【世界から】スイスで定着した「GINMAKU」とは

上映後に行われた質疑応答に臨む近浦監督(C)2019 www.toru-maru.com

 スイスの最大都市チューリッヒ。この地には以前より日本映画をシリーズで定期的に楽しむ土壌があった。ところが、観客が求めるものは「ミフネ」や「クロサワ」「キタノ」といった世界的に知られている巨匠の名をいわば〝キーワード〟として集まっている印象があった。

 しかし、2014年に日本映画祭「GINMAKU JAPANESE FILM FESTIVAL」が始まってからは、「日本映画の現在地」を知りたいファンが育ってきつつある 。

 映画館の火事により中止した2年目も乗り越え、5回目となった 今年は、沖縄やダム、性暴力、同性婚など、現在の日本社会を取り巻くテーマの映画がプログラムに並んだ。そのようなテーマの中で、不法労働者に焦点を当てた近浦啓監督の 短編映画「Signature」(17年)と長編映画「Complicity」(18年)の2作品初同時上映によって、5月22日に開幕した。移民問題は、 欧州連合(EU)の存在を根底から揺り動かしており、スイス人にとっても切実なテーマだ。そんな中、この2作品は一個人としての移民の人生をグローバルな視点から考える貴重な機会を提示した。 上映後には、近浦監督を迎えて活発な質疑応答がなさ れたほか、その数日後にはチューリッヒ大学で監督のワークショップも行われた。多忙なスケジュールの近浦監督だが、スイス滞在最終日にインタビューすることができた。

▼近浦啓という映画監督

 「映画を仕事にしようと思ったきっかけは、1991年に偶然観た映画『シザーハンズ』 にインスパイアされたから。大阪大学で経済学を学び、映画制作会社に入ったが、そこはクリエイティヴな世界ではなく、睡眠を削って走り続けるだけの日々だった。使われる台本も小説やマンガ等を基に作られているので、全部自分で作る映画を手がけるために独立した」

 そう語る近浦監督は2013年に 藤竜也主演の短編映画「Empty House」でデビュー。フランス・カンヌや台湾・高雄の国際映画祭で上映された。

 「Signature」と「Complicity」の2作品は、もともと同時上映を目的に作られたわけではない。扱っているテーマはともに不法労働者についてだが、まず、自身にとって初となる長編映画は、不法労働者の物語を是が非でも描きたいという強い思いがあった。その熱意は「Complicity」として結実するのだが、その制作過程で「Signature」が生まれた。時系列でいえば、「Signature」が先に完成しているが、そのきっかけとなったのは「Complicity」だったのだ。

 「Complicity」の制作に当たって近浦監督は20人以上の在日中国人やベトナム人などに取材。次にオーディションで中国人俳優のルー・ユーライに出会い、主演にすることを即断する。実際の長編撮影を前にテストとして撮ったのが、13分の短編「Signature」だった。

 「Signature」は17年にスイスで開催された「第70回ロカルノ国際映画祭」で 、約5000の応募作品から選ばれた18本の短編コンペティション部門にノミネートされた 。その直後に撮影を開始した「Complicity」 は昨年9月のトロント国際映画祭(カナダ)での世界初公開後、釜山国際映画祭(韓国)を経て、同11月開催の映画祭「東京フィルメックス」において日本初上映され「観客賞」に選出された。今年2月には世界三大映画祭の一つであるベルリン国際映画祭でも上映された。

チューリッヒ大学で開催されたワークショップで話す近浦監督(C)2019 www.toru-maru.com

 日本語で「共謀』を意味する「Complicity」は、日本でもようやく来年の1月から劇場公開されるそうなので物語の展開には触れない。だが、 タイトルは蕎麦職人(藤竜也)と主人公(ルー・ユーライ)の関係を指している。そう指摘した近浦監督は、作品の込めた意図について次のように話した。「全てに受け身だった主人公が、その関係を経て初めて変わる、そこを描きたかった」。

▼スイス人が抱いた感想

 スイス上映の感想を尋ねた。すると、近浦監督は「観客のリアクションから共感を得られたと感じた」と満足そうに振り返った。言葉を裏付けるように「GINMAKU」でオープニング上映された直後から写真共有アプリ「インスタグラム」経由で「自分も移民2世だからか、共感できた」「生涯観た映画の中で一番感動した」などの感想が 届き始めたという。

 実際、インタビュー後に筆者が取材した時にもスイス人から「遠い国の話が、段々スイスに出稼ぎに来たイタリア人達とダブッて見えるようになった」などといった声を聞くことができた。

 近浦監督が言葉を継いだ。「スイスは四つの言語圏に分離しているのに、スイスというアイデンティは確立されており、多様な文化・人種が共生する土壌ができている。 海外における、日本映画に絞った映画祭に参加するのは今回初めてで、その意義を理解せずに来たが、 これほど楽しみにしてくれているとは思っていなかったので驚いた。スイス上映を通して、日本文化に興味があり、温かく迎えてくれる観客にアクセスすべきだと初めて解かった」。そして、自分の描いた問題が世代や国を越える 「普遍」なものだと改めて実感する良い機会になったと笑った。

 近浦監督は「Complicity」について、「長く待っていた夢の宝物」と表現する。その上で、「 一人の人間の物語をできる限り丁寧に描くことにより、観客が主人公と自分の間に何か共通点を見つけて、共感してもらえたら嬉しい」と願いを口にした。

 「映画が政治的役割を果たせるとは毛頭思っていないが、日中間には共通点が沢山あるので、音楽やドラマなどを通しての友好が鍵になるのではないか」。講義後の質疑応答で、悪化する日中関係の改善に向けたアドバイスについて問われ、近浦監督はこのように答えた。

 この言葉を聞きながら、はっとした。そのまま欧州にも応用できることに気づいたからだ。この映画を観て、日中関係を案じ、ふと我に返った欧州人が自国の移民の人生を尊重できたら、ポピュリズムに逃げない人間同士の関係が作れるのかもしれない―。筆者の心にそんな希望を広がっていた。(チューリヒ在住ジャーナリスト中東生 共同通信特約)

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