北方領土「プーチン氏が主権守ってくれた」 安倍政権交渉の皮肉、クリミア奪われたウクライナ識者

By 太田清

G20サミットの夕食会を楽しむ(左から)トランプ米大統領、安倍首相、ロシアのプーチン大統領=6月28日夜、大阪迎賓館

 「戦後70年以上残されてきた課題に必ずや終止符を打つ」との意気込みで、6月28、29日行われた主要20カ国・地域首脳会議(G20大阪サミット)でのロシアとの平和条約大枠合意を目指してきたとされる安倍政権だったが、ロシアの強硬な姿勢を前に結果的に大きな進展もなく交渉は失速。安倍政権のアプローチにどのような問題があったのか、そもそも領土問題解決は可能なのか。 

 2014年のロシアのクリミア半島併合で自国領土を失い、その後もロシアの介入による東部紛争で関連死も含め1万人以上が犠牲になったとされるウクライナの出身で、北方領土を巡る安倍政権の対ロ政策を厳しく批判してきた国際政治研究者のアンドリー・グレンコ氏に聞いた。 (聞き手は共同通信・太田清) 

国益守る視点 

―G20の場で日ロ間による北方領土問題での合意はなかった。 

 「合意がなかった方が日本の国益にとり良かったのではないか。(歯舞、色丹)2島引き渡しによる平和条約締結という安易な妥協を図るより結果的には良かったと考える。そもそも、現在の日本の対ロ・スタンスは問題がある。国益を守るとの視点に欠けている」 

 「とにかく平和条約を締結したいということで、2島返還を目標にするという点に問題がある。少なくとも4島返還があるべき姿で、日本の主権を守るために(安倍政権は)今の交渉姿勢をリセットしてやり直すべきだ。皮肉なことだが、日本が譲りに譲った2島ですら返還しないという強硬姿勢を示すことで、ロシアのプーチン大統領とラブロフ外相は逆に日本の領土(国後、択捉2島)の主権を守ってくれたとも言える」 

レガシーづくり 

 ―なぜ、安倍政権はいわゆる「2島プラスアルファ」(1956年の日ソ共同宣言を基礎に歯舞、色丹の主権を回復、さらに経済活動などで譲歩を得るものの国後、択捉のロシア主権は認める)を容認する立場に転換したのか。 

 「安倍晋三首相の真意は推測するしかないが、日本の長期的国益よりも、とりあえず目の前の(領土)問題を解決したい、いわゆる自らのレガシー(政治的業績)を残したい、アピールしたいとの理由があるのではないか。(面積で言えば)北方領土の大部分の(国後、択捉の)主権を放棄しても、ロシアを支援し平和条約を結べば、ロシアは中国に同調しないのではないかとの思惑もあるのではないか」 

 ―そもそもロシアとの経済協力や北方領土の共同経済活動は日本の国益にかなっているのか。 

 「特定の企業などは潤うかもしれないが、日本全体の国益にはならない。主権が曖昧なままに共同経済活動を行っても結局、営業・開発許可や納税などの問題に突き当たる。事実上、ロシアの主権を認めることになり、逆にロシアに『日本がロシアの主権を認めた』とPRされることにもなる」 

 「日本の協力でロシア、北方領土が潤えばどうなるか。さらに北方領土が発展すればロシアによる実効支配が強化され、ますますその返還が遠のく」 

 ▽中ロ同盟 

 ―中国の脅威に対し、プーチン氏が日本の側に立つとの幻想があるのでは。 

 「ロシアは日本をまともに相手にしていない。ロシアにとり中国は最も重要な事実上の同盟国であり、ロシアの外交上、中国より大切な国はない。日本に配慮して中国と同調しないことはあり得ない」 

 「中ロは経済、軍事、対米戦略でお互いを必要としている。特に米国に対しては中ロとも単独では対抗できないことから、くさびを打ち込まれるのを許さない。日本との間で何らかのしがらみがあったとしても、対中関係の重要性は日本のそれと比べると差がありすぎる。ロシアとの関係改善は中国抑止の面から何の意味もない」 

 ―エリツィン政権時代のように米国との関係改善を通じて、米国との同盟関係構築に向けて動いた方が得ではないのか。 

 「ロシアには20世紀前半から世界の覇権を握った米国に対する嫌悪感、羨望があり社会に根深く浸透している。ロシアが真の民主国家であれば可能性はあるが現状では、中ロは覇権主義、拡張主義、人権抑圧など価値観も同じで、逆に米国とは外交、人権、安全保障の面で全く話が合わない。米ロ間の価値観の違いは乗り越えられないほど大きく同盟関係を結ぶことはあり得ない」 

 「プーチン氏にとり国内の体制維持が何より重要で米国はこれを保証できないが、逆に中国は現在のプーチン体制を何より必要としている。ロシアにとり日本は所詮、米国のかいらいで基本的に信頼していない。プロパガンダや領土交渉を通じ日米関係にくさびを打ち込み日米安保体制を弱体化させようとしている」 

 ▽時間軸 

 ―日本には領土問題に対する長期的視点がないのでは。 

  「日本の政治家には国家観、時間軸の考えが欠けている。これから未来永劫の時間があるのに、現代の視点だけで考えている。70年以上たっても領土は返還されず何かをしなくてはとの視点だ。しかし領土は現代の人のものだけではない。我々の子ども、孫、将来の世代も共有するものだ。その重要さを分かっていない」 

 「ロシアは北方領土を返す気は全くないのに、にんじんを馬の鼻先にぶら下げるかのようにあたかも返還するかも知れないとの姿勢を見せ、極東開発への資金、技術、人材を提供させようとしている」 

 ―クリミア併合で主要国首脳会議(G8)の場から追われたロシアが、先の大阪サミットではトランプ米大統領、習近平中国国家主席、ホスト国日本の安倍首相らと並び国際舞台に復帰したかのような印象を醸し出した。 

 「その点ではロシアの戦略がうまくいっている面もある。不当な利益を得たことは脇に置いておいて『対話や話し合いが大切』と言ってくる。そもそものきっかけとなったことは解決済みとして忘れ去らせ、状況を固定化しようとしている。その点ではクリミアも北方領土も同じだが、強いメッセージを出し続け国際社会に関心を持ち続けさせなければならない」 

 ☆ アンドリー・グレンコ氏 1987年、キエフ生まれ。2012年、キエフ国立大学日本語専攻卒業。13年、京都大学へ留学。19年3月、京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。3月に「プーチン幻想」 (PHP新書)を出版。安倍首相が「歯舞、色丹の2島返還で平和条約」という領土問題解決を目指していると指摘、こうした条件で平和条約を締結すれば国後島と択捉島のロシア帰属を認めることになるとして、対ロ政策の見直しを提言した。6月にはウクライナの経験を基に日本への提言をまとめた新著「ウクライナ人だから気づいた日本の危機」(育鵬社)を上梓した。

アンドリー・グレンコ氏=5日

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