いよいよ夏の移籍マーケットがオープンする。
セリエA最強ディフェンダーと評価されるナポリのセネガル代表DFカリドゥ・クリバリも去就が注目されている。
昨年のワールドカップで日本代表とも戦った彼はセネガル人の両親のもとフランスで生まれ育った選手。
その彼が2002年日韓ワールドカップの思い出を明かした。『The Players' Tribune』で、10歳当時の話をこう綴っている。
カリドゥ・クリバリ
「2002年のワールドカップ、フランス対セネガル戦の時に学校に行かなくてはいけなかったことを覚えている。
あの大会は日本で行われ、時差があった。
休み時間になるとみんなで外に出て、まるでワールドカップ決勝かのようにフットボールをしたよ。その後に戻って勉強しなければいけなかった。
全員が凹んだ。あの試合は午後2時だったからね。
1時59分になると先生はこう言ったよ。『さあ、みんな教科書を開いて』って。
みんな教科書を開いたけれど、夢想していた。誰も読書のことなんて考えられなかったよ。
僕らが考えていたのは、アンリ、ジズー(ジダン)、ディウフのこと…。
2分が経ち、3分が経った。その時、先生が時計を見て、『OK、みんな教科書をしまって』と言ったんだ。
みんな思ったよ、なんだ?なんの話?ってね」
カリドゥ・クリバリ
「先生は『今からみんながとても退屈するはずの教育映画を観るつもりです』と言った。
そして、リモコンをとると、教室の小さなテレビに試合を映したんだ。『これは僕らの秘密だよ』と言ってね。
自分の人生で最も美しい瞬間のひとつだった。
25人のクラスには、トルコ人、モロッコ人、セネガル人、フランス人がいたけれど、僕らはみんな一緒だった。
セネガルが勝った後のことをはっきりと覚えているよ。
学校から帰宅すると、セネガル人の友達の両親たちが全員で道で踊っていたんだ。
そして、誰もがとてもハッピーだった。トルコ人やフランス人の両親たちも彼らと一緒に踊っていたよ。
この記憶は心に強く残っている。これこそがフットボールだから。これこそが僕の育ってきた街だから」
イタリアでは人種差別の対象になってしまったクリバリ。ただ、幼少期の経験から「僕らは全員兄弟」という考えを持っているようだ。
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なお、セネガル対フランス戦が実際に行われたのは、韓国のソウル。