『心音』乾ルカ著 生きていればいいってもんじゃない

 読み終えた私は、憤っている。そこらじゅうを得意気に跋扈する、すべての「正しさ」に憤っている。

 物語の主人公は、明音という女性だ。彼女は幼い頃から心臓に病を抱え、両親や支援者の献身的な活動によって、1億5千万円もの募金を集め、海外に渡って移植手術を受けた。おそらく晴れやかな拍手と横断幕に迎えられ、日本に帰ってきたであろう彼女とその家族。過酷な闘病生活の、そこが、ゴールだった。

 しかし、ゴールした後も、人生は続くのである。

 彼女と同時期に心臓を患い、募金を集めきれずに命を落とした少女がいる。その母親は、亡き娘が生きたかもしれない人生を、明音の成長ブログに重ねる。重ねすぎるあまり、彼女はある行動に出る。そのことが、明音の行く手に大きな影を落とす。

 「1億5千万円で命を買った」「人が死んだおかげで生きてる」周囲からのそんな眼差しが、明音へのいじめを加速させる。遠方の学校を選んで高校デビューをはかるも、明音は友に対して腹を割ることができない。なぜなら。

 弱みを見せてはいけない。心臓をくれたドナーのぶんまで、あなたには明るく生きていく義務と責任がある。——母親に、ことあるごとに、まるで呪いか何かのように、そう言い聞かされてきたからだ。

 圧倒的に正しい言葉だ。しかし、正しさははっきりと、暴力である。その正しさは明音から、腹を割って笑いあえる友を奪った。幸せを全身で享受する自由を奪った。おいしいものをおいしいと、楽しいときには楽しいと、心の底から空に向かって叫ぶ快感を奪った。できることは、幸せだなんて滅相もないですと、ただただ、仮面のように微笑むのみだ。

 やがて彼女に、取り返しのつかない出来事が起こる。それを通して、ようやく彼女は「同じ気持ちを誰かと共有する」ことを知る。その初体験は稲妻のように、彼女のすべてを刺し貫く。そして衝撃のラストシーン。読者はしばらく動けないだろう。

 「生きてさえいてくれればいい」。あらゆる場面で、まるで励ましであるかのように繰り返される「正しい」言葉だ。けれどこの文言によって、孤独を深める者がいる。闇に閉ざされる者がいる。「励まし」とは果たして、誰のための、何なんだろう。少なくとも、励ましが希望をくれるのではない。希望をくれるもの、それはただひとつ、「共感」である。

(光文社 1600円+税)=小川志津子

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