「二重被爆」新作 今夏公開 映画監督の稲塚さん8年ぶり3作目 青来さんも祖父の体験 語る

昨年の平和祈念式典を取材する稲塚秀孝さん=長崎市、平和公園

 広島、長崎で原爆に遭った「二重被爆」について取材を続ける東京の映画監督、稲塚秀孝さん(68)が今夏、記録映画「ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者」を公開する。二重被爆をテーマにした作品は、国内外で反核平和を訴えた長崎市の山口彊(つとむ)さん(2010年、93歳で死去)を追った前作「二重被爆~語り部・山口彊の遺言」(11年)以来、8年ぶり3作目。今作は山口さんの生前の姿や、二重被爆者の新たな証言などを紹介。同市の芥川賞作家、青来有一さん(60)も、二重被爆者だった祖父について語っている。
 稲塚さんは北海道出身。映像制作会社などを経て独立し、テレビ番組や映画の製作を手掛けている。05年の被爆60年記念番組の制作過程で二重被爆者の存在を知り、05年から取材を開始。同年、山口さんら7人が体験を語った記録映画「二重被爆」を完成させた。続く前作では、89歳で語り部を始めた山口さんの生前の活動を追った。
 今作では、山口さんの遺志を受け継ぐ長女の山崎年子さん(71)ら3世代の継承にも焦点を当てる。10代で弟と共に過酷な体験をした青森市の福井絹代さん(88)、長崎市の田平寛幸さん(88)ら、新たに取材した二重被爆者の証言も紹介する。
 完成に向け、作業を進める稲塚さんは「原爆投下から74年、二重被爆の体験が聞ける人はこれで最後かもしれない。その苦悩、思いを伝えたい」と話す。
 青来さんは、父の養父、中村民次さん(1973年、76歳で死去)が二重被爆者だったことを2015年刊行の作品「悲しみと無のあいだ」で公表。稲塚さんとは面識があり、今春、長崎原爆資料館長を最後に市を退職後、取材を受けた。
 青来さんによると、民次さんは三菱重工業の元職工で、中学生のころまで一緒に暮らした。耳が遠く、もの静かな人で生前、被爆体験を詳しく語ることはなかった。民次さんが死去後、親族から二重被爆者だったと聞かされた。
 二重被爆を巡っては10年、英BBCテレビが山口さんを「世界一運が悪い男」と冗談交じりに紹介し、被爆地から抗議の声が上がった経緯がある。青来さんは「広島、長崎が原爆で攻撃された必然性はあったはずであり、二重被爆者は両都市の結び付きや、軍都として標的になったことを立証する存在。『偶然』で思考停止せず、二重被爆の必然性をどう探るか考えるべきだ」と語った。
 「ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者」は8月、長崎市での上映が決まっている。

祖父の二重被爆について語る青来有一さん=長崎市文教町、長崎大核兵器廃絶研究センター

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