佐藤信顕(佐藤葬祭)- 生きても大変だし死んでも大変だよ、でもきっとなんとかなる!

お葬式、遺体、火葬の疑問、そして、幽霊の話しまで……なんでも答えます

佐藤:一級葬祭ディレクターの佐藤葬祭、佐藤信顕と申します。YouTubeでYouTuberというのを4年ほどやっておりまして、おかげさまで登録者数は5万5千人ほどとなりました。皆様が普段いちばん聞きにくいお葬式の話し、遺体の話し、火葬の話し、幽霊の話しなんかを喋らせていただいております。突っ込んだ話しというのをなかなかする人がいないと思うので、そうした立ち位置ができているのかなと思います。

──まず、葬儀屋さんってどんなお仕事なのか簡単に説明していただけますか?

佐藤:葬儀屋さんは、亡くなって病院からお家に連れて帰って斎場でお葬式をして火葬するまでの全部をやるんです。具体的にはこまごまあるんですけど、基本的には亡くなって落ち着くまでご一緒しますよっていうことです。葬儀の定義で言うと、“葬”って言うのは草死草と書くんですがこれは遺体の処理のことです。“儀”は人に義理の義、みんなで一緒にやるっていうことです。人が死ぬっていうことはとても大変で大きなことなのでひとりでは受け止めきれないことだからみんなでやりましょう。みんなでやるときに段取りをつけないとどうにもならないのでこまごましたことをちゃんとやって安心していただくっていうのが我々のお仕事なんです。

──代々、家業を受け継いでらして。90年になるんですよね。お父様の代からなのでしょうか?

佐藤:おじいちゃんからですね。おじいちゃんはもともと最終的に戦争中の帆船模型を作っていたんです。軍艦なんかの模型を作っていたんですけど、細かい作業なのでちょっと神経症みたいなことになってしまって仕事を辞めてのんびりしていたんです。それで毎日毎日一緒に釣りをしていたおじいさんがいたんですが、その人に何しているのか聞いたら葬儀屋で、歳だからもうやめようと思っているんだっていうことだったんで、その葬儀屋さんを買ったんです。もともとは模型を作っていたのでまずは葬具屋を始めたんです。位牌を作ったり、四華花や紙の帷子を作ったり。そこから段々と葬儀屋さんになっていったんです、だからM&Aから始まったんですよね!

弟子は最終的に師匠を越えて行かなければならない。

──お父様と別に師匠がいらっしゃったんですよね。

佐藤:そうです。親父は若くして身体を悪くしてしまったので、お前はこの人に教えてもらうんだぞっていうことで親父が呼んでくれたのが師匠で。僕はめちゃくちゃに怒られて泣きそうになりながらいつも、その師匠にお金を渡して「教えてくれてありがとうございます」って(笑)。無償が普通なのに、僕は金払らって弟子入りでした。師匠って、基本、駄目しか言わないもの。弟子がこうですかって聞いたら師匠が駄目って言うだけなんです。そこで、「これが正解!」って、教えてくれるのは先生なんですけど。そこが師匠と先生の違いですね。そもそも、自分で考える力を育成するにはものすごい時間とお金がかかるんですよ。それができるのが師弟関係で、師弟はお互いに損しかしませんよね、師匠にとっては弟子のことを見てるってのは非効率だし、弟子も自分で考えなくちゃいけないから非効率なんですけど、未知の状態になった時には手順を覚えただけだと何もできないんですよ。無い中から生み出すっていうのは非効率な師弟の関係でないとできないんですよね。

──マニュアルにはできない……。

佐藤:マニュアルは弟子が作るんです。師匠の話ってこういうことですかっていうのを自分でまとめて、その中で矛盾してることも出てくるんですけど、それをどう自分の中で理屈をつけて納得するか、師匠の言葉の先を考えないとわからないんですよね。で、できた手順書を言葉なり紙なりで師匠にぶつけるんですけど、師匠は合ってるか間違ってるかだけは教えてくれるっていう存在なんです。すごく非効率。でもこの非効率をさんざんやっているから、効率しか知らない奴よりかははるかに強いんです。弟子っていうのは最終的に師匠を越えていかなければならないんですよ。自分で定義をするっていうのは、勇気と失敗でじゃないと担保されないんですよ。ここでも「思い通りにならない力」っていう経験を重ねて「思いもよらぬ世界を掴む」っていうことなんですよね。

