継承と警鐘 6.3大火砕流から28年(下)

噴火災害について子どもたちに語る満行さん=5月7日、島原市立第三小

 「この新しくできた山の名前は?」。5月7日、島原市広馬場町の市立第三小。6月3日の「いのりの日」を前に同校を訪れた噴火災害の語り部ボランティア、満行(みつゆき)豊人さん(81)が「平成新山」の写真を示しながら3年生48人に問い掛けたが、正解は1人もいなかった。
 2003年から雲仙岳災害記念館(島原市平成町)を拠点に、市内の小中学校などで当時の体験を語り伝えている。「近年、噴火災害を知らない子どもたちが増えている。自分たちの町で大きな災害があったにもかかわらず、当時を知る大人たちが無関心だから風化が進むんです」。満行さんは指摘する。
 元高校教諭。43人が犠牲になった大火砕流で、かつての教え子6人を失った。語り部の現場では、火砕流で尊い命が奪われたこと、安中地区を襲った土石流で複数の家屋がのみ込まれたことなどを分かりやすく説明している。「教え子たちの無念を代弁することが自分の使命。風化させないために、災害の記憶、教訓をこれからも語り伝えていきたい」
 雲仙岳災害記念館に登録している語り部ボランティアは現在、33人。その多くが60~70代で、高齢化が大きな課題になっているという。
 こうした現状に危機感を抱き、来館者に自らの体験を伝える同記念館職員、長門亜矢さん(37)は当時、小学3年生だった。約2年間にわたり、避難所や親類宅などを転々とした経験がある。「自分の世代が当時のことを語れる最も若い世代になると思う。満行さんらがつないだバトンを次の世代に渡したい」と力を込める。
 入館者数の減少が続いていた同記念館は昨年4月、子ども向けの設備を充実させてリニューアルオープン。子どもにも分かりやすい展示を増やし、昨年は前年の約3倍に当たる約25万人が来館した。子ども連れが多く訪れるようになり、災害体験の継承に一役買っている。
 宮脇好和館長(56)は「雲仙・普賢岳の噴火から30年近くもたつと、被害を知らない人は多くなる。この施設を通じて幅広い世代に火山のことや噴火災害のことを知ってほしい。後世に伝えていくのがわれわれの役割」。それは災害を経験した大人たちに託された未来への責任でもある。

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