顔・人│VIP インタビュー 名門一族が経営する”重要文化財”的ビルマ料理店のオーナー 国内有名観光地に支店を計画する事業欲旺盛な女性実業家 Tun Thida Oo トン・シダ・ウーさん ヤンゴンには、というよりミャンマーでは2つの有名なミャンマーレストラン(ビルマ料理)がある。ひとつはヤンゴン管区政府庁舎から南へ1キロばかりいった邸宅街にある「Padonmar Restaurant」で、長らくミャンマーレストラン協会の要職にあったSonnyさんがオーナーを務めるここは、どちらかというと西洋人観光客で賑わいを見せている。

ヤンゴンには、というよりミャンマーでは2つの有名なミャンマーレストラン(ビルマ料理)がある。ひとつはヤンゴン管区政府庁舎から南へ1キロばかりいった邸宅街にある「Padonmar Restaurant」で、長らくミャンマーレストラン協会の要職にあったSonnyさんがオーナーを務めるここは、どちらかというと西洋人観光客で賑わいを見せている。

顔・人│VIP インタビュー 名門一族が経営する”重要文化財”的ビルマ料理店のオーナー 国内有名観光地に支店を計画する事業欲旺盛な女性実業家 Tun Thida Oo トン・シダ・ウーさん

Tun Thida Oo トン・シダ・ウーさん
House of Memories Owner オーナー

ヤンゴン在住の日本人なら誰でも知っている有名なミャンマー料理店の経営者は、印緬の独立運動で奔走した著名な独立運動家の末裔の一族だった。知られざる歴史的秘話を聞きながら、その現場となったダイニングで味わうミャンマー料理は格別だった。

ミャンマーを代表する料理店 日本なら”国宝”級の建物か

ヤンゴンには、というよりミャンマーでは2つの有名なミャンマーレストラン(ビルマ料理)がある。ひとつはヤンゴン管区政府庁舎から南へ1キロばかりいった邸宅街にある「Padonmar Restaurant」で、長らくミャンマーレストラン協会の要職にあったSonnyさんがオーナーを務めるここは、どちらかというと西洋人観光客で賑わいを見せている。
もうひとつが今回お招きしたトン・シダ・ウーさんがオーナーを務める「House of Memories」である。こちらは日本大使館ご用達という噂が流れるほど、日本人の観光客や常連が多い。レストランは市の中心部にあるが、「ウ・ウィザラ通り」という2車線道路から少々入るロケーションがわかりづらく、駐車スペースも少ないため、前者に比べてハンデがあるかと思いきや、どうしてどうして、1.2階のダイニングは連日満席状態である。雨季のこの時期は閉鎖しているが、西側には素敵なテラスガーデンのテーブル席もある。
「いつも、日本人のお客様にひいきにしていただいて光栄に思います。ご迷惑をおかけしている駐車場ですが、すぐ近くにもう1か所確保したので、わからなかったらお聞きください。」
冒頭、ロケーションと駐車場の問題を切り出したら、彼女から即座にこんな答えが返ってきた。さすがオーナーで如才ない。しかし流暢な英語をお話しになり、どことなく気品が漂ってくる。家柄や血筋のよさを感じ、どうやらは只者ではなさそうだ。
それはそうだろう。このレストランのコロニアル様式の建物は一世紀以上も前に建てられ、1940年代あたりからこの国の独立の英雄アウンサン将軍が事務所として使用したというあまりにも有名な歴史的事実が存在するからだ。だから建築学的にも、歴史的にも、日本風に言えば重要文化財、いや、もしかしたら”国宝”級の評価が下されるかも知れない代物なのだ。

建物は独立運動化Dina Nathの家だった スーチーさんもバレエの練習をした

そうした貴重な文化財的建物を、なぜ料理店にできたのか、という疑問が一方では湧くが、彼女からその経緯をお聞きすることができた。彼女の一族はやはり只者ではなかったのだ。
「少し長い話になります。ビルマ独立軍(Burmese Independence Army:BIA)が1941年以降に本部を置いたときのアウンサン将軍の最初の事務所でした。2階にあるオフィスは当時の家具をそのまま残してあり、この頃の新聞記事や将軍と妻のキンチー(Daw Khin Kyi)との結婚式招待状など、関連資料がいくつか展示してあります。その中でも最も有名な展示品としては、将軍がキンチーに宛てた『豆とナンがあれば食べたい』(ペービョーネナンビャーヤーイィンサージンデー)という直筆のメモ。どちらもミャンマーでは庶民の食べ物で、「建国の父」でありながら、ご両人は非常に庶民的で親しみやすい方々だったことが推測されます。」
ミャンマー特産の良質のチーク材をふんだんに使用したチューダー様式の建物自体も、1830-40年代に建てられたもので、歴史的建造物としての価値も高い。
もともとこの建物はインド人のDina Nath(ビルマ名:Datta Kahan Thein Thein通称はDina Nath)と妻のCaroline Nath(ビルマ名:Daw Khin Thein Thein)の邸宅であった。
Dina Nathはインド国民軍(Indian National Army)のビルマ支部代表であり、インドの独立運動家だった。後にあのインパール作戦のときに英軍を迎え撃ったインド軍の司令官であったチャンドラ・ボース(Subhas Chandra Bose)とも親交が深かった。
「ですからDina Nathもアウンサン将軍も、ともに英国からの独立を目指すビルマ・インド両国の独立運動家たちだったのです。そのためNathの仲介で、ここで様々な秘密会議が開かれていたそうです。またチャンドラ・ボースもラングーンを訪れたときに、ここに滞在しています。余談ですが、スーチーさんもご幼少の頃、ここでバレエの練習をしたことがあるそうですよ。」
彼女はそうした歴史的秘話を淡々と語りだした。ちなみに、戦後の1945年11月から始まったインド国民軍に対する英国植民地政府の裁判で、Dina NathはデリーにあるRed Fortに投獄された。
そして英国はインパールでの反逆者などを次々に極刑に処そうとした。しかしこれに怒ったインド国民が蜂起して、収拾のつかない事態になり、ついに1947年、英国はインドを解放し、事実上の独立を承認した。
Dina Nathはビルマ独立後の1949年に起きた「インセインの戦い」(Battle of Insein)において、ビルマ軍とカイン族(Kayin/Karen)との仲介のために奔走した。その功績により「Wunna Kyaw Htin」という称号をビルマ政府から授与されており、またビルマだけでなく、インド政府からもインド独立への功績が認められ「Indian Independence Award」を授与されている。

