誰もが振り返るほどの美人編集デスク・引地裕美の憂鬱
週末、昔初めて2人で出かけた山間の公園にでもドライブに行こうかと、彼女の裕美を誘った。
最近、裕美は自分の行きたいところを主張しない。もともとは仕事でもプライベートでも、明るく、社交的で、まるで自分の気持ちを抑えているようなことはない女性なのだが、デートをしていても主張しなくなり、感情を押し殺しているようにさえ感じられる。
そのことに気づいた僕は、だんだん申し訳ない気分になっていた。別段、悪いことはしていないつもりだが、一緒にいても、なんだか、いびつさというか、違和感を覚えてしまう───。
(この物語はフィクションです。)
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裕美には弱点がない。
容姿は僕の友人の誰もが羨むほど美しいし、性格だって誰にでも優しく、他人を蔑むようなこともない。職場でも活躍していて、上司や後輩からの信頼も厚いと聞いている。
彼女の職場は、世界的に有名な海外系ニュースサイトの日本版編集部だ。そこで彼女は編集者として忙しく仕事をこなしている。長い留学経験が彼女のキャリアにいい方向に影響しているのだろう。
待ち合わせ場所に着くなり、裕美の姿が見えた。こちらに向かって手を振っている。そして、さほど周囲を気にすることもなく、僕の名前を呼んでいる。
今月納車されたばかりの愛車、新型RAV4の隣に来るなり、「ハーイ! 裕美だよ」と言いながら助手席のドアを開けた。なんというか、行動がいちいちアメリカナイズされているのだ。
裕美:「ねえ、RAV4のラヴってさ、L・O・V・Eじゃなくて、R・A・Vなんだね」
僕:「そうだよ。LOVEじゃすごくメルヘンなクルマになっちまう」
裕美:「けどLOVEのほうが絶対可愛いよ。カタチだって色だってRAVじゃなくてLOVEっぽいじゃん」
たしかにツートンカラーのRAV4は、RAVじゃなくてLOVEでもいいくらいポップな雰囲気を放っている。しかし、このクルマは、ただの大衆受けのよいスタイルを備えた都会派SUVではない。本格的な悪路走破性能を備えていて、4WDだってグレードごとに3種類も設定されている。
別に裕美が3ヶ国語を話せるから対抗したわけではないが、僕は、こういった外観からはわかならない実力を備えた部分に惹かれ、購入を決めたのだ。
しかも選んだモデルは、「アドベンチャー」だ。「ダイナミックトルクベクタリングAWD」という最も長い名称を持つ4WDを搭載するグレードである。一番名前が長いのだから、きっと悪路走破性能が一番高いに違いないと思ったのだが、実際にその性能を実感できるような悪路を走ったことは・・・、まだない。僕にとっては、いざという時にどんな道でも“走れる”という安心感のようなものが大事なのだ。
そのことを、裕美は「そんなの無駄よ」とひと言で片付けようとするが、一番高いグレードではないことを説明したら、「ならいいかもね」と意見を一変させた。どうも最近、僕の金の使い方に一家言あるようだが、それは僕の勝手だろう。結婚して家計を共にしているわけでもあるまいし。
そして今日も、中東情勢がどうのこうのとはじめ、クルマに乗るなり燃料代についてうんちくをたれている。ただ、表情は明るくいつもどおりなのだが、何かを我慢している。そんな疑いは晴れない。
運命のいたずらなんてよくある言葉では片付けられない
裕美と付き合いだしたのは数年前だが、出会ったのは大学時代だ。
同じ大学で同じサークルという、知り合うにはごくありきたりなシチュエーション。ただし彼女とは学部が違ったため、月に一度の全学部合同の会合でしか顔をあわせることはなかった。当時から不思議な空気感を持っている人だとは思っていたが、そのうち、卒業するかしないかのタイミングで、彼女はアメリカの大学へ転入していった。
ちなみに、僕はまだ一度も日本から出たことがない。就職して27歳になる今もだ。ワールドワイドな飛躍をはたした裕美とは正反対の生き方である。
趣味は城をはじめとした史跡巡りで、全県踏破を目指している歴史ヲタクでもある。ただ、だからこそ、北米をはじめ世界的に人気が高いグローバルなモデルであるRAV4を相棒に選んだのかもしれない。ないものねだりなのだ。
大学を卒業して数年が経った頃、裕美とたまたま街中で出会ったことは、運命のいたずらなんてよくある言葉では片付けられない。場所は渋谷の雑踏だった。あんなところでたまたま知り合いが近くを歩いていたとしても、なかなか気づくことはあるまい。
ただ、その時は違った。彼女は、数年を経て、理性的な佇まいが好ましい、誰もが振り返るほどの美人になっていた。しかも、その時声をかけてきたのは彼女のほうだったのだ。
そんな思い出に浸りながらRAV4のハンドルを握っていると、景色の美しい、ある吊り橋に着いた。
裕美:「日本にもすてきな吊り橋があるんよね」
僕:「アメリカにはもっとすてきな吊り橋があるかのような言い方だね」
裕美:「あるわよ。ブルックリンにあるヴェラザノ・ナローズ・ブリッジ。NYマラソンのスタート地点にもなってるの」
僕:「そうか。けど、世界最長の吊り橋は、日本の明石海峡大橋なんだぜ」
僕がそう言い返すと、裕美は黙ってしまった。時々感情が読み取れないことのある彼女だが、最近は、日米間の違いに関する意見を僕が主張すると、こうなってしまうことが多い。しばらくして、
裕美:「知らないよ」
裕美は素早くそう言うなり、僕のことを見た。そして、もう一度言った。
裕美:「あたしはそんなの知りたくない」
知らないといえば、僕も知らないことばかりだ。RAV4のRAVの意味も、SUVの意味だって本当は知らない。それでもこのクルマに乗っているし、この洒脱な雰囲気が気に入って日々使っている。裕美も、日本の知らないことを、さらに知ろうとしてくれればいいのに。そうすればもっと日本での生活が楽しくなるのに。
これまで彼女に抱いていた違和感の正体、それは・・・
やはり、別れ話なのだろうか。
裕美は絶対になにか言いたいことがあるのに言わずに葛藤し続けている。けれど僕にはそれを開放してやることも、話をさせるきっかけを作ってあげることもできない。だって、僕は別れたくないのだ。
目的地の城跡公園に着くと、裕美はとびっきりの笑顔を作って楽しい雰囲気を作ろうとしてくれた。逆にその姿が痛々しくもある。ただ、石垣の上に座る彼女の姿は、完璧に美しかった。
僕:「なあ裕美、昼食はどうする?」
裕美:「どこでもいいよ。ファミレスでもなんでも」
僕:「う〜ん、それなら、せっかくここまで来たんだし、地元料理を食べようよ」
裕美:「日本料理が好きだよね」
僕:「いや、別にこだわりはないけど」
また、彼女の笑顔がすこし曇ったように見えた。この世代には珍しいのかもしれないが、僕は子どもの頃からファミリーレストランがあまり好きじゃなかった。そう考えると、言われてみれば、やはり日本のものが好きなのだ。
女性というものは、いつだって自分と未来を見ている気がする。僕のつたない恋愛経験を振り返ってみても、放っておけば彼女たちは一日中鏡を見ているし、恋愛をすれば、結婚やその先、ゴールのことを考えずにはいられないように思える。
それに対して、男はもっと概念的だ。いつも自分の地位や名誉のことを考え、いかに出世するか、収入を増やすかなどを夢想する。そして、歴史の本ばかり読み漁り、過去を気にして、それを人生訓にしようとする。
食事が終わって車内に乗り込むと、ついに彼女が意を決して何かを言おうとしている気配が感じられた。僕は彼女を見ないようにした。だが彼女は、彼女を見ていない僕をじっと見ている。
裕美:「実はね、あたし・・・。ニューヨークへ異動が決まったの・・・。」
僕は何も言えない。
裕美:「だからさ・・・、突然で驚くかもしれないけど・・・。」
もう何も聞きたくない。
裕美:「向こうであたしと一緒に住まない?」
僕:「え、なんだって?」
裕美:「結婚しよ」
逆プロポーズ。驚き過ぎて、自我を取り戻すのに時間がかかったが、これまで僕が彼女に抱いていた違和感の正体は、なんとこれだった。
なんでも、彼女が務めているニュースサイトは、アメリカでは日本とは桁違いのアクセス数を確保しているのだという。そして今、同サイトの日本版で若くしてデスクを務める彼女のような日系人を即戦力として求めているというのだ。さらに、日本の歴史に詳しいスタッフも募集中なんだとか。裕美は僕をそれに推薦したいというのだ。
仕事に関しては、すぐに返事はできない。それほど愛着があるわけではないが、僕だって今の職場に対して恩義がある。
だが、僕はRAV4を選んだ男だ。日本人や日本という国、またはそれを代表するものが、自国の歴史を背負いながら世界で活躍するストーリーは悪くないと思っている。RAV4のように、僕にもそんなことができるのか夢想すると、心が踊ってしまう。
結婚に関しては、言わずもがなだ。これからは、自分の生活のことばかりでなく、裕美との未来を考えなくちゃならない。アメリカの歴史も勉強しようかな。僕がはっきりと答えを言わず、ひとり妄想にふけっていると、
「答えはイエス! でしょ(笑)」
くっきりとした笑顔とともに、助手席に座る裕美はそう言った。
[Text:安藤 修也/Photo:小林 岳夫/Model:引地 裕美]
Bonus track
引地 裕美(Yuumi Hikichi)
1992年2月6日生まれ(27歳) 血液型:B型
出身地:神奈川県
2019UPGARAGEドリフトエンジェルス
2016-2019 FLEX GIRL
2014-2018年 エヴァレーシング 綾波レイ役