松井、由伸の上を行く― 元巨人スコアラーが分析した400号・阿部慎之助の打撃技術

巨人・阿部慎之助【写真:Getty Images】

現役引退後、巨人で約20年スコアラーを務めた三井康浩が証言

 巨人・阿部慎之助捕手が1日の中日戦(東京ドーム)で通算400号本塁打を達成した。2000年ドラフトで入団した阿部は2001年の開幕戦で「8番・捕手」でデビュー。プロ初本塁打は2001年4月13日、横浜・河原隆一投手からだった。元巨人で長らくスコアラーを務め、阿部を入団時から見ていた三井康浩氏は偉業を祝福。阿部のすごさを改めて口にした。

 結果論ではない。多くの好打者を見てきた三井氏は初めて阿部の打撃を見た時から、プロで活躍できるという確信を持っていたという。

「阿部選手は軟体動物のように身体が柔らかい。関節という関節が全部柔らかいんです。ハンドワーク、ボールをとらえる感性は素晴らしいものがありました。性格的にも小さいことは気にしないですし、明るいし、全然、物怖じもしない。打者にとってはいい要素をたくさん持っていました」

 三井氏は試合前、打者のミーティングを担当。野手陣に相手の対策、データなどを示していた。阿部は捕手としてバッテリーミーティングをこなさなくてはいけなかったため、「入団当初は大変だったはず」と振り返る。

「基本的に内角が好きな打者だったので、どの投手でも入ってくるボールは『どんどん行け!』と。彼の持ち味は積極性なので、それを失わないようなアドバイスを送りました」

 他の打者との違いはどこにあったのか。

「普通、打者は初球にカーブ、特に甘いコースに来た場合、凡打をしてしまったら、すごく後悔します。どちらかというと直球を狙いたがります。彼の場合は、タイミングが合い、感覚的に『打てる』と思ったら、振っていくタイプなので、内角に入ってくる球は球種関係なく、狙わせました。昔なら、中日の今中(慎二)投手みたいに速い直球とカーブの緩急を使う投手だと、やっぱり、真っ直ぐを待っていても、緩いカーブが来るとつい手を出してしまう。そのためカーブには手を出すなと言うのですが、阿部選手の場合は、自分が打てるんだったら振れ!と言いました」

 内角を豪快に振り抜いて、右翼席に打球を運ぶシーンを何度も見てきた。一方でうまいバットコントロールで左翼席に運ぶ本塁打でもファンを魅了してきた。技術的な助言はあったのだろうか。

「彼には難しいことを言いませんでした。自分で何でも対応できるバッターでしたから。早いカウントの時は後ろ体重で“ドーン”と打ちにいけますし、追い込まれても“ツイスト”(※打つ瞬間に腰を逆方向にひねる動き)ができるので、体の開きを抑えることで、逆方向にも強い打球が打てました。ボールをギリギリまで見て、拾えることができます。こちらとしても、追い込まれても対応できるので、思い切って“ドーンと行け!”と言えたのだと思います」

 追い込まれた後、ツイスト打法で片手打ちホームランをかっとばしたこともある。三井氏は「個性だから、やっぱり失わないようにしないといけないなと思った」という。

元巨人スコアラーの三井康浩氏【写真:荒川祐史】

松井秀喜氏も「慎之助すげー!」、入団して間もない阿部のことを見て驚嘆したという打撃

 400本の中で印象に残っているのは特定の1本ではなく、2004年4月に月間16本塁打という驚異的な数字を残した期間だった。

「あの時は彼の持っているものが全部出ましたね。打てると思ったものを全部振って、一発で仕留めていました。打ち損じはなし。すごいと思いました。先ほどのカーブの話ではないですが、積極性がありましたね。先輩の高橋由伸さんとはまた違う積極性でした。私の中では見てきた打者で一番の能力だと思います。松井秀喜さんに聞いてもそう言うと思いますよ。『慎之助、すげー』と言っていましたから」

 これまでも多くの巨人の偉大な打者を見てきたが、それでも阿部が「一番の能力を持つ」と挙げた。

「松井選手や高橋選手より、ボールをアジャストする能力、内外角のさばき方は上だと思います。松井選手や高橋選手より、阿部選手は厳しいところをつかれても、払い打ちができました。本当に能力的には一番高いです」

 これまで見てきてフォームの変化などはあったが、どのように映っていたのだろうか。

「正直、いろいろと変わっていてよくわかりません(笑)。でも、モノマネが好きで、一打席ごとに違うこともありました。ただ、打者というのは面白いもので、フォームを変えると、いきなり打てることがあるんです。それが2日目になると打てなくなる、元に戻る。毎回、変える時は毎回打てることもありましたね」

 例えば、高橋由伸氏のように右足を高く上げたり、坂本勇人選手のように左足を一回引きながら上げて見たり……。

「バッティングの感覚が『何か違うな』と感じていたら、モノマネで良い感覚を見つけていましたね。それができるからすごい。本当に柔軟で器用です」

 打てる要素は“頭脳的”な部分もあった。

「自分も捕手なのに、相手の捕手と配球の読み合いをしないんです。例えば相手の捕手がヤクルトの古田選手のように球界屈指の選手だった場合は、打席に入ると考えてしまう。『初球にスライダーが来たから、次は直球かな』とか、と思っていると、あっという間に追い込まれてしまいます。後手を踏むことが多かったですが、阿部選手は追い込まれるまで何も考えず、自分対ピッチャー、打てる球をどんどん行くという思考でしたね。改めて、すごい打者と思います。400号おめでとうございます。まだまだ打ち続けてください」

プロフィール
三井康浩(みつい・やすひろ)1961年1月19日、島根県出身。出雲西高から78年ドラフト外で巨人に入団。85年に引退。86年に巨人2軍サブマネジャーを務め、87年にスコアラーに転身。02年にチーフスコアラー。08年から査定を担当。その後、編成統括ディレクターとしてスカウティングや外国人獲得なども行った。2009年にはWBC日本代表のスコアラーも務めた。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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