【社会人野球】2年前の指名漏れから今秋ドラフト候補へ名乗り 名門社会人打者に芽生えたもの

日本通運・諸見里匠【写真:編集部】

日本通運の主軸・諸見里匠内野手 沖縄尚学では春夏甲子園出場 国学院大では主将

 13日に第90回都市対抗野球大会が開幕する。5年連続44回目の出場となる強豪、日本通運の諸見里匠内野手は、国学院大4年だった2年前のドラフトで指名漏れを経験。悔しさをバネにプロの舞台を目指し、勝負の年に挑んでいる。

 沖縄県出身の24歳。沖縄尚学では1年から遊撃のレギュラーを掴み、3年時には主将として春夏ともに甲子園に出場した。進学した国学院大では1年の春からリーグ戦に出場し、高校に続き大学でも主将を務め、4年春にはベストナインを獲得した。

「小・中・高・大でキャプテンを務めましたが、しゃべるのは上手くないです。プレーで引っ張っていくタイプでした。大学進学のために沖縄から上京しましたが、すんなりと新しい生活に馴染むことができました」

 国学院大では山崎剛内野手(楽天)とともに二遊間を組んだ。高い守備力が魅力だが、大学で守備の基本を徹底的に叩き込まれ、それが体現できるようになったことが上達の理由だという。4年春にベストナインを獲得したことも自信になり、プロ志望届を提出。しかし、山崎が楽天から3位指名を受けた一方で、諸見里の名前が呼ばれることはなかった。

「大学では、守備は成長しました。山崎と一緒に、コーチに付きっ切りでノックをしてもらいました。守備には自信がありましたが、ドラフトで指名されなかったのは打力不足が原因だと思います。4年秋の打率は2割台でした」

2年前ドラフトでは沖縄の自宅にテレビ局や記者が駆け付け、指名を待ったが…

 ドラフト当日はリーグ戦の試合日だった。試合には集中できたが、ベンチではドラフトのことが頭をよぎった。試合後、寮で着替えを済ませ、山崎とともに学校に向かっている途中で既に1位の発表は終わっていた。学校に着いたときには4位の指名が始まっており『もうないだろうな』と思った。

「周りの方々に『まだ先がある。2年後にはよろしく頼む』と声をかけてもらい、たくさんの人が自分を応援してくれていたことが分かりました。その人たちの期待を裏切り、みんなの思いに応えることができなかった。それが辛かったですが、野球人生が終わったわけではないと、気持ちを切り替えました」

 卒業後は社会人の名門、日本通運に入社。2年後のプロ入りを目指し、課題の打撃に磨きをかけた。

「いろいろな先輩方から教えてもらいました。左の肩が開くとバッティングが崩れる。左の肩を我慢する、左の壁を大事にするようにしたら、飛距離が伸び、打率も上がりました。地方大会では率も残せたし、スイングも速くなった。自分の形を掴めてきています」

 昨年の都市対抗では2試合で3安打1打点を記録し「東京ドームで、観客がたくさんいる中でプレーできるのは幸せだった」と笑顔を見せる。負けたら終わりの大会を戦うことで、学生の時より1球の重みがわかるようにもなった。

「社会人野球は一発勝負の世界。自分の結果より、チームが勝つことが大事だと思います。社会人でも、何年間野球を続けられるかわからない。そんな状況の中で、自分がどうやって生きていくかということも考えました。もっと、守備にも打撃にも磨きをかけなければいけない。大学の時に指名漏れしたことも、いい経験だったと思っています」

 今はドラフトのことは考えず、自分を取ってくれた日本通運の勝利に貢献するため、都市対抗へ向け準備を整える。

「チームのためにプレーすれば、おのずと結果も付いてくる。ドラフトを意識していないと言ったら嘘になりますが、指名されなくて悔しい思いをしたときに、声をかけて下さったチームのために、最善を尽くしたいと思います」

 2年前のドラフト当日は、沖縄の実家にテレビ局や記者、兄の同級生などたくさんの人が集まっていた。兄の同級生からは「今度はおいしいお酒を飲ませてくれよ」と声をかけられた。「今年は笑いたいですね」と笑顔を見せる24歳は、目の前に迫った大舞台で、チームのために活躍を誓う。(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

© 株式会社Creative2