1986年の秋元康 ― 小泉今日子「夜明けのMEW」にみる ほとばしる才気

先のコラム「秋元康の長期政権は「Aメロからサビに渡された10文字」から始まった」に続いて、80年代の作詞家・秋元康の凄みについて書きます。

その80年代の中でも、とりわけ本田美奈子『1986年のマリリン』を書いた、「1986年の秋元康」のほとばしる才気には、鬼気迫るものがありました。

そして、「1986年の秋元康」を代表する作品として、小泉今日子『夜明けのMEW』があると思います。

『夜明けのMEW』の売上枚数は15.8万枚。続くシングル『木枯しに抱かれて』が27.9万枚ですから、『MEW』と鳴く猫は、『木枯らし』に吹き飛ばされそうな、半分程度の売上にすぎないのですが、ここらあたりが釈然としない。楽曲、特に歌詞のクオリティだけで言えば、『木枯らし』は『MEW』の足元にも及ばないと思うのです。

歌い出しからして素晴らしい。1番と2番の歌い出し。

♪ パジャマ代わりに 着たシャツ   ベッドのその上で   君は仔猫の姿勢で   サヨナラ 待っている

♪ シェイドを開けた分だけ   陽射しが射すように   君が強がり言っても   今なら 見えるのさ

これだけで情景がびんびん伝わってくる。私がイメージする情景は、86年の初夏の深夜、杉並区方南町のワンルームマンション、「ベッド」は、黒い生地のソファーベッド、そしてベッドの横には、透明強化ガラスの黒い脚のテーブル――。

そして、その傑作性をさらに高めているのが、「同類項」の使い方です。「同類項」は、数学の授業で聴いたことがある言葉だと思います。「ab+bc=b(a+c)」みたいなやつですね。この場合「b」が同類項。「b(a+c)」は同類項をまとめたもの。

転じてここでは、歌詞の中で、ある言葉やフレーズ(=同類項)を繰り返すことを指します。図解化するとこうなります。

同類項をまとめてみました。たとえば歌い出しは「♪ 夜明けのMEW」なのに、最後では「♪ 心にMEW」となります。「MEW」が同類項。「MEW」を固定して、その前の「夜明けの」と「心に」を可変することで、イメージを広げています。

また、「♪ 終わらない(眠れない)夏」も、(杉並区方南町の)途方もなく切ない初夏の夜の情景をくっきりと表していく。

そしてそして、「同類項フレーズ」の頂点が、助詞1文字の変化で、意味を180度反転させる次のフレーズです―― 「♪ 君を(が)すべて知っていると思っていた」。

「を」では、女(=「君」)に対する男の慢心・わがまま、要するに「ツン」の世界を表し、それを「が」に替えると、意味もがらっと変わり、女に対する男の依頼心・執着、要するに「デレ」の世界になります。

「♪ 君を(が)すべて知っていると思っていた」。「を」と「が」だけで、失恋につながる男の浅はかさのすべてを言い尽くしていると思いませんか?

というわけで、「秋元康をすべて知っていると思っていた」とたかをくくらず、もう一度、「1986年の秋元康」を確かめてみれば、多くの発見があるのではないでしょうか?

※2017年6月11日に掲載された記事をアップデート

スージー鈴木

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