【高校野球】「髪を伸ばしたから負けた」は承知 丸刈り廃止“固定概念”を変える秋田中央の夏

「脱坊主頭」で夏の大会に臨む秋田中央の選手たち【写真:高橋昌江】

秋田中央の佐藤監督はこの春から丸刈りを廃止

 第101回全国高等学校野球選手権秋田大会が10日、開幕した。この春、6年ぶりの東北大会に出場し、第3シードで夏に挑む秋田中央。佐藤幸彦監督は「野球部=坊主頭。考えもせず、ただ坊主頭にしていないか」と選手たちに疑問を投げかけ、この春、丸刈りを廃止した。選手たちは「髪型は関係ないというところを見せたい」と意気込む。

 野球部員の髪型。たかが髪型であって、されど髪型である。数年前、部員不足に悩むある高校の監督が部員たちに丸刈り廃止を提案すると、「恥ずかしい」と言われたという。他の高校が丸刈りで野球をやっている以上、自分たちも丸刈りでなければ恥ずかしい――。ある軟式野球部では丸刈りをやめ、部員が増えたという例があっただけに、そういう発想もあるのかと思ったものだ。

 丸刈りではない野球部員は、なかなか勝ち上がれない、スポットが当たりにくいチームでは目にする機会があった。それだけに、丸刈りでないことが弱いことを連想させたが、最近は甲子園出場がある強豪校や実力校が丸刈りをやめたことで流れが変わってきている。

 5月の秋田県大会。帽子を取った秋田中央の選手たちの髪型が気になった。丸刈りから髪がそのまま伸びたような選手もいれば、後ろやサイドは短く刈り上げ、トップをやや残しているスポーツ刈りの選手もいる。試合後、佐藤監督に「選手の髪型……」と切り出すと、「坊主、やめました」と返ってきた。

「以前から部長やコーチとは話していて、生徒には4月のはじめに『髪を伸ばそうぜ』と話しました。でも、急には伸びないですからね。伸ばしはじめて、人によっては5月の連休に初の散髪。そして、今ですね」

 5月中旬から下旬にかけて行われる秋田県大会。ちょうど丸刈りから髪を伸ばしている最中の選手もいれば、一度、散髪に行った選手もいるという状態が県大会だった。なぜ、佐藤監督は「脱坊主」に踏み切ったのか。

「考えないでやっていない? と。野球部=坊主頭。ただ坊主頭にしていないか、と。ヘアスタイルも考えて行動してみよう、ということです。最初、生徒はキョトンとしていましたね。先生、何、言っているの? みたいな。『坊主がいいです』という生徒もいたんですけど、『みんながやっているから』とか『面倒くさい』からというのはなしね、と。試合に負けた時は『ほら、髪なんか伸ばしているから』って絶対に言われると思うけど、だからこそ、やってみない? と言いました」

 佐藤監督は1991年夏、秋田の主将として甲子園に出場。4-3で勝利した北嵯峨(京都)との初戦(2回戦)でサヨナラのホームに滑り込んだ。大学卒業後、秋田県の教員となり、02年、母校・秋田に赴任。監督として03年夏には早速、甲子園に出場した。14年間、母校を指揮し、16年4月、秋田中央に異動。秋田は制服が学ランだったが、秋田中央がブレザーだったことも1つの転機となった。

「ブレザーを着て、ネクタイを締める人たちが坊主頭というのも、どうなのかなって思ったんです。坊主頭のサラリーマンもいますけど、なんか、違うんじゃないか、と」

 学ランだった秋田でも「髪型は坊主ね」と言っていたわけではないが、慣例として丸刈りだった。秋田や秋田中央に限らず、髪型は丸刈りという野球部が大多数。そして、丸刈りが野球部員の象徴のようになっていることにも違和感を抱くという。世間一般が思い描き、求める「野球部員」という像――。

当初は選手たちに戸惑いも「高校野球は坊主というイメージがあったので…」

「坊主頭に甘えない。『身だしなみ、いいよね』と言われているのが好きじゃないんです。坊主頭で野球の格好をしていると、世の中的に“野球部員だから”ちゃんとしているでしょ、と思われる。うちの選手たちがということではありませんが、例えば、だらしないことをしていても、格好でごまかしていたり、甘えていたりする部分があるのではないかと思うんです」

