『一条の光 屋良朝苗日記・上』 自己決定権奪還の過程刻む

 巨人、屋良朝苗氏の鼓動をリアルに伝える圧巻の日記が刊行された。彼が残した手帳やメモ帳類は136冊に及び、純粋な日記と琉球政府のメモ帳に記された行政記録に大別される。後世に伝えるために懸命に日記とメモに筆を走らせ続けた屋良氏の情熱には本当に頭を垂れるのみで、感謝の言葉も見いだせない。

 さらに本書は米国1次資料や年表、関係者の証言そして各所に丁寧な分かりやすい解説があって、沖縄の戦後史を学ぶための格好の教科書となっている。

 戦後米軍統治下の混乱期に沖縄教育界の代表として、沖縄の教育再生と祖国復帰運動の二つの目標に向かって屋良氏は邁進(まいしん)した。教育こそが五里霧中の沖縄の前途を照らす一条の光であると彼は確信していた。

 しかし沖縄のわが子の病状を気にかけながら、長期にわたって沖縄の戦災校舎復興を訴えて全国を巡っても成果は乏しく、米軍政の圧力もあって、その道のりは険しかった。とはいえ、この神頼みの全国行脚で沖縄の過酷な実情を訴えて全国各地に人脈を広げ、その後の復帰運動推進の協力者たちを得ることにつながった。その意味でこの全国行脚こそが二大目標実現に向けた彼の精力的な活動の原点だったことが、この日記からよく理解できる。

 1967年、教公二法案をめぐって保守と革新は激しく対立し、強行採決を阻止すべく約2万人が立法院を包囲して警官隊を排除した。松岡主席は屋良たちを逮捕する準備までしていた。

 この教公二法を阻止した力が復帰運動を加速させ、主席公選に結実した。米軍統治下で沖縄の人々が長年にわたって要求し続けた主席公選が68年に実現し、屋良氏が89・11%という驚異的な投票率のもとで当選した。彼は「殺到する権力、金力に完全に打ちかった日である」と万感の思いを吐露している。

 苦難や挫折を乗り越えながら鈍牛のように粘り強く戦い、「沖縄が奪われた『自己決定権』を一つ一つつかみとっていく過程」(琉球新報・宮城修氏)を本書は克明に記している。いま歴史の岐路に立つ沖縄だからこそ、一人でも多くの人々に読んでもらいたい。

 (江上能義・早稲田大大学院教授)

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