石木ダム事業で収用裁決書 「ここを守りたい」反対40年 住民の岩下さん 決意固く

「さよなら…ダム」などと書かれた看板の前で故郷を守る決意を新たにする岩下さん=川棚町岩屋郷

 長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業で、県収用委員会が反対住民13世帯の宅地を含む未買収地の明け渡しを求めた裁決書は3日、建設予定地の川原地区に暮らす地権者の元にも届いた。「お金はいらない。この場所に住み続けることが一番のぜいたくだから」。裁決書を受け取った岩下すみ子さん(70)はこう言い切った。自然豊かな同地区に嫁いで40年余り。「ここを守りたい」と変わらない決意を口にした。

 反対地権者でつくる石木ダム建設絶対反対同盟で長年、中心的な役割を担う和雄さん(72)の妻。24歳で結婚し、佐世保から移り住んで間もない1975年、国がダム事業を採択した。82年には、県警機動隊が猛抗議する住民を排除する中、県が強制測量。激しい反対運動に身を投じたが苦にはならなかった。「川原の人たちが好きになっていたし、権力に負けとうなかったけんね」と笑う。

 運動の先頭に立つ夫を支えながら、3人の息子を育て上げた。中でも次男の和美さんは、ダム問題に熱心に取り組み、若い世代の中核となっていたが、2004年、事故で他界。30歳だった。「生きていれば、頼もしかっただろうね」。今も夫婦で、そんな会話を交わすことがある。

 玄関には、集落の中心にある看板の前で撮った和美さんの写真を飾っている。「さよなら…ダム」。今もかなうことがない住民たちの願いが書かれた看板を見上げ、すみ子さんはつぶやいた。「人が始めたダムだから、人の手で止められるはずなのにね」

 「ここに住み続けるためにはどうしたらいいのか。その方法を教えてください」。立ち入り調査に来た県職員の前で膝を突き、悲痛な叫びを吐露したこともあった。県職員や知事の口から、その答えが示されることもなく、住み慣れた土地を取り上げる裁決書が一方的に送られてきた。

 本音で語り合える地域の仲間たち、四季折々の花と野菜、小川のせせらぎ、ホタルの光。そのどれもがお金に替えることはできない。「人はそれを古里というのかもしれない」と思う。そして、あらためて言った。「諦めない限り、私たちが県に負けることはない」

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