YouTubeをはじめた理由

──効率ではない。真理を見極める姿勢。私もそれに惹かれて、佐藤さんのYouTubeをみるようになりました。この人、おもしれーって。あ、YouTubeをはじめたきっかけを教えてください。

佐藤:理由はいくつかあるんですが、代表的なところで言うと、やはり遺体や火葬の話っていうのは非常に高いプライバシーを伴うことなんですよ。だからなかなか本当の話を表に出さないように、きっちり管理して進められているんです。そのせいで世の中には都市伝説やデマや嘘がたくさん蔓延して、みんなの心を騙してしまう、かき乱してしまうんですね。そういう不安を動画で払拭したくて、正しいことを発信していこうというのが基本です。文字ベースの媒体だとコピペの問題というのがあって、結局コピペでどんどん改変されてしまう可能性があるんです。そうすると顔を出して自分で喋って本当のことを言うのはやはり大事なことで、世の中に強く響く形なので、動画ベースで配信させていただいております。

──都市伝説やデマっていうお話だと、人身事故や投身自殺で遺体がバラバラになるわけではないとご指摘されていた「飛び降り自殺の遺体はグチャグチャになるの?」という動画がありましたよね?

佐藤:現場を見ないで、「葬儀、遺体、事故死」っていうセンセーショナルな記事で一山当てようっていう奴らはたくさんいるんですよ。実際、見たこともないし処置したこともないような人が、さも見てきたかのように世間受けのために脚色をして、大袈裟にみんなの心を煽ってゼニを頂戴ってやってしまう、それがみんなの不安のもとになっている。悪い気持ちで始まったことが悪い結果になっているっていうのがよくないことですよね。それに対するカウンターとして僕みたいなのが存在すると思っていただければと思います。

──YouTubeでは視聴者から寄せられた質問に答えるというスタイルですよね。

佐藤:基本はそうですね。そしてそれがどれだけ難しいことでも逃げないで調べてちゃんと結論まで行こうっていうのを目標にやっていますね。

──ご自分でわからないことは自己判断せず、別の専門家に伺っていらっしゃいますよね。

佐藤:相当聞きましたよ! 相当聞いたし相当調べたし……。調べても調べても答えの出ないことってあるんです。世の中に書籍になっていないことって山ほどあるんですよ。で、そのために専門家の人たちに聞いても最初は答えてくれないんです。「ここまで調べたんですけどこれってどうなんですか?」っていう風に「勉強しました教えてください」と伺って、はじめて「よく調べてきたんだねえ」という一言がもらえるんです。それから「実はさ……」という風に現場の方が言ってくれるように持っていかないとなかなか進まないんですよね。

──ライブ配信もされていますが、普段の動画との違いはありますか?

佐藤:いや、違いは大して無いですよ。やっぱりみんな大変だなっていうのと、知りたいことが調べられないでいる中での不安はがあるんだなっていうのは感じますね。特に人の死、家族の死のわだかまりみたいなものは心の中で小さな魚の骨のように引っかかったままずっと取れずに残っているんですよ。それが大きな骨でも小さな骨でもちゃんとそれが「こういうことだったのか」とわかったときに初めて愛情が素直に出せるようになる。そういう不安や分からないことに答えてあげる存在がいないとみんなちょっとずつ痛いまま生きていくのはとても大変なことだなって思うので、ライブ配信だと即興でお答えするし、メールだと長く対応できるしっていう違いはありますけど、みんなの“小さな骨”っていうのをどういう風に扱っていこうかなっていうのが動画配信の基本であることに変わりはないですね。

──多かった質問や印象に残っている質問はありますか?

佐藤:一番、多かった質問は、「母が死んだら耐えられません」っていうことですね。でも、原則的に生き物っていうのは生きて、死ぬ。今の人はなにか特別なことがないと死なないと思っているような節がある気がするんですけど、“生き物”っていうのは生きて死ぬところまでが“生き物”なんですよね。だから、その時に残される方が、「しっかりする」っていうのがいちばん安心して生きて、「居られる」っていうことそのものなんですよ。死ぬっていうのはそこで終わるということではなくて、誰かが引き継いでこの世界からはなにもなくならないっていうのがすごく大事なことなんじゃないかなと思います。

──引き継いでいるから、この世に生きて「居られる」。そうですよね、誰かがいて、自分が居るということに感謝できる。あ、あと、他には料理動画、「食べて供養」動画も人気コンテンツだと思うのですが……。温度差(笑)。

佐藤:料理動画は僕の思想の一つの表現なんですよ。生きることと死ぬことは表裏一体のことで、死っていうのはひとりで受け止めちゃいけないよっていうのが“供養”つまり“供に養う”っていう精神なわけですが、養うってなに? ってなったときに食べることっていうのは生きていくことそのものなんですよね。ちゃんとみんなでご飯を作って食べて供養しようねっていうのがあってそれをたまに動画として上げてるのが料理動画なんですよ。

──ケンタッキーの再現動画とか、すごく好きです!

佐藤:だってケンタッキー美味しいでしょ? いろいろ終わってしんみりするだけじゃなくて、みんなで飲んだり食べたりする方がいいんです。「一緒にいる」っておしゃべりするだけじゃなくてそこには飲み物や食べ物が必ずあるし、それが供にいるっていうことなんですよね。更に言うと供養っていうのは死んだ人とするだけじゃなくて生きている人同士も“供養”できるんだよっていうのが僕の考えです。

──死んでいても生きていても共にある……。そう考えると、救われる気持ちです。

初のトークイベント「葬儀屋と坊さんが話す幽霊っているの?あの世って何?」

──トークイベントについての内容についてお聞かせいただけますか。

佐藤:前々からこう言う話しがあったら、僕の相方とも言える(お坊さんの)本多清寛和尚とやろうって決めていたんです。それで「いつか来るね〜」と言って願っていたら、今回このようなお話をいただいて叶った、という感じなんですよね。

──お誘いしてよかったです! お坊さんと葬儀屋さんって、もう、絶対、面白くなるしかない!

佐藤:我々は2体で1匹というような存在なんですよ。清寛さんは坊主バーをやっていまして、チャンネルに来た質問の答えを一緒に出していった相棒のような存在なんですよね。表には出していませんが、動画の中には清寛さんが解き明かした質問も山ほどあるんです。それは本やネットにある情報ではなく、生きたお坊さんの意見。僕の生涯で出会った中でいちばん真剣に「あの世」であるとか「たましい」を一緒に考えてくれた奴っていうのが本多さんなんで、今回のトークライブでは、こうして一緒に考えてくれた奴と、これまで考えて話してきた「あの世」や「たましい」について「どうしてやろうか」というところまで皆さんにお話しできればいいなと思っています。

──本多さんは感覚的に物事を見極めていて、佐藤さんはそれを論理的に更に説明していくという掛け合いで、バランスの良いコンビだと思いました。

佐藤:本多さんの方が頭が良くて知識もあるんですよ。だから自分の中でわかっているということは圧倒的に多くて、一方、僕は客商売をやってきたのでそれを人に伝えるのは得意なので。確かにバランスが取れているかもしれませんが、ただの仲良しっていうことなんですけど(笑)。

──すごく、お二人のお話を聞いていてその関係が伝わりました。二人であれこれ、話していることでわかったこともあったのでしょうか。

佐藤:話さないとわかんないですね。不正解と不正解を積み重ねていくことで新しい正解を導いていくんですけど、それでもわからない、思い通りにならないことはあって。それは思いもよらない遊びや間違いが積み重なって「あっ」と繋がるんです。そういった思いもよらない力で未知の物事を解決していくんですよね。思い通りにならない世界はすごいぞっていうのを話しながら掴んでいくのは面白いです。

──本多さんと出会ったという「坊主バー」についても少し、紹介していただけますか?

佐藤:新宿2丁目に伏見憲明さんというゲイの作家さんがやっている「A Day In The Life」っていうミックス・バーがあって、そこに一回行ったら伏見さんから坊主バーやってみない? と言っていただいたので月曜日店長っていうのを本多さんが仰せつかったんですよ。僕はそのときに動画のネタで「宗教者に聞こう、あの世ってなあに?」として、教義抜きにしてあなたはどう思う? っていうことを聞きたくてSNSで募集したら「はーい!」と来たんですよ。

──SNSから繋がったんですね!

佐藤:そうなんですよ。それで、まず、プレ取材的な感じで一回、飲みにいこうっていったらウマがあってね。(ここは多分載らないと思いますが、僕すごく長いこと悩んでいて、なんでこの宗派はこのお経を読むんだろうっていう。禅宗なんですけど観音教っていうお経があって、坐禅の宗派ってものすごいロジカルなイメージがあったんですけど、なんで観音さま素敵だぞっていうお経を必ず読むんだろう。単純に「観音様素敵だぞ」としか言わないお経があるんですよ。で、なんで読むんですか?って言ったら、そのときに清寛のお友達のお坊さんもいたんですけど「観音様すごいじゃん」としか言わないんです。なので観音様の力ってなんなんですか?って聞きました。「枕で寝てて寝返りを打ったときに無意識にでるあの手の伸びが…」って言われて、「あぁ、意味がわかんないなあ」と思って…(笑)でもそのときに、いろいろな力で仏様の力を捉えていこうっていうのは感じて。世界のことを理屈じゃなくてまず思うことによって捉えていこうっていうのが伝わって面白いなと思ったんです。本多さんたちって仏教用語であまり語らないんですよ。よく空気読まずにかしこぶっちゃう人とかはすぐ「仏教用語だと…」って言っちゃうんですけど。本来お坊さんってそうだと思うんですけど、まず目の前の人に「普段のことでいうとね…」って一生懸命に伝えようとするんですよね。おう、これは面白えってなって(笑)。坊主バーなので、当たり前に地獄の話をしたりするんです。で、お客のゲイのお姉さんが「あら、あたし、地獄行ったら自治会長やるわよ!」っていうんですよ。「鬼だって自治してもらった方が楽でしょ。町会作るわよ! そしたらそのうち醸造所作って、お酒飲むわよ!」って言うんです。

──坊主バー地獄支店(笑)。

佐藤:お、地獄が地獄じゃなくなる人たちもいるんだなあと思って。面白い! そこでいろんな質問とかをぶつけてみたっていうのが、半年くらいありましたねえ。それで鍛えられた(笑)。まだ一年前くらい前のことなんですけど。

──捉え方で地獄も楽しくしてやろうという柔軟な発想! どうしようもない状態からでも逃げ道を見つけ出す逞しさ。めっちゃいいです! そういう話をお聞きしたいと思って、お誘いしたので! 今回、はじめてのトークイベントですが……。

佐藤:初めてですよ。よくこんな素人にイベントさせるなあと思いながらもですが(笑)。葬儀屋さんはね、来いって言われたらすぐ駆けつけるので。

──今回、著書の出版記念イベントにもなるわけですが……。

佐藤:『遺体と火葬のほんとうの話』というタイトルで二見書房さんからの出版になります。イベント当日は先行販売ができそうです。こちらはYouTubeで話したことの書き起こしという感じです。例えば妊婦さんが亡くなったらお腹の子供の骨はどうなるの? とか、火葬の際に骨に色がつくのはなぜ? とか、そういった疑問に答えています。

──子供の骨と大人の骨は燃える温度に違いがあるから、大人の温度で焼くと子供の骨が消えてしまうので弱火で焼くという……。

佐藤:なくなってしまうわけではないんですよね。形が残りにくいですよっていうことなんですが、やはりみんながわからないことって、どうしても不安になってしまうじゃないですか。だから、ほんとうの話をしましょうっていうことなんですよね。お腹から取り出して別々に焼けばいいんじゃないのとか言う人もいるんですけど、冷静に考えてそんな可哀想なことできるわけないでしょう? っていう話なんですが。知らない人は想像ができないから、平気で無神経なことを言ってしまうんですよね。ただ、共にいたんだよっていうことがあって、骨に残ることだけが全てではなく、弔ったという事実をみんなで受け止めるための儀式が火葬っていうことなんです。

──わからないことが多いと無駄な心配や不安を増やすだけだから、はっきりとした明確な答えを一つ用意する。誰も今まで言ってくれなかった、知りたかったことです。

佐藤:本の内容でいうと、多分、はじめてなんじゃないかな? 現役の火葬夫さんとの対談があるのって。

──お二人は、どこで出会われたんですか?

佐藤:これもネットですね。質問に対してわかんねえわかんねえ!文献が無え!って騒いでいたら「火葬師です!」って教えてくれたんですよね。何度で焼くのかっていうこととか。そのときは「骨が焼き切れてしまう」っていうデマがあって今も言われていることなんですけど、火葬の温度は大体800℃〜1000℃くらいでやられるもんなんですが、リン酸カルシウムの融点は3000℃なんですよ。だから焼き切れる訳が無いんですよね。粉になるっていうのは海外だとボールミキサーっていう機械があって、骨を砕いて粉にしているんです。その事情を知らないとごっちゃになってしまうっていうのがあるんです。

──YouTubeで動画を投稿し続けてきたことで、異業種の方とも出会い、見識を深められてきた。ちなみに登録者数が増えてきて変わったことってありますか?

佐藤:普通に葬儀の依頼が増えましたね。知ってくれるきっかけにはなっているみたいです。病院でおばあちゃんに「あ〜! 出てる人だ〜!」って言われることもありますよ。「実在してますよ〜^^」って感じです。

──顔出ししていることで安心や信頼を得られている! ちなみに社員の方はYouTubeの活動などどういう感じで捉えているんですかね?

佐藤:頑張れ〜ですよ。仕事増やして〜っていう。

──いいですね(笑)!

他人に面倒をかけなたくない。終活ブーム、自死について

──「終活ブーム」に関して否定的なお話をされていましたが、詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか?

佐藤:「終活」をするのはいいと思うんです。でも「終活」を売っている人の売り方が良くないと思うんですよね。

──不安を煽って悪どい商売する……。

佐藤:ああいうのは「スピハラ」ですよ。スピリチュアルハラスメント。終活ビジネスもそうで、あなた死んだ後にこんな風に恨まれるかもしれないですよっていう。まだ死んでもいないのになんでそんなこと言うんだっていう。お金の話ははっきりさせておいた上で迷惑かからない方がいいのかもしれないですけれど、介護の面倒見にいくとか、身体のこととかっていうのは、子供だって頼ってもらわないと寂しいものですよ。90歳のおばあちゃんが長男坊に「あんたにゃ心配かけないよ」っていうより「ありがとね」って言ってもらいたいもんですよ。母ちゃんなんだからやってあげたいでしょっていうと「そうそうまあまあね」っていうもんなんですよ。

──失敗をしないように、迷惑をかけないようにって、世の中がどんどん潔癖になっていく感じ。

佐藤:迷惑なんてものは幻想で、特に家族という関係だと好きか嫌いかしかないと思いますよ。嫌い合ってる家族は大変だねっていうことだし、好き過ぎるのも大変だし、ほどほどがいいんですよ。

──自殺や自死にも繋がってくる話かなと。周りに迷惑を掛けたくないから死のうって思ってしまうこと。

佐藤:そういう考え方もありますよね。まあでも実際現場で見ているとそういう風に思っているのかなっていうのはなんの保証もないんですよね。だからもう病気の発作なんです自殺や自死は。そう捉え方を決めていかないと、人の人生が不意に止まるという不可逆性を持ったものを受け止めるのは無理ですから、心の病の発作です、それ以上のことを考えなくていい。亡くなった方の人生を見るというよりは亡くなった人の周りに残された方を見るしかない。その方達が論理的に納得のいく答えを用意するのは不可能です。ただ共にいて大変なんだよっていうことだけを周りはやっていくしかない。その周りの人たちだって大変なんですよ。自死が良い悪いっていうのは無くて、ただ少なくとも大変だっていう事実だけがあるだけなんです。ただただ供養するっていうのは大事なことで何かを語るっていうのが通用するようなことではないです。言葉で表現できるような世界じゃないですし、するとしたら薄氷です。いつどこを踏んだら割れるかわからないという緊張感。誰がどういう感情を持っているかなんてわからない。みんなが危うい緊張感を持っている中で受け止められない状況なのに存在しているというのが自死の現場です。

──個人的な話ですが、友人が最近亡くなって、それは自殺だったと、SNSに書かれていて。私は、自殺なんて書かなくてもよかったんじゃないかって思って、近親者が自殺でしたとはっきりと書いたことにショックを受けてしまって。それを私はどう受け止めればいいのかということが未だにわからないままなんです。

佐藤:お辛かったですね。

──……。(そうか、わたしはつらかったのか)はい。

佐藤:自殺ですと書きたくない書かない遺族、書かなくてはならなかった書いてしまった遺族、それは同時に存在していますし、存在していいと思うんです。自殺でも心不全でしたと書くこともあります。その人がどういう風に生きて死んだのかっていうのは周りが何か言えることじゃないんですよね。亡くなっちゃって寂しいね、弔おうねっていうのだけしか、周りの人が言えることはないんです。世の中を自分のせいだと考えてしまいがちなんですけど、物事を考えるときに大事なことは、定義、重要度、優先順位、そして最後に自分のせいかどうか。この4つで考えると物事がよくわかってくるんです。この最後の「自分のせいかどうか」っていうのが結構大事なんですよ。その自死してしまったことって、あなたのせいなの? 親のせいなの? 誰のせいでもないことでしょ? それを、誰のせいなんだと考えてしまうのは全部が自分の思い通りになるって考えているからなんです。繰り返し言っていますが、思い通りにならない世界で生きているから、思いもよらないことが起こるんですよっていうことなんです。少なくとも自分のせいではないことを自分のせいかのように受け止めるのは大変なんですよっていうことだと思います。

──SNSのコメント欄に自分のせいだったのかもしれない、あのときああすればよかったっていう言葉が溢れていしまっていることが、可視化されてしまっていて、それが結構きついものがあったんですよね。この気持ちの折り合いの付け方に戸惑ったというのが正直なところで。

佐藤:そうなってしまうんですよね。昔の江戸っ子の「しょうがねえや!」いうのをもう一度取り戻さないといけないです。「しょうがねえ」「そういうこともある」「大変だったな」「まずは葬式やろう」「出れなかったら墓参りでいい」「一周忌に飯でも食おう」っていう、誰のせいじゃなく起こったことに対応していく強さですね。それは諦めているとか悪いことではなくてちゃんと未来を掴むためのすごく強い言葉なんです。まずは自死という事実を定義する、重要度を考える、そしてもう一つ優先順位というのも大事なんですが、重要なことではあるけどいま今日自分がやらなければいけないことをおろそかにして友達の供養なんてできないんだから、優先順位をちゃんと果たすんです。そして自分のせいかどうかを考えて受け止める。そうすればどうしたらいいのか理路整然と見えてくるでしょう?

──自分を大切にすることでもありますよね。

佐藤:世の中には10億借金あっても30人にフラれてもひとりきりになっても死なないような人はたくさんいるんです。そういう人に限って「いやあ俺しょうがないんすよぉ」なんて言って生きてるんです。大抵のことがあったからって死ぬことじゃないんですよ。それでも死んでしまうっていうことは、心が弱って弱って弱って結果発作で死んでしまったというしょうがないことなんです。

──SNSのせいで、今つらくて、立ち直れない人が無理矢理に、すぐに気持ちを切り替えて言語化して、説明しなければいけないっていう状況があるのかもしれない。でも、その言葉にどう返せばいいのか。返したいけど返し方がわからなくて、わたしの整理できるスピードとみんなのてきぱきとした対応に温度差を感じて、自分はなんて冷たい人間なのかって、考えすぎてしまって。返事をしたくても仕方がわからなくなっているのが今です。

佐藤:だから「定型文」って便利なんじゃないですか。

──あっ!

佐藤:どう声をかけていいかわからないからこそ、葬式や弔いっていうのは定型の塊でやるんですよ。それは心が言葉にならないから、形を使ってとりあえず言いましたっていう事実だけをポンと置くんです。

──今、すごく気が楽になりました。迷ったら声のかけかたを考える前に、声をかけてしまうべきなんだって。

佐藤:定型文といってもかしこまったものだけじゃなくて、世の中は定型文に溢れているんですが、それを自分の自由意志だと勘違いしていると大変ですよ。フォーマルな定型もあるし、友達同士での定型もありますし。

生きるのも死ぬのも大変だよ! 生きづらを感じる方にこそ来てほしいトークイベントです

──イベントはどんな方に来て欲しいですか?

佐藤:そうですね…生きているのが辛い方、ぜひぜひお越しください。生きるのも死ぬのも大変だよ! っていう話しかしないので(笑)。生きても大変だし死んでも大変だよ、でもきっとなんとかなる!

──はい! 生きづらさを感じているかたは全員、出席ということで!

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