実災害から見た炊き出しボランティアの課題 阪神・淡路大震災で最も食べられた物

(写真:フォトライブラリー)

皆さん、被災地で炊き出しをしているボランティアに出会ったことはありますか?
私は阪神・淡路大震災で被災して途方に暮れていた時、生まれて初めて炊き出しボランティアの方に出会いました。夫婦で遠く青森県三戸(さんのへ)町から車でやって来られた方々です。大釜とプロパンガス、それに食材として、うどんとネギを車に積み込んで… …。寒風が吹き荒れる松林の公園で、湯気の上がるうどんにネギを添えて手渡してくださいました。そしてこう言いました。「自分たちもここ数年間、度々震災に遭い、とても人ごととは思えない」、そして「気の遠くなるような長旅だった」とも。
これこそ、まさに地獄に仏というものです。

当時、多くのボランティアが避難所や公園で炊き出しをしてくれました。それを食べた被災者がどれほど勇気づけられたことでしょう。当時の様子をもう少し詳しく振り返りながら、今私たちが考えなければならない問題点をすくい取りたいと思います。

 

炊き出しが始まった時期

炊き出しボランティアは被災直後1週間はほとんど見かけませんでしたが、1カ月後から本格的に始まりました。日が経つにつれて回数、食数ともに増えて、1カ月半で最盛期を迎えました。そして被災2カ月後からは、ガス、水道が復旧したこと、被災者が仮設住宅に入居し始めたこと、学生ボランティアの学校が始まること、避難所になっている学校が新学期を迎えたこと、さらに加えて被災者の自立を促す意味もあり、炊き出しは減り始めました。

 

誰が炊き出しをしたか

当時の新聞は1面全部を使って被災関連の記事を載せていました。そこで、炊き出しについて、いつ、誰が、何を、どこでしたかを、1月23日(地震発生から1週間後)から3月31日まで71日間の新聞記事(朝日新聞)について集計、分類してみました。誰がしたかは次の通りです。

1. 食品・レストラン・ファーストフードなどの飲食関連企業、不動産業、運送業、スポーツ関連企業
2. 日本赤十字奉仕団、陸上自衛隊
3. 自治体(県、市、役場)、自治会、青年会、連合婦人会など
4. 各種宗教団体
5. 障害者団体、栄養士会、調理士会、高齢者福祉推進委員会、ライオンズクラブ
6. 学生、炊き出し隊、救援市民の会など
7. 在日海外交流会
などです。

炊き出しメニューと回数

炊き出しのメニューは日を追って変わっていきました。頻度が最も多いものを1位(100%)としたときの比率%で2位、3位のみ示しました。

最多頻度の食品を100とした場合の比率(%) 

図:阪神・淡路大震災―炊き出しを分類し上位3位までを月別に示した

特徴的なのは、厳寒の季節なので体が温まるものが上位だったことです。1月は汁物と果物が多くなっています。ライフラインが止まっていたため、手の込んだものはできず、汁物で精いっぱいだったのです。果物が多かったのは、煮炊きが要らないし、人数が多いため配りやすかったのでしょう。
2月はやっと主食の麺類とご飯ができるようになりました。野菜不足が心配されていたので野菜料理が多くなり、被災者は喜びました。3月は米を洗う余裕ができ、ようやくご飯が1位になりました。

 

被災者は和食を好んだ

料理別で見ると、トップメニュー10位は全て和食で、多い順に「温かいご飯」「うどん」「ぜんざい」「鍋物」「野菜・豚鍋」「ふろふき大根」「甘酒」「にゅう麺」「すし」「みそ汁」でした。ちなみに、当時来日していたイギリス人に「もしお宅のお国ならどうですか?」と聞いてみました。
彼は、「スープ」「パン」「ミートパイ」「キッシュ」「サンドイッチ」「サラダ」「チーズなど」と話してたのを覚えています(キッシュ=溶き卵に野菜、ベーコン、魚などを混ぜてパイ生地または器に入れ、オーブンで焼いた料理)。

 

ボランティアができなかった問題点は?

ところで、ボランティアをしたくてもできなかった方もたくさんいます。ボランティアができずにガッカリした理由は以下の通りです。
1.  道具がなかった
2.  食材や調味料がなかった
3.  どこの場所に炊き出しに行けばよいか分からなかった
4.  やっと被災地に来たのに、味の好みが関西人に合わなかった
5.  道路幅が狭く道具類が車で搬入できなかった
6.  1人ではできなかった(仲間とやらないと難しい)
7.  料理の仕方が分からなかった。
8.  資金がなかった(材料費1人100円とすれば500人で5万円にもなる。プロパンガス、機器類など全て調達するとお金が足りない)

こうした問題の多くは、その後、少しずつ善処されてきましたが、今でもなお、資金源や仲間づくりなどの問題は未解決のままです。

「炊き出し」は、共助です。共助を実現するには仲間づくりをしなくてはいけません。さらには、共助・公助を進められる人づくり、組織づくりが必要で、モノの準備も不可欠です。未来に向けて船を本気で漕ぎ出さねばなりません。船頭を「誰がしますか」「いつしますか」「どこでしますか」?

(了)

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