
現在公開中の映画『旅のおわり世界のはじまり』(黒沢清監督 日本・ウズベキスタン・カタール合同作品)を見た。
試写で見たのが5月だったが、愛するひとを思う気持ちに〝感電〟。
奇しくも5月に連れ合いに先立たれ、記憶の中で渾沌としている認知症の母への憐憫にも重なり、この映画について書こうとすると涙あふれ、それが乾くまでどうしても書けずにいたことを前置きしておく。
本作は、カンヌ映画祭で「ある視点部門」の監督賞を受賞した『岸辺の旅』をはじめ、国内外で評価が高い黒沢清監督の新作。
『セブンスコード』『散歩する侵略者』など黒沢作品でおなじみの前田敦子を主演に迎え、加瀬亮、染谷将太、柄本時生、そしてウズベキスタンの大スターであるアディズ・ラジャボフといった豪華俳優陣が脇を固める、かつての世界の中心・ティムール帝国を舞台にしたロードムービーだ。
と、簡単に説明したが、これがとんでもなく愛についての映画であった。
しかも見終わってからもじわじわとくる、さまざまな断面から覗く愛についての映画。
LINEで繋がる離れ離れの恋人たち、街で交差する異国の人々、ロケクルーのカメラマン、AD、通訳などなど、あらゆる人々からの愛。
監督の映画愛、主演女優に注ぐ愛情がふんだんであることは間違いない。
猫を追いかけ、異世界へ迷い込む“不思議の国のアリス”をカメラという万華鏡で覗いているような気分になる。
前田敦子扮するテレビバラエティー番組のリポーター「葉子」を取り巻くスタッフ、中央アジアの景観、人物。
珍獣ハンターじゃないけれど、幻の怪魚や毛むくじゃらの珍獣を追って珍しい食文化なども紹介しながら、葉子はスタッフとともに果てしない旅を続ける。

ある時、葉子は「危険な遊具」に乗せられ体験リポートをする。
この遊具、実際にタシケントの遊園地にあったそうで、旧ソ連時代に宇宙飛行訓練で使われていたと言われても頷けるような。
思わずスタッフが絶叫したと言われるほど、半端ではない危険な動きに恐怖を通り越し、見ている私はそのサディズムっぷりに、笑いをこらえるのに必死だった。
葉子と撮影クルーは中央アジアのどこかを彷徨い、そしていろいろな愛に触れたり、離れたり、つまずいたり、こちらを見つめたりする。
そんな彼らが『世界の果てまでイッテQ』のロケ隊に思えてくるのもケッサクだが、見終わってからもじわじわと「愛」が伝わってくる不思議な作品だった。
京橋の試写室で見た私は、『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(1985年)で共演した暉峻創三氏と久々の再会。
5月の夜風を頬に感じながらテルオカ君(役名)と銀座を歩き、当時のロケのことを思い出していた。
「恥ずかしさ」という鎖をちりぢりに吹き飛ばしたあの河原で、「ブラームスの子守歌」を歌った19歳の私。

不思議なものでテルオカ君との再会以来、なぜかドレミファ娘で共演したひとびととの再会が続いた。
しかも、どれもが「愛」にあふれる再会だった。
リンパ浮腫に悩まされていたある日。
ツイッターに、猛禽類の如くホーホーとつい愚痴をつぶやいた時のこと。
ドレミファ娘で私の相手役を演じた加藤賢崇氏から温かいリプライをいただいた。
「恐縮ですが、うちにリンパ浮腫用のタイツ余っていますよ。よければ送りますよ。まあオーダーメードの方がよいのかもしれないですが」
なんと賢崇氏の奥様の私物だというではないか。
でもなぜ? 確か、私と同じ婦人科のがんで闘病中と伺っていたものの……。
ほどなくして、賢崇氏から返信されたメールを見てうなだれ、言葉に詰まってしまった。
昨年の秋に奥様を亡くされたという知らせだった。そして、そこには21年前に、賢崇氏の家族と食事をした際の写真が添付されていた。

弾性タイツを受け取るため、久々の再会。
奥様が気に入っていたというゆかりの場所、懐かしい雰囲気の洋食屋さん。
大雨にもかかわらず、成長した息子さんたちも一緒に来てくださった。
奥様のがん闘病のことはあまりにショックで、こうして生きている自分が恥ずかしくなるほどだった。しかも賢崇氏は京浜兄弟社というグループで一緒に活動していた蓮實重臣氏とも、2017年にお別れしていた。
「よりこさんは、僕の妻やハスミ君の分までサヴァイブしてください!」と、がん闘病で大事な愛妻と友達を亡くした賢崇氏。
あの癒し系の口調、愛に溢れた彼の言葉が身に染みた。
賢崇氏の奥様の嘉代子さんは50歳。
ハスミくんこと蓮實重臣氏(蓮實重彦氏はお父様)は49歳という若さだった。
私は、賢崇氏の励ましの言葉通り、奥様から受け継いだ弾性ストッキングに「これを履いて頑張ろう」と誓うのであった。
数日後、私は譲り受けた弾性ストッキングを脚にくぐらせ、久々にエナメルのハイヒールを履き、太ももまで深くスリットの入ったニットのワインレッドのワンピースを着て、新宿の映画館へ向かった。
『ココロ、オドル』(公開中)のトークイベントに登壇するために。
この映画は、沖縄出身の岸本司監督による長編で、慶良間諸島を舞台に3組の家族の愛についての物語。ドイツ「ハンブルグ日本映画祭」で審査員賞を受賞した。
岸本監督とは、彼がまだ21歳で初助監督として『パイナップルツアーズ』(1992年)に参加していた頃からの知り合いで、「沖縄映画」というジャンルをずっと牽引し続けている沖縄映画の希望の星だ。

『ココロ、オドル』をぜひ見るべきだと薦めてくれたのは、奇しくも映画評論家でもある暉峻創三氏だった。
映画には、沖縄の太陽の下で、愛に不器用な家族たちのそれぞれが丁寧に映し出されていた。
実は、岸本監督は黒沢清監督作品の大ファン。
私の家に遊びにきたときに、スクリーンを張って一緒に黒沢作品を鑑賞するほど。
今回の作品は黒沢作品へのオマージュかと思しき題名、引用的なカットにニヤリとしたり、映画愛にあふれる沖縄映画だ。
『ココロ、オドル』トーク終了後、見知らぬ男性から声をかけられた。
「おひさしぶりです、30年ぶりになりますかね」
30年ぶり? 目を凝らして見ても正体が分からず戸惑った。
「ゼミ生、男1です」と告げられた瞬間、懐かしさのあまり彼の腕にしがみつき号泣しそうになった。
そのひとは『ドレミファ娘の血は騒ぐ』で伊丹十三扮する平山教授のゼミ生役で出演していた勝野宏さんだった。
あの撮影現場で『旅のおわり世界のはじまり』の葉子のように、世の中の孤独を掻き集め孤立無援感を放っていた私。
まさか勝野さんご本人が30年ぶりに会いに来てくれたなんて、心底嬉しかった。
生きているということは本当に驚きの連続だ。
この数週間で、黒沢清監督作品に関するこんなにも懐かしい面々に再会するとは。
そして、先日。
渋谷ユーロスペースで『旅のおわり世界のはじまり』を夫と鑑賞した。
雨に濡れていた宵闇の街で、ふいに鼻歌まじりに出た「愛の讃歌」。
私の耳の奥にずっと残って離れないでいる、あの愛の歌。

ウズベキスタンの山頂で、「愛の讃歌」を気持ち良さそうに歌い上げた葉子から、いろんな「愛」を知る。
ロケ地となったナヴォイ劇場は2017年に70周年を迎えたという。
この建築物は、シベリアに抑留された元日本兵たちによって建てられた戦争の遺物でもあると私は今作で初めて知った。
1本の映画からの再会。映画愛。さらに、離れ離れになった家族。
「あなたが望めば 世界の果てまで行ってもいいわ
髪の毛も切るわ 家も捨てるの 友達さえも
祖国も裏切る 怖いものはない あなたがいれば
あなたの他には何もいらない この命さえも」
【「愛の讃歌」の歌詞一部 日本語訳詞 松永祐子】
白い山羊に託された「本当は何を望んでいるの?」という葉子の問いかけに、私も「本当の望みは何?」と考えさせられる。
そして、圧倒的に映画の中の音楽のチカラで「愛」を注入された。
ひとびとを魅了させる音楽。本当に音楽だけはなぜか生き残る。
遠く時を超えたティムール帝国の光と風の通り道に立ち尽くし、歌う葉子。
主演女優が大写しにされたあの瞬間、映画におけるミューズの誕生を見つめたといっても過言ではない、そんな気分。
何かが生まれる瞬間。
まさに、愛を感じずにはいられない映画体験だった。(女優・洞口依子)