特集 ミャンマーの発展、飛躍のために本気になったキーパーソン 官民を代表する2人の重要人物に直撃インタビュー 6月に「Yangon Project Bank」の創設に尽力した管区首相のピョー・ミン・ティン氏と、5月に設立された「Myanmar Tourism Bank」頭取に就任したA1グループ会長のヤン・ウィン氏は、すでに説明の必要もないほどの影響力を持つ官民を代表するお方だ。

6月に「Yangon Project Bank」の創設に尽力した管区首相のピョー・ミン・ティン氏と、5月に設立された「Myanmar Tourism Bank」頭取に就任したA1グループ会長のヤン・ウィン氏は、すでに説明の必要もないほどの影響力を持つ官民を代表するお方だ。

特集 ミャンマーの発展、飛躍のために本気になったキーパーソン 官民を代表する2人の重要人物に直撃インタビュー

6月に「Yangon Project Bank」の創設に尽力した管区首相のピョー・ミン・ティン氏と、5月に設立された「Myanmar Tourism Bank」頭取に就任したA1グループ会長のヤン・ウィン氏は、すでに説明の必要もないほどの影響力を持つ官民を代表するお方だ。
そこで今回、最大都市ヤンゴンの新しい都市開発を目指す首相閣下と、長らくミャンマー観光連盟の会長を務め、低迷するこの国の観光産業のテコ入れを図る会長に、目的やその真意をうかがった。

最大都市の改革に本腰を入れて取り組む姿勢 ヤンゴンの新都市開発などへ投資の呼びかけ U Phyo Min Thein The Chief Minister of Yangon Region ピョー・ミン・ティン 【ヤンゴン管区首相】

3年前に日本で3日間ご一緒に

実は、首相に直接お目にかかるのはこれが初めてではない。今から3年前の2016年10月に大阪で開催された「MIPIM」(世界最大級不動産市場国際会議)に、日本政府の公賓として招待を受けたピョー・ミン・テイン首相を団長とする方々が参加した。世界80に上る国や地域の代表団が集結したこの大イベントで、首相以下ミャンマーの要人たちが、「ミャンマー、新たなる不動産フロンティア」と題したカンファレンスを行ったのだ。
このイベントにはヤンゴンで邦人向けサービスアパートを建設中の新日鉄興和不動産(株)がミャンマーのブースを支援して参加した。懇意にしていただいている同社の冨金原(ふきんばら)海外事業本部長の招きで、私もこのフェアを取材した。しかも同社は一般社団法人イマジンワールドによる、2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催に合わせて、世界206カ国・地域の着物を制作する「KIMONO PROJECT」で、ミャンマーのネイションスポンサーになっていた。
そのため、このイベントにあわせ、前日に東京目黒の雅叙園【がじょえん】で、ミャンマー版の着物の完成お披露目会も開催された。むろん首相以下要人の方々もこのお披露目会に出席したため、私と首相は都合3日間に渡って行動をともにすることになったのだ。
今回、首相にお目にかかったとき、まずそのことを申し上げ「おひさしぶりです」とご挨拶したら、首相も思い出したらしく、「ああ あの時の、、、」といって、思わず笑みを浮かべて私の手を握り返していただいた。当時の首相は同年4月に大役を任命されてわずか半年後で、しかも初の日本訪問だっただけに、終始緊張感のある厳しい顔をなさっていた。

交通マナーや若者たちへの苦言を申す

しかし、今回はこの一件で首相も少々緊張感がほぐれたと見えたので、私は冒頭から失礼とは承知しながらも、首相閣下にかなり辛らつな意見を申し上げてしまった。
まず教育問題。ミャンマーも国策として重要視しているが、この国の将来を担う人材を育成していくためには教育は重要課題だ。日本も戦後、高度経済成長を迎える前の昭和30年代は、白黒テレビでさえ高価で買えず、一般庶民の生活は貧しかった。それでも親たちは一生懸命に働き、子供に教育を受けさせる努力をしてくれた。
その子供たちは親の姿を見て感謝の気持ちを忘れず、学業や仕事に励んだ。早く仕事を覚えて一人前になって親を楽にさせてやろうと思い、皆、歯を食いしばって頑張った。多くの若者たちがそうした志を持っていたため、結果的にそれが日本人の団結につながり、戦後わずか30年で奇跡的な国力と経済力を構築する源泉となったと思っている。
「しかしミャンマーの若者たちは、何かつらいことがあるとすぐ辞めたりする。辛抱してひとつの仕事に打ち込むことは重要です」と、申し上げたら、首相も思わず大きくうなづいてくれた。
交通のマナーにしても、歩行者が車に道を譲る慣習はおかしい。ヤンゴンの交通渋滞には管区政府もいろいろと策を講じているが、少なくとも車優先社会というのはどう考えても納得できない。私はミャンマーに暮らして10年近くなるが、こうした問題は私たちの新聞の社説でも何回も指摘している。それは私はこの国が好きだからです。住みやすい街になってほしいからなんです。ここまでは一方的私が喋ってしまったが、首相は黙って聞いていた。そして時々うなづいていただいた。

国と管区の協力して推進する「Project Bank」

Q:冒頭から、長々と自説をお話してしまいましたが、本題に入りたいと思います。首相も就任以来、ヤンゴンのバスを一新したり、JICAの支援で環状線の改革に乗り出したり、環境問題に取り組んだり、色々な改革を始めていますが、その中でも今回立ち上げた「Yangon Project Bank」が注目されています。これは官民連携(PPP)協定の下で実施され、新規都市開発、住宅、再開発、工業、港湾、漁業、農業、運輸および公共スペースのプロジェクトなど80もの優先プロジェクトが含まれていますが、このプロジェクトの立案者と経緯を教えてください。
首相:ヤンゴン市には「ヤンゴン市開発委員会」(YCDC)というのがあります。この委員会は毎月1回、中央政府と管区政府の大臣たちがミーティングをします。この会議では、ヤンゴン管区の開発について討議し、毎年、管区政府から開発計画を提出しなければなりません。しかしその計画の大半は国家予算を使う事業になり、国の負担が増します。そこで、ミャンマーの最大都市であるヤンゴンの将来の開発のために、投資資金による「Project Bank」を作ることを決めました。中央政府が決めたルール、戦略に沿ったもの、そして財務計画省が決めた規則と合わせて計画を作成しました。民間のインベスターが投資しやすくなるように、シンガポールのコンサル会社PWCの支援で設立したのです。
Q:80もの優先プロジェクトがあります、その中でもとくに優先する事業は何でしょうか。
首相:ヤンゴン環状線改革プロジェクトと、技術移転が必要な駅改革プロジェクトなどは優先事業になる。さらに、ヤンゴン市開発計画では、市場の改革プロジェクト、新ヤンゴン都市計画、新港計画などが重要事業でしょうね。
Q:主として、日本からどんな協力を求めていますか。
首相:日本に関しては「ティラワ経済特区」は日本の協力でやっています。私たちの予想よりはるかに成功しています。しかしまだ工事中のプロジェクトもあります。ですから経済特区のさらなる発展のためには、交通インフラ整備が急務です。そのためヤンゴン~ティラワの間の道路改革工事をしています。後は電気と水供給のプロジェクト(La Gun Byinからティラワへ供給)が進行中で、間もなく完成します。
もう一つはティラワへ電気を十分に供給するための発電プロジェクトを実施する計画です。ヤンゴンとタンリンを結ぶ「第3バゴー橋」の着工もスタートしました。これは日本の協力で建てる橋です。私たちの国ミャンマーで信用でき、かつ責任が取れる会社はほとんど日本の企業です。日本がミャンマーと協力して投資している他の事業セクターもたくさんあります。これからもさらに支援をお願いしたと考えています。
Q:投資する方々にはどのようなメリットがありますか。
首相:ミャンマーは改革が始まったばかりです。投資するメリットとしては、宝石に例えるならまだ未加工の原石です。だから加工する方法によっていろいろな形に変化します。それにまだミャンマーには色々な需要がありますから、それを捉えることがチャンスであり、メリットに変えられるのです。
金融面では、日本の3つの銀行が支店を出して投資しています。日本の銀行と提携している国内銀行もありますから直接取引ができる。ミャンマーは各分野で日本のJICAと協力してやっていますから日本の会社が投資する土壌はあります。私どもは、そうした日本の投資家のために生活、健康、安全状況などの体制を整えています。だから日本の投資家はミャンマーに投資すべきで、それで日本にもチャンスが生まれます。ミャンマーの開発支援にもなります。
Q:来年総選挙がありますね。その結果にかかわらず、この「Project Bank」は国策ですから計画は推進されていくのでしょうか。
首相:もちろんです。投資家はこのプロジェクトバンクに関心を持っていますよ。この事業を実施することで透明性が強くなります。各プロジェクトは誰が主体でどうなったかという状況を把握できる。また、この銀行ができたので、ヤンゴンで実施される、あるいは進行中のプロジェクトが何か、どのセクターで何をやっているかなどが鮮明になり、投資家には選択肢が出てきます。

観光業の発展のために海外への広報活動を

Q:もうひとつ、ミャンマーの観光産業を支援する「Myanmar Tourism Bank」が5月にオープンしました。この事業にもヤンゴン管区政府が協力していますか。
首相:管区政府は投資と金銭入れることはないです。観光業を支えて発展を支援する「Tourism Bank」は、外国人観光客たちの金融的セクターと、国内の旅行業者の金融業務ために重要な役割を果たすと信じています。この「Tourism Bank」の設立は、ヤンゴンの開発支援や、観光業発展にも大いに役立つと思います。
Q:昨年、色々な問題があってミャンマーへの観光客が減りました。私たちの新聞も広告収入で成立しているので影響が出ました。しかし今年に入って観光客が増え、日本、中国、韓国は観光ビザ不要になり、欧州6か国も徹廃されたようです。中央政府、管区政府を含め、観光産業の今後の見通しはどのように考えていますか。
首相:国内西部で発生した問題により、国際社会からミャンマーへの旅行は安全でないという噂も出ました。でも、ミャンマーに実際に来てみれば、安全で治安状況のよさや自然の美しさなどに驚かされるはずです。ご自分の目で見て確かめる意味でも、一度この国に来てください。
私たちは人種、宗教で差別する国ではないんです。ヤンゴンは港を持つ都市で、多人種、多宗教の人たちが集まっていますが、みな安全に暮らしています。私は来年からもっと観光業が発展していくと思っています。管区政府も観光業発展のため、「ヤンゴン観光業マスタープラン」を作成して力を入れていきます。観光業はすべて中央政府に委ねるのではなく、「観光業開発員会」を作り、飲食店、観光業に関する各営業許可書発行と税金などの認可業務を、中央政府から管区政府へ分権しました。中央と管区政府がうまく連携していけば観光業は必ず発展していくでしょう。
Q:ミャンマーには素晴らしい観光地がたくさんあります。しかし私はこうした場所への交通手段の脆弱さはもちろんですが、やはりもっと海外に宣伝をしていくべきだと考えますが
首相:そのとおりです。メディアの宣伝を増やすべきです。ミャンマーは軍事政権下で内戦や民主化活動などがあり、発展が遅れ非常に悔しく思っています。他国に比べて50年ぐらい遅れました。開国してから観光業促進のためホテルなどの整備をしてきました。
ヤンゴンで観光業マスタープランを作りましたが、他の管区や州も各分野にプランを作成してやっています。こうしたことを積み重ね、ミャンマー全体の観光業を支えることができるとと思います。観光業開発は大事なことです。観光業が活発化すれば飲食業、ホテル業、旅行会社も潤い、海外からも観光業に投資できるチャンスも出てきます。

安倍総理もミャンマーのサポーターの一人

Q:私はNLD本部に時々訪問してスーチーさんのお話を伺っていました。そのときに3年前に亡くなった当時NLDのスポークスマンだったU Win Tinさんと知り合いました。彼も若いころAFPのジャーナリストで、彼から色々な話を聞きました。首相閣下と同様に、インセイン刑務所で20年以上過酷な日々を送っていた方で、民主化運動の闘士でした。ですから、昨年来、欧米の偏向したミャンマー報道を見ていると、もしWinTinさんがいたなら、毅然とした態度で声明を出したのではと思ったものです。私たちの新聞も、このメディアの偏向報道については、何回も書きましたが、時にはミャンマー政府も世界に対して強いメッセージを発することが必要だと考えますが
首相:ミャンマーのメディア業界で来年7年目を迎えるヤンゴンプレスは、長いキャリアだと思います。現在、メディアの検閲は廃止されていますが、以前は政治のことは書けませんでしたね。でも一方ではこの業界の人たちのスキルアップも必要になってきます。だから、ミャンマーのメディア業界がさらに繁栄するために、例えばヤンゴンプレスのようなメディアが応援してほしいものです。政府側からもプレスリリースとか自由に取材できるようにしますから。
Q:ありがとうございます。最後にひとこと言わせてください。昨年の新年号で、私は安倍普三総理にもインタビューさせていただきました。総理も私も「ミャンマーが大好き」と言う点で一致しました。「日本とミャンマーのために頑張ってください」というメッセージもいただきました。以来、日本の首相官邸にも私たちの新聞をお届けしています。この記事もお読みになるかも知れません。
私たちは微力ながら、これからも情報メディアとして、日本とミャンマーの架け橋になれればと考えています。本日はいろいろと申し上げましたが、ご多忙の中ありがとうございました。

U Phyo Mn Thein Profile
生年月日 : 1969年4月13日生まれ 50歳
1988年にヤンゴン大学在学中に起きた学生を中心とする大規模な民主化運動の指導者的立場にあったが、3年後の1991年に逮捕、政治犯として投獄される。
2005年に釈放され、延べ14年にわたる刑務所生活を送るが、2009年に現夫人のDaw Khin Mi Mi Kyweと結婚。翌年10月に自宅軟禁から解放されたアウンサン・スー・チー氏(現国家最高顧問)の元に結集し、国民民主連盟【NLD】の青年教育部会の責任者に。2012年下院補欠選挙で当選し、NLD 中央委員会のメンバーに。
2015年の総選挙でヤンゴン管区議会議員に当選。翌2016年3月30日、正式にヤンゴン管区首相に任命された。以後管区の行政改革に取り組んでおり、今年6月には官民連携(PPP)協定の下で実施された「Yangon Project Bank 」の創設に尽力し、80もの優先プロジェクトを含むこの銀行への投資を内外に広く呼びかけている。

© Yangon Press Asia Ltd.