 今では佐藤監督の意図を理解している秋田中央の選手たちだが、さすがに最初は戸惑ったという。二塁を守る佐々木夢叶(3年)は「高校野球は坊主というイメージがあったので、最初は抵抗がありました。自分で髪型を考えないといけないし、伸ばした髪型が似合わなかったらどうしようと思いました」と振り返る。選手たちの声を聞くと、多くが野球を始めた小学生の頃から丸刈り。「1番・遊撃」の新堀文斗(2年)は「小学3年から坊主でした。野球をやるというのは、坊主にするとイコールだと思っていました」という。中学、高校も当然のように丸刈りで、そこに疑問を持つことはなかった。

 佐藤監督が選手たちに「脱坊主」を話した直後、花巻東(岩手)との練習試合があった。花巻東は現チームが始動した昨秋から丸刈りをやめている。それを知らなかったという新堀が「髪が伸びているのを見て、シンプルにかっこいいなと思いました」と言えば、佐々木も「普通に爽やかにプレーしていたので、伸ばしてもいいのかなと思いました」という。秋田中央の選手たちにとってはいい“サンプル”になった。

 野球部員の丸刈りは多くが「伝統」によるところがあり、大会前には五厘にするという慣例がある学校もある。選手権大会が100回を終え、元号も令和に変わった今、秋田中央にとどまらず「坊主をやめようと思っている」と話す高校の監督が増えてきたと感じている。

 東北地方でかつて、丸刈りではなかった高校といえば宮城・仙台育英だ(現在は丸刈り)。きっかけは1994年のカナダ・アメリカ遠征。先方から「坊主では来ないでくれ」と言われ、髪を伸ばして行ったのだという。01年のセンバツでは決勝まで勝ち進んだが、散髪に行く時間がなかったため、大会終盤には髪の毛をかきあげて帽子をかぶったほど。当時、仙台育英を指揮した佐々木順一朗監督(現学法石川監督)は「甲子園の歴史上、一番の長髪は仙台育英。社会人野球の都市対抗かなと思ったね」と笑う。そんな佐々木監督は学法石川の監督に就任した初日に、選手たちに髪型について話し合うように提案している。

「スポーツ刈りでいいです。髪型で何かが良くなるという感覚は僕にはないので。なぜ、これを言うかというと、あえて、火事の中に飛び込んでいってもいいよ、ということです。髪の毛をスポーツ刈りにして試合に負けた時を想像できる? 『髪の毛、伸ばしてっからだよ』と言われるかもしれない。でも、そんなことじゃないよって本当にみんなで思うんだったら、それを逆手にとって頑張って、自分たちから飛び込んでいくのも自分たちを変えるための1つの手。矢面に立つのは付き合います」

 学法石川の選手たちは丸刈りを続行したが、それは自分たちで話し合って決めたこと。丸刈りだろうとスポーツ刈りだろうと、大切なことはそこに選手の「意思」があるかどうかだ。

 秋田中央も佐藤監督の提案から1週間をかけて、選手たちで話し合って決断した。エース・松平涼平(3年)は「違和感はありませんし、野球をやることには変わりはありません。髪が伸びて、まだ世間からは『違うんじゃないか』と思われると思うんですけど、そういうのを早くなくてし、見た目ではなく、野球を見てもらいたいなと思います」と話す。新堀も「坊主をやめて負けたら、『髪を伸ばしたから負けたんだ』と言われるのは承知の上。なので、何としても結果を残したいですし、結果を出すことによって周りからの意見は変わると思うので、坊主でなくても野球の技術は関係ないというところをまずは秋田で見せていきたいなと思っています」と力を込める。

 春の県大会は準々決勝で大曲工に延長10回の末、3-2で勝利。準決勝は明桜に2-3と競り負けたが、3位決定戦で湯沢翔北を2-0で破り、7年ぶりとなる東北大会に駒を進めた。充実の春を経て、夏本番。秋田中央は12日に初戦を迎える。(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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