MotoGPコラム:カタルーニャGPで3台を巻き込んだロレンソよりも大きなミスを犯したビニャーレス

 イギリス在住のフリーライター、マット・オクスリーのMotoGPコラムをお届け。第7戦カタルーニャGPの決勝レースで3台を巻き込む転倒を喫したホルヘ・ロレンソ。しかし、ロレンソの犯したミスよりもマーベリック・ビニャーレスが犯したミスの方がより重大だという。

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 ホルヘ・ロレンソ(レプソル・ホンダ・チーム)は、カタルーニャGPの素晴らしいレースを台無しにしたかもしれないが、彼のミスはマーベリック・ビニャーレス(モンスターエナジー・ヤマハMotoGP)が予選で行ったことに比べればずっと軽いものだ。

 カタルーニャGPの決勝24周中、2周目で2番手だったマルク・マルケス(レプソル・ホンダ・チーム)は、10コーナーに進入する際にアンドレア・ドヴィツィオーゾ(ミッション・ウィノウ・ドゥカティ)に仕掛け、エイペックスで追い抜いた。そのためドヴィツィオーゾは、彼の典型的なアンダーカットの戦略に備えるためにラインを調整した。

 そのとき、ロレンソは3番手を走行中のビニャーレスを追い抜こうとしていたが、突如として行き場がなくなってしまい、フロントブレーキを強めにかけた。そのためフロントタイヤがロックしてロレンソは転倒し、彼の倒れたバイクがドヴィツィオーゾを転倒させ、次にビニャーレス、最後にバレンティーノ・ロッシ(モンスターエナジー・ヤマハMotoGP)を転倒させた。

 したがってビニャーレスは何列かグリッド位置を下げられて当然だった。彼が二度とこうしたアマチュアのような危険行為をしないようにするためにだ。

 元Moto3チャンピオンであるビニャーレスに与えられたこのペナルティが厳しすぎると思う人は、ノーマン・ブラウン、ピーター・フバー、ラインハルト・ロスの名前をインターネットで検索すべきだ。

 この3人のライダーたちは全員が速度差の犠牲となった。マン島TTレース優勝者のブラウンは、1983年のイギリスGPで、テクニカルトラブルのためにピットに向けて走行中に亡くなった。ブラウンはスイス人ライダーのピーター・フバーに後方から追突されたのだ。フバーはフルスピードで走行していた。フバーも命を失った。

 グランプリを運営していたACU(オート・サイクル・ユニオン)の競技員は、事故現場を走り抜けたケニー・ロバーツや他のライダーたちが自主的にピットに入るまで、レースを中止しようとしなかった。

 バイクレースの責任者たちがライダーのことを使い捨てのパフォーマーだと見なしていた、暗黒の時代だった。

「ブリテンの戦いのような考え方だ」と当時グランプリにプライベーターとして参戦していたクライブ・ホートンは語った。

「パイロットはライダーのように自分の仕事をする。彼らが出撃してひとりが負けても、常に代わりのパイロットがいる」

 7年後、ホンダのファクトリーライダーのラインハルト・ロスは、1990年のユーゴスラビアGPで、250ccクラス首位を争っていた。彼は混み入ったトップ集団のなかで戦っていたため、コース前方への視界が大きく遮られてしまっていた。

 レース終盤、ロスの前方のライダーたちはオーストラリア人のプライベーターのダレン・ミラーが、レーシングラインを辿ってピットに戻ろうとしているのを発見し、彼を避けようと進路をそらした。

 ロスは回避のための行動をとることができず、高速でミラーに衝突した。ロスは重傷を負い、二度とレースはできなくなった。ロスは今も半身不随で寝たきりの状態にあり、身体の片側には麻痺が残っている。

 イギリスのスーパーバイク選手権シリーズでディレクターを務めるスチュワート・ヒッグスは、こうした事故の恐ろしいビデオ映像を使って、同シリーズに参戦するライダーたちに分別を教え込んでいる。私は、ビニャーレスや他のMotoGPライダーたちも同じビデオを見るのがよいと思う。

 フロントのコントロールを失い、クラッシュして世界選手権の戦いを台無しにすることと、人生を台無しにすることはまったく違うことなのだ。

カタルーニャGPの決勝スタートシーン
ロレンソの転倒による被害者3人の中で、バレンティーノ・ロッシが一番冷静だったという。
1周目で5番グリッドスタートからトップに立ったアンドレア・ドヴィツィオーゾ
マーベリック・ビニャーレス(モンスターエナジー・ヤマハMotoGP)

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