裁判員制度10年

 若い頃はピンとこなかったと思うが、今は味わい深い。江戸の昔の俗謡にある。〈鮎(あゆ)は瀬につく/鳥ゃ(鳥は)木にとまる/人は情けの下に住む〉▲人情と道理を合わせて「情理」と言う。市民感覚、社会通念に照らしてじっくり考え、時に情けもかける裁判員と、法にのっとり、道理を重んじる裁判官とで、情理を尽くして判断をする。それが制度の在り方だろう。裁判員制度の開始から今月で10年になる▲その間に、刑罰の程度を決めること、つまり「量刑」の幅が広がったという。最高裁のまとめでは、裁判員制度になってから性犯罪をより厳しく処する一方、放火や殺人で執行猶予の付く割合は上がった▲許しがたい犯罪には厳罰を科する。時として被告の境遇に思いを致し、事情を酌む。情けの下に住む人々、裁判員一人一人が務めを果たした表れだろう▲裁判員の候補者に選ばれても辞退する人の割合は増えている。関心の低下などが理由らしいが、裁判員裁判の対象が殺人や放火といった重大犯罪であるのと無縁ではあるまい。人に重い刑罰を下すかも-と二の足を踏むのも自然な感情に思える▲辞書を開けば「刃傷」と「人情」は並んでいるが、重大な犯罪を裁くその場に、情けと市民感覚を携える人々が居並ぶべきかどうか。制度を見つめる節目でもある。(徹)

© 株式会社長崎新聞社