歴史を語り継ぐ博物館に 素材厳選の健康志向へ

「Dina Nathはビルマとインドの独立闘争ために、この家で将軍ら重要人物らが行う様々な秘密秘密集会を組織するのを助けていたのです。その後、この家の所有者は孫のRichie Nathになりましたが、Richie は空家になっていたこの建物をレストランと、こうした歴史を語り継ぐ博物館にすることを思いつき、息子にその夢を託したのです。」
その息子さんがTun Thida Ooさんのご主人であった。長らく国連のユニセフに勤務していたご主人は、現在のWHOの仕事に携わっていているという。また2人のご子息は今、英国に留学中だという。
「ここ10年間、目立った改装はしていませんから、この家の中を歩くのは、別の時代に旅するようなものです。アンティークの木製の椅子、デスク、古いタイプの調度品が部屋を埋め尽くしています。壁を覆っているのは将軍のスピーチの原本と、多数の歴史的なモノクロ写真です。将軍はもちろん、初代首相のU NuからインドのNehru首相まで、両国の独立系指導者たちと、私たちの曽祖父のDina Nathとの写真もたくさんあります。」
店のメニューには、「煮干しご飯」というフライドチキン、魚、ミートボール、卵の一部を添えた料理がある。
「ビルマの伝統料理が中心ですが、いろいろな種類が食べられるようにスモールプレートで 油、素材を厳選した健康志向を心がけています。私は個人的には和食が大好きです。イタリアン、フレンチもいいですが、刺身には目がありませんよ。」
お店ではタイ、中華、西洋料理など、さまざまな料理もメニューにある。食事を楽しみながらビルマとインドの独立をめぐる真に迫る歴史的資料に触れることができるのはこのレストランの最大の魅力だろう。

セレブ育成機関のヤンゴン校を開設 日本人の投資家と合同で事業を希望

彼女はもうひとつ名誉ある仕事を持っている。世界的なパーソナリティ開発プロバイダーで今年創立96年目を迎える名門の「John Robert Powers International」のフランチャイズ契約を2014年に締結してミャンマー初の学校をヤンゴンに開校したことだ。
アジアで最も新しい「John Robert Powers School」は、Kamaryut Townshipにあるが、ここでは人格開発と英語学習プログラムを中心としたセレブ養成コースを提供している。欧米でこのスクールに学んだ方は、故JFケネデイ大統領夫人ジャクリーン、女優のジェニファー・ジョーンズ、ラクエル・ウェルチ、エバ・ガードナー、ルシー・ボールや男優のヘンリー・フォンダ、タイロン・パワーなど、卒業者はまさに綺羅星のような著名人ばかりだ。
「スクールでは、人々に力を与え、彼らの潜在能力を最大限に引き出すことを目的としています。」と彼女は誇らしげに語った。
彼女の事業意欲は衰えることを知らぬようだが、本業のレストラン業でも夢は広がる。「House of Memories」は現在ヤンゴンに3店舗あるが、来年早々にインレー湖近くの高原に、4店舗目をオープンするという。ここは10エーカーの広大な土地にレストランだけではなく、Detox(体内毒素除去)もできるスパやヨガ、あるいは映画館やエディケーションセンターまで揃えたちょっとしたリゾートランドのような感じになるそうだ。近い将来、お年寄りたちのケアをする仕事の準備も兼ねているそうだ。
そして彼女はバガンやマンダレーといった他の観光地にも支店を出すことを計画している。将来的には日本も視野に入っていると、茶目っ気たっぷりに笑った。そのため、こうしたレストランビジネスを共同で展開していく意欲のある日本人投資家の紹介を弊紙が依頼された。
この件に関して、オーナーの目は真剣だった。しかし老舗の権威あるレストランだけに、興味本位や視察程度の商談やオファーはご遠慮願いたい。本気でやる気のある方ならば、検討の上、当方が責任を持ってオーナーサイドとの仲介役をする。弊紙までご連絡を。

<栗原富雄 略歴>
1949年 東京生まれ。週刊誌、月刊誌の取材記者を経て
月刊「Seven Seas」編集長、月刊「Vacation」編集長
月刊「MOKU」編集局長を歴任後フリーランスジャーナリストに。
元日本旅行作家協会会員VIP取材 ゴルバチョフ元ソ連大統領、
ダライラマ14世、Dロックフェラー、Aダンヒル、他多数。
著書 『アンチエイジング革命』他多数。
活動 NPOライフシェアリング協会理事
一般社団法人 日本ミャンマー文化経済交流協会専務理事
一般社団法人 ニュービジネス協議会事務局長
Yangon Press 編集長

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