【平和つなぐ 空襲74年】命懸けの体験、資料保存は公の責務 「登戸研究所は秘密戦の機関」 家族にも言えない戦争の記憶

 戦後74年がたち、戦争体験者がいなくなる時代が目前に迫る。証言や資料を基に戦争をどう伝え、継いでいくべきか。明治大学平和教育登戸研究所資料館(川崎市多摩区)の山田朗館長は公が受け皿となり、保存、収集、活用していくことの重要性を説く。

 -戦時中の資料にまつわる現状は。

 「登戸研究所は本来は秘密戦のための軍の機関なので、関わった方はかつては絶対に話さなかった。ところが戦後74年もたち、直接の体験者はほとんどが亡くなっているが、そこで困った立場にいるのは家族。いろいろな話を体験者から聞いて日記や資料もそれなりに持っているが、それをどうすればいいのか分からないという場合が多い。日記だから個人的なものに見えるが、戦争は公で行っていた部分があり、個人の記録だけでなくいろいろな性格を持っている」

 「登戸研究所資料館では『当時の資料があったら寄贈してください』とお願いしているが、『ああ、ちょっと前に捨てちゃった』ということが結構あり、悔しい思いをしている。一般の人たちの『戦争の記憶』は公が受け皿となって集めるのが一番。しかし、ほとんどのところでなされていない」

 -「戦争の記憶」とどう向き合うべきか。

 「意外なことに、家族の人は断片的ではあるけれども、体験者が吐露した言葉を聞いている。例えば、ある人は登戸研究所に勤めていて、結果的に人体実験に関わってしまった。本人は言いたいけれども家族にも言えない。でも何かの拍子につらさみたいなものをほのめかしていた。家族は、それを聞いた時には意味がよく分からなかったけれども、亡くなってしばらくたち、例えば登戸研究所資料館で展示を見ると『ああ、あの時の言葉はこういう意味だったんだな』と分かってくる」

 「もちろん、歴史の資料としては体験者の語ったことや書き残したものは最も価値があるとされているが、実は、その体験者に寄り添って生活していた家族は知らず知らずのうちにいろいろなデータを持っている。これは重要なことで、そういうことも集めていき、体験者の人生を家族と共に振り返ってみると、体験者が伝えたかったものがあらためて見えてくる」

 「私たちは『非体験者による記憶の発掘』という言葉を使っている。体験者の話を聞くだけでなく、自分たちが積極的に関わることで、今まで知られていなかったことを掘り出すことができる。それは新しく、体験者ですら伝え切れなかったことをあらためて浮き彫りにすることができると思う。登戸だけではなくて、全国に共通することだろう」

 -記憶の掘り起こしが急務となっている。

 「戦争の記憶をとどめる本人による貴重な一次資料が、結局は埋もれてしまったり、あるいは家族も分からなくなってしまったりしている事例がとても多い。そういうのをきちんと公のものにすることが重要。その人が本当に命を懸けた体験を記したものをどこかに保存できる施設が必要となっている」

 「(生命の侵害や財産の喪失が不可避な)戦争は目に見えない強い力で体験者の人生を大きく左右してきた。それぞれの証言や記憶はどこかで保存しないと、個人のレベルだと結局なくなってしまう。場合によっては捨てられてしまい、もう二度と戻ってこない。本来ならば、公が責任を持ってそういう資料を収集し、保存し、そして活用すべきだ」

◆やまだ・あきら 1956年、大阪府生まれ。東京都立大学大学院博士課程を経て、明治大学文学部教授。日本近現代史、軍事史、天皇制論、歴史教育論が専門。著書に「兵士たちの戦場」「登戸研究所から考える戦争と平和」(共著)など。

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