「継承」の1字

 おそらくは本紙に一度も載ったことのなかった言葉が、1991年5月26日の紙面にある。記事では「一連の噴火では確認されなかった新現象」と説明している▲「火砕流」というその言葉の上に、6月4日の紙面では「大」の1字が付いた。佐世保勤務の記者だった当方は、大火砕流発生の報を受け、恐れつつ被災地取材に向かった覚えがある▲紙面を繰ればその3カ月後、「警戒区域指定 6度目の延長」。3年後、なおも800世帯が避難生活を続け、警戒区域内の工場の長は「当局に止められても、機械を持ち出しておけばよかった」と歯がみしている▲数知れない人が悔しがり、悲嘆に暮れ、途方に暮れた。雲仙・普賢岳災害の大火砕流から28年たち、犠牲になった43人を被災地で悼んだ「いのりの日」は、災害の痛みを思い起こし、長い長い生活再建への道のりを思い出す日でもあった▲普賢岳災害を起点にして、その後の数々の災害時に受け継がれたこともある。災害ボランティアがその一つで、活動そのものは言うに及ばず、活動への資金援助も大切で、仕事を休んだボランティアの同僚によるカバーも大切とされる。支援への支援を、と呼び掛けられてきた▲28年間つないできたことがある。忘れまいと誓うべきことがある。「継承」の文字がますます重い。(徹)

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