中野量太(映画『長いお別れ』監督)- ゆっくりと記憶を失っていく父親との長いお別れ。今の時代の家族を描いた意欲作

家族に決まりなんかない

中野:僕が映画を撮る時に大切にしていることが2つあって、1つは「今、撮らなきゃならない映画」かどうかということ。認知症というのは現代の社会において切っても切れないテーマだと思うので、これは今こそ描かなければいけないなと。もう1つは、厳しい現実の中で人間が懸命に生きる姿を描くこと、それは時に人間の滑稽さやおかしさを描くことでもあるんです。この小説に共感したのは、お父さんが認知症になってしまうという困難の中で、家族が一生懸命に生きる姿がとても愛おしくて滑稽で、それが僕の感覚に合っていたからです。

前作の『湯を沸かすほどの熱い愛』では血の繋がりのない母と娘が、母の余命宣告を機に家族の絆を築いていく物語だったが、中野監督にとって家族とはどういう存在なのだろうか。

中野:僕は家族に決まりなんかないと思っているので、血が繋がっているかどうかは関係ないですね。家族とはこうあるべきだなんて言うつもりもないし、そもそもそんなものはないと思ってます。僕が家族について1つだけ言えるのは「家族って、なんか良いよね」ってこと。それだけは伝えたい。

原作はフィクションだが、中島京子の父親がアルツハイマー型認知症になったという著者自身の体験がベースに描かれている。映画化するにあたって、中野自身の家族体験も影響しているのだろうか。

中野:おばあちゃんが認知症だったので、僕にもそういう経験はありました。僕は6歳の時に父が亡くなったので、ずっと母親に育てられたんですが、自分が不幸だと思ったことは一度もなかったですね。でも小さい頃から「家族ってなんだろう?」とはずっと考えていて、それが創作の原動力になっていると思います。一生答えは出ないと思いますが、やっぱり家族って面白いっていうことを伝えたいし、いろいろな家族の姿を描きたいですね。

父親はどこに帰りたかったのか

『長いお別れ』はもともと雑誌に連載された8話の連作短編を1冊の単行本にしたもので、2016年には医療をテーマにした小説から選考される日本医療小説大賞を受賞している。本映画のプロデューサーである原尭志は、「我々が頭で記憶していることは不確かなのではないか? 心で記憶していることの方が確かなのではないか?」という物語のテーマに惹かれて映画化を決めたという。

中野:小説は1話毎にストーリーが完結しているので、これをどういう形で一本の映画にまとめるのかを考えるのにすごく時間がかかったんですが、あることを決めてからは比較的スムーズに脚本作りが進みました。まずお父さんの病気が発症してから死ぬまでの7年間を4つの段階に分けたんです。その7年間と平行して家族にも7年の時間が流れている。それを親の世代、娘たちの世代、孫の世代と3つの世代で描くということを決めたんです。もう1つ決めたのは、認知症になった父親が何を思っているのかを勝手に描くのは絶対にやめようということ。それはわからないことだから。周りの人、つまりお母さん、娘、孫、それぞれがどう触れ合うかで父・昇平を描きました。

映画化にあたって中野は、話の本筋は変えることなく、10年の物語を7年にするなど随所に映画的な改編を加えている。幻想的なメリーゴーランドのシーンが中盤に出てくるのも長編映画ならではのアイデアだ。

中野:原作もメリーゴーランドのシーンで始まりますが、それがすごくいいなと思っていて、これを映画のクライマックスにもしたいと思いました。病院の先生に取材していた時に教えてもらったのが傘のエピソードなんです。ある認知症のおじいさんが、いつも「帰る。帰る」って言って家の外に出るんですが、晴れた日でも必ず傘を持って行くそうなんです。それは、昔、自分が傘を持って子供たちを迎えに行った時の記憶が残っているからだと聞いて、なるほどなと。それをメリーゴーランドのシーンに足せば、映画の核となる物語が作れるんじゃないかと。

認知症の人が自分の家にいるのにどこかへ帰りたくなるのは「たそがれ症候群」とも呼ばれる病気特有の症状だが、本映画でも父・昇平は何度も「帰りたい」と口にし、どこかへ行こうとする。「父親はどこに帰りたかったのか」は、物語における大きな謎解きでもあり、見る人によって様々な解釈ができる部分でもあるが、中野監督が提示した1つの回答があのメリーゴーランドのシーンだろう。

中野:先ほども言ったようにお父さんの主観は描かないように決めてましたが、唯一、主観を描いたのがあのシーンです。作り手の思いを1箇所だけ描きたかった。「帰りたい、帰りたい」と言っていた昇平は、どこに帰りたくて、何を見たかったのか? あのシーンだけは僕の主観なんです。やっぱり、お父さんが帰りたかったのは、そうあって欲しいなと。

認知症は、記憶を失っても心は生きている

映画では2007年から2013年までの7年間が描かれているが、2011年3月11日の東日本大震災が1つの境となって、物語は新たな展開を迎える。原発事故のニュースが世界中で報じられ、アメリカに暮らす長女の麻里は両親が心配で頻繁に電話をかけるようになる。一方、次女の芙美は当時つきあっていた恋人・道彦と破局してしまう。震災をきっかけに道彦が元の妻とよりを戻したからだ。悲しみに暮れる芙美は、ある時、ふと昇平に「ねえ、お父さん。つながらないっていうのはせつないね」と心の裡を打ち明ける。すると昇平は「そうくりまるなよ」と謎の言葉で答えるのだ。娘と父親が心を通わせる重要なシーンだが、監督はここにどのような思いを込めたのだろうか。

中野:3.11の後って、例えば別れた恋人がまた一緒になったりとか、みんな誰かとつながりたい、帰る場所が欲しいと思った時期でしたよね。震災後、芙美は恋人と別れることになってしまったけど、その一方で、お父さんとは心がつながったんです。芙美にとって何が大切で、何につながれるのかに気づく非常に大切な場面ですが、そういうシーンって撮るのが恐いんです。「言葉は通じなくても心が通じる」という難しい演技を、はたして自分はちゃんと撮れるんだろうかと。でも山﨑努さんと蒼井優さんの二人がそれを見事に演じてくれて、撮った後はホっとしました。お父さんは目の前にいるのが自分の娘だとすら分かってないんだけど、その悲しんでいる人をなんとか励まそうとしているんです。それは、記憶は消えてしまっても心が消えてないからです。

中野はこの映画の描くべき本質を忘れないために「認知症は、記憶を失っても心は生きている」という言葉を台本の裏表紙に書き込んだという。

中野:制作が決まった時に「今の認知症の映画を撮ろう」と決めていました。一昔前の認知症は、家族がたいへんだとか苦しいとか、そういう暗いイメージの作品が多かったと思うんですが、取材をしている時に、今はそういう考え方ではないと言われました。奥さんの名前や子供の名前を忘れるのは病気だからしょうがない、でも、名前は忘れても、この人が自分にとって大切な人だということは忘れないんだと。それが今の認知症の捉え方なんだと。だからそれを象徴する言葉として「認知症は、記憶を失っても心は生きている」と台本に書き入れました。それがこの映画の根本のテーマです。

残された人がどう生きるのかを描きたい

映画化にあたって原作の中島京子さんからは「原作にあるユーモアやおかしみだけは残して欲しい」という要望があり「あとは自由にして頂いていいです」ということだった。そして中野は、原作の三姉妹という設定を二人の姉妹に変えて、孫を1人に絞るなど大胆な変更を施して脚本を書き上げた。

中野:実は小説は最初に読んだだけなんです。原作を一旦自分のフィルターを通して一から脚本を書くつもりでした。中島さんからは自由にやっていいと言われたけど、とはいえ最初に中島さんに読んでもらう時は、こんなに変えちゃって怒られるんじゃないかとすごく恐かったです(笑)。でも実際は「面白い」と褒めていただいて、すごく嬉しかったですね。

中野監督のオリジナルの要素も追加された映画だが、最後のシーンはほぼ原作通りとなっている。

中野:ラストシーンは決めてました。それは最初に本を読んだ時に、あのラストがすごくいいなと思ったからです。普通の映画って主要人物で終わるんですよ。でもこの物語は母親の曜子でもなく、娘の芙美でもなく、孫の崇のシーンで終わる。そこに未来が見えるからです。あとは映像的な要素として、読書家のお父さんが葉っぱを本の栞にしていた習慣を、娘に、そして孫に受け継がれている場面を最後に入れて、家族が巡っているということを伝えています。

前作『湯を沸かすほどの熱い愛』もそうだったが、今作でも人が死ぬ場面は描かれていない。

中野:生きることを描こうとする時、死は生の真逆ではなく、隣に寄り添っているものなんです。だから死の瞬間をあえて描く必要はなくて、もっと言うと、残された人がどう生きるのかを描きたい。だからこれまでも死の瞬間を描いたことはないですね。

中野監督は今後も家族というテーマにこだわっていくのだろうか。

中野:絶対とは言えないですが、家族を描くのは好きだし、そこは負けないと思うのでまたやるでしょうね。家族に決まりなんてないから、全く別の形の家族になると思います。

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