「歌丸さんは本当に地元に愛されていた」 作家・山崎さん

桂歌丸さんの遺影に献花し、静かに手を合わせる山崎さん =2018年7月3日、横浜橋通商店街

 33年前に江戸川乱歩賞を受賞し、落語家の桂歌丸さん=享年(81)=から“ファンレター”を受け取った作家の山崎洋子さん(71)=横浜市金沢区=は当時38歳だった。「受賞直後から仕事がいっぱいきて、いきなり作家デビューとなった」。慌ただしさから歌丸さんに返信できなかったが、2人の交流はしばらくして始まった。

 きっかけは十数年前、横浜唯一の大衆演劇の常打ち劇場「三吉演芸場」(同市南区)の会長だった故・本田玉江さんの紹介だった。山崎さんは南区内に引っ越した時期で、歌丸さんにファンレターのお礼を伝えたことから親交が深まった。

 「さすが、歌丸さん。落語家として本物だなって思ったことがある」。山崎さんは、歌丸さんにかねて尋ねたかったことを質問する機会があった。「現代の人たちには、古典落語の長屋や遊郭は説明しないと分からないのではないでしょうか」

 歌丸さんは「幸いなことに実家が遊郭だったから、まずあたまに話を振って、遊郭ってこんなもんだとさりげなく説明しておくんですよ」とさらりと答えた。山崎さんは「なるほどなあ」と感服したことを鮮やかに覚えている。

 2人が最後に会ったのは、亡くなる1年前の2017年7月9日。当時、山崎さんは地元の吉田新田の350周年を記念し、この地で生きる人をテーマにした写真展を主宰する中心メンバーだった。その撮影のため、歌丸さんが落語会を開いていた関内ホール(同市中区)の楽屋を訪れた。

 「どうしても歌丸さんに出てもらいたかった」という山崎さんの依頼を快諾してくれた歌丸さんは鼻に酸素吸入のチューブを付けた姿で撮影に臨み、2人で談笑した。「あんな体で、すごく笑わせてくれるのです。おもしろい話を私一人のために」

 歌丸さんが亡くなったのは昨年7月2日。翌日、献花台が設けられた横浜橋通商店街(同市南区)に山崎さんも駆け付けた。献花台の前で高齢の女性が号泣する姿に目がくぎ付けになった。

 この女性は、千円札を握りしめて献花台に進もうとした。商店街の担当者が「(お供えするのは)お花なの。用意してあるでしょ、このお花」と慌てて引き戻した。女性は「どうしていけないの? これをあげたいの。歌丸さんなのよ!」と泣きながら必死に伝えていた。山崎さんには、女性が花ではなく香典という形で歌丸さんに感謝の思いを伝えたいと願っているように映った。

 「『私たちの歌丸さんなのよ!』という気持ちが伝わってきて、私も泣いてしまった。歌丸さんは本当に地元に愛されていたのです」

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