『ジュラシック』シリーズと『ガールズ&パンツァー』に見る、“リアル”の描き方【実写(アッチ)もアニメ(コッチ)も】

絶滅した恐竜を現代に蘇らせた『ジュラシック』シリーズ

最新作『ジュラシックワールド/炎の王国』までこれまで5作が公開されている『ジュラシック』シリーズ。ご存知の通り、バイオテクノロジーを駆使して現代に蘇らせた恐竜たちを飼育するパークが舞台となって、そこでなにがしかのトラブルが起きて……というのが定番のストーリーのシリーズだ。

ここまでシリーズが継続した一因は、やはりスティーヴン・スピルバーグが監督した第1作『ジュラシック・パーク』のインパクトがとてもは大きかったからだろう。
後ろ足で立ち上がって、悠然と高い木の葉を食べるブラキオサウルス。草原を猛スピードでかけていくガリミムス。そして王たる名前にふさわしいティラノサウルス・レックス(T-REX)の獰猛な牙と、ヴェロキラプトルの鋭くえぐるような爪という、タイプの違う2つの恐怖。映画の中の恐竜たちは、本当に現代に蘇ったかのような存在感があった。

その存在感を支えたのが3DCGだ。第1作の時点では3DCGを使ったカットは全編中10分にも満たなかったが、例えば登場人物の近くを疾走していくガリミムスのカットの臨場感などは、3DCGでなければ得られなかった。こうして3DCGとアニマトロニクス(生物を模したロボット)の合わせ技により『ジュラシック・パーク』の恐竜は魅力的に出来上がっていたのだ。

それにしても興味深いのは、このシリーズを見た観客の中に、「恐竜がすごくリアルだった」と語る人がしばしばいることだ。冷静に考えてみれば、恐竜ははるか太古に絶滅しており、誰も本物など見たことがない。にもかかわらず、つい出