父親の性的虐待は、なぜ無罪になったのか

 逃げ場ない被害者の心理、司法はもっと知って (1)

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インタビューに答える東小雪さん

 実の父親から性的虐待を受け続けた少女らが、勇気を出して被害を訴えたにもかかわらず、父親が無罪になる―。3月26日の名古屋地裁岡崎支部の判決は大きな波紋を広げた。なぜ無罪なのか。抗議の声は大きくなっている。「すごいショックを受けた」。同じような性的虐待を受けた被害者らも声を上げた。インターネット上でも瞬く間に裁判所への怒りや疑問の声が駆け巡った。3月には他にも性犯罪で無罪判決が相次いだ。被害者や専門家に実情を聞いていくと、日本の司法にある性暴力被害の実態に対する理解の乏しさが見えてくる。

東京都内で開かれた「フラワーデモ」と名付けられた抗議集会

 ▽拒食、視野狭窄…心も体も悲鳴

 疑問の声が相次いだ名古屋地裁岡崎支部の判決をみてみよう。

 当時19歳の娘は中学2年のころから性的虐待を受けていた。父親は2017年8、9月の性交について準強制性交罪に問われた。判決は、娘が同意していなかったことを認めた一方で「抵抗を続けるなどして回避できた時期もある。事件前の父親の暴行は恐怖心を抱かせるほどではなかった。抵抗(抗拒)不能の状態だったとは言えない」として無罪を言い渡した。検察側は判決を不服として控訴している。
 
 LGBTアクティビストで、自身も父親から性的虐待を受けた経験を持つ東(ひがし)小雪さん(34)は、心が大きく乱れた。特に強い憤りを覚えたのは「抵抗不能だったとは言えない」という判決理由だ。

 東さんは3歳から中学生まで被害を受けた。しかし、当時の被害の記憶はずっと失われていた。そのせいか、家族仲は良いと思っていた。家族から離れる発想もなかった。「父と母に嫌われたら、雨に濡れておなかがすいて死んでしまうと思っていた」

 一方で、心身はずっと悲鳴を上げていた。小学生の時に視野狭窄や拒食になり、不登校に。成長してからもリストカットや薬の過剰摂取を繰り返した。

 ▽自己肯定感、ゼロ

 長年苦しめられた不調の原因が性的虐待にあると気づいたのは20代後半になってから。カウンセリングを受けていたときのことだ。「性的虐待を受けていたんじゃない?」。とっさに「お父さんは絶対にそんなことしません」という言葉が出た。

 カウンセラーが「虐待をするのはお父様に限りませんよ」と話すと、東さんは大きく動揺した。この時の心境を「しまった。言ってはいけないことを言ってしまったと、記憶がないはずのになぜか思った」と振り返る。

 被害の記憶がずっとなかったのは、医学的に「解離」と言われる状態だったからだろう。解離とは、つらい体験を自分から切り離そうとするために起こる一種の防衛反応と考えられている。

 カウンセリングで記憶のふたが開くと、東さんの頭の中には、風呂場での父親の性的虐待を示す「画像」がたくさんあった。自分を「おぞましい過去を抱えた、インクの染みみたいな存在」と思った。「自己肯定感はゼロでした」

 一度だけカウンセリングに同席した母親は、被害の事実を受け入れてはくれなかった。何度もフラッシュバックに襲われながら、信頼する当時のパートナーと友人、カウンセラーに伴走してもらい、乗り越えてきた。

 被害の公表を決めたのは「なかったこと」にしたくないからだ。秘密にしておくことは、加害者である父の片棒を担いでしまう気がした。

記者会見する、性暴力被害当事者らの団体「Spring」代表理事の山本潤さんら

 ▽被害者に無理強いる判決

 東さんにとって、岡崎支部の判決は到底受け入れられないものだ。「あり得ない。生きるよすがになっている親への抵抗は難しい。暴力に支配され、それが当たり前になっていた親子関係で、どうやって抵抗すれば良かったと言うのか」

 被害当事者らで作る団体「Spring」代表理事の山本潤さんも、13歳から7年にわたり父親から性的虐待を受けた。13日、東京都内で記者会見し、「子どもの時から性被害を受け、抵抗し続けることが難しい状況になっている人に対して、考慮されていない」と判決を批判した。「父からそういうことをされること自体がすごく驚きで、拒めない」と話した。
 
 社会福祉士で、子どもの権利問題に詳しい寺町東子(てらまち・とうこ)弁護士は「被害者は、長年の繰り返される被害によって、加害行為にならされ、抵抗しても無駄という学習性無力に陥る」と説明し、裁判官の理解不足を指摘する。「長い被害のうち、一時点だけを切り取って『抵抗していない』と判断するのは被害者に無理を強いる話だ」

 ▽裁判官は性犯罪被害者心理の研修を

 今回の事件を巡っては、もう一つ論点がある。17年の刑法改正によって新設された「監護者性交罪」が適用されなかったことだ。この罪は被害者が18歳未満の場合に適用される。今回の被害者は当時19歳だった。

 東さんはこの点にも憤りをあらわにする。「家庭内では18歳までが子どもという線引きなんかない。親による支配関係は、その後も続く」

最高裁の担当者に性暴力に関する要望書を渡す被害当事者らの団体「Spring」代表理事の山本潤さん

 「Spring」は13日、最高裁を訪れ、要望書を担当者に手渡した。全国の裁判官に、被害者の心理について精神医学・心理学の知見を踏まえた実質的な研修を受けてほしいと求めている。性犯罪の被害実態を知り、深めてほしいという内容だ。

 山本さんは訴える。「どうしてこんな判決が出るのだろう。どうして罪として認められないのか、裁かれないのか。このおかしい状況を、なんとか改善してほしい」(続く、共同通信社会部=小川美沙、西蔭義明)