今も抱く東北への思い 山崎武司氏が被災児童に毎年100万円を寄付し続ける理由

19日に宮城・村田町のスポーツランドSUGOで行われたレース大会に参加した山崎武司氏【写真提供:ジーエー・リンク】

今年も「東日本大震災みやぎこども育英募金」に100万円を寄付「もっと広がってほしい」

 中日、オリックス、楽天で通算403本塁打を放った野球解説者の山崎武司氏が、今年も「東日本大震災みやぎこども育英募金」に100万円を寄付した。

 同氏は今月19日に宮城・村田町のスポーツランドSUGOで行われたレース大会に参加後、贈呈式に出席。2015年にこの活動を始め、今年で5年目を迎えた。所属チームも山崎氏の思いに賛同し、チーム母体の滋賀トヨタ自動車株式会社とネッツトヨタ滋賀株式会社も寄付をスタート。同じく、今年が5年目となった。

 球団創設の2005年から、震災のあった2011年まで楽天でプレーした山崎氏。2007年には本塁打と打点の2冠に輝き、2009年には主砲として球団初のクライマックスシリーズ(CS)進出に導くなど活躍した。東北は「第2の故郷」と公言するほど思い入れの強い土地だ。

 震災発生当時の心境について、山崎氏は「正直、野球どころじゃないなと。まずは生活の確保、チームメートもほとんどの選手が家族がいたわけだし。僕は単身で行っていたので正直、家族の心配はなかったけど、あれだけ長くいたから仲間もたくさんいたし、そんなことを考えれば、ちゃんと回復してから野球を始めるべきじゃないかということで、正直、野球は1年間できないんじゃないかなと思ったよね」とあらためて振り返る。

 2011年限りで楽天を退団後、中日に復帰し、2013年限りで現役を引退。現在、生活の拠点は故郷の愛知に移している。だが、東北への「感謝の気持ち」を込めて、寄付を続けている。

「一番はそれだけ東北で、イーグルスでお世話になった、応援してもらったという感謝の気持ち。その中で震災があったから『少しでも』という気持ちですね。イーグルスを退団して、名古屋に帰ってしまったので、それで誰もが終わってしまうんだけど、それ以上に東北で色々としてもらったインパクトはかなり強いので。何かできないかなという気持ちで続けてます。できるだけ頑張っていきたいと思っている」

「できる限りは続けていきたいなと思ってる」

 2008年に岩手・宮城内陸地震が発生した後にも復興支援の寄付金を贈った山崎氏。「あのときは現役だったから、栗原の方で野球の環境を整えるために、恩返しとして。微々たるものなんだけど、自分の中でも忘れたくない。東北への思いを忘れたくないという気持ちで今やっている」と話す。

 東日本大震災からの復興も、進んでいるとはいえ、まだまだ時間はかかる。

「何年経っても心の傷は癒えないと思う。東北の人って遠慮がちな人が多いんだけど、あまり下向いてばかりという気持ちもなくて。野球以外でもスポーツで東北を盛り上げていってほしいなというのはある。今、東北もスポーツが盛んだから。俺らみたいな辞めた選手も協力しないといけないけど、一番影響力があるのはやっぱり現役だから。現役に勝るものはないからね。現役選手がもっと積極的にやってほしいね」

 今も東北に帰れば、ファンから大歓迎される。「イーグルスのファンで応援してくださってる方が声をかけてくれたりとか、激励してくれることが一番なので、それで十分だよね。『楽天に戻ってきて』とかファンに言ってもらえるけど、そう言ってもらえるだけでもありがたいよね」と笑顔を見せる山崎氏。毎年100万円というのは個人の寄付金としては大きな額だが、東北の地に特別な感情を抱くからこそ、今後も可能な限り続けるつもりだ。

「できる限りは続けていきたいなと思ってる。被災された方のことを思えば微々たる金額だと思うし、そういう(寄付する)人が(他にも)何人か出てほしいな、というメッセージもあるんだけど、こればかりは強制してやるものじゃないから。もっともっとイーグルスの中から、そういう選手がたくさん出てくれればな、とは思う。お金を出すことだけが震災の貢献ではないかもしれないけど、でもないよりあったほうがいい。県の人にパンフレットを見せてもらったんだけど、親御さんをなくした子供への支援金の金額(高校卒業時の一時金)が60万円補助してくれると書いてあって、俺はたった一人分しか貢献できてないんだなと思うと、やっぱりまだまだだなと思うしね。そう思うと、もっともっと広がってほしいかなと思うかな」(Full-Count編集部)

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