横浜大空襲の記憶「遺族に伝えたい」 語り部の83歳

 末妹(まつまい)のために横浜大空襲の体験を語り継ぐ藤城毅光(よしみつ)さん(83)=横浜市南区=は「もうひとつ、やり残していることがある」と言う。使用人2人の死没を、どこかにいるであろう遺族に知らせることだ。

 小僧のカズドンと、子守のかっちゃん。平和祈念碑(横浜市中区)の銘板に「大河原和雄」と「宮嶋かつ子」と刻まれている2人だ。ともに小学校を卒業後、おもちゃ問屋を営む藤城さんの実家に住み込みで働いていた。

 藤城さんは、2人も空襲に巻き込まれたと、疎開先で父親から知らされた。それぞれ16歳と15歳だったと覚えている。遺体は見つからず、「訃報すら家族に届いていなかったはずです」。

 2人に関する記録は皆無だ。氏名のつづりも、実はわからない。当時8歳だった藤城さんのおぼろな記憶が唯一の頼りだった。カズドンについては、学生服の名札を思い出し、見当をつけた。

 「みやじま・かつこ」の呼称しかおぼつかなかったかっちゃんには、それらしい漢字を当てるしかなかった。生前に信州の出身と聞かされていた。長野県内の役場に問い合わせたが、手がかりは全くつかめなかった。

 リヤカーの荷台に藤城さんを乗せ、卸先まで商品を一緒に配達したカズドン。山下公園に連れ出し、軍歌や童謡を歌ってくれたかっちゃん。「2人とも優しかったなあ。楽しかったなあ」

 藤城さんは29日、犠牲になった親族6人とともに2人を追悼した。「わたしがいなくなれば、2人の記憶すら消えてしまう」。100歳になっても語り続けますから-。心中で、誓った。

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