代 1934年3月18日生まれ、初4番・1953年7月12日)の19歳3か月と25日を上回る球団史上最年少記録。10代の4番はこの2人だけだ。町田は長野北高校を卒業して2年目。1955年には31本塁打で本塁打王になった。これはスワローズ史上初めての打撃タイトルだった。

スワローズ4番での最多ホームランはバレンティンの172本

 以後の歴代4番打者の中には、飯田徳治(21代 初4番1957年3月30日)、豊田泰光(31代目 初4番1963年4月13日)、若松勉(56代 初4番1972年10月7日)、大杉勝男(61代 初4番1975年4月5日)、古田敦也(78代 初4番1992年7月9日)と、のちに野球殿堂入りする大選手も5人いる。飯田(南海から)、豊田(西鉄から)、大杉(日本ハムから)など他球団から移籍して中軸に座った選手が多いのが、この球団の特徴だ。

スワローズ4番での本塁打5傑

1 W・バレンティン172本(101代 初4番2011年5月23日)
2 R・ペタジーニ148本(90代 初4番1999年4月2日)
3 広沢克己126本(70代 初4番1985年10月24日)
4 A・ラミレス115本(91代 初4番2001年10月8日)
5 大杉勝男111本(61代 初4番1975年4月5日)

 ヤクルトの外国人4番打者は、1963年6月の宮本敏雄(エンディ宮本32代)が最初。宮本は巨人から移籍した日系アメリカ人だが、MLB経由では1966年4月のルー・ジャクソン(37代)が最初。以後、34人のアメリカ経由の外国人打者が4番に座ったが、現役のバレンティンが史上最多本塁打。NPB記録の60本塁打を記録した2013年も、4番で58本塁打を打っている。バレンティンは打点も446で1位。安打数は広沢克己が695本で1位。4位のラミレスは現DeNA監督だ。

 初4番の12日、村上宗隆は四球、三振、三振、三振で安打も本塁打も出なかった。上半身のコンディション不良で離脱中のバレンティンは、17日にも復帰すると言われている。そうなれば、村上はまた5番以下に逆戻りすることになる。19歳の村上は焦る必要は全くないが、残された試合で、何とか4番初安打、初本塁打を記録してもらいたいものだ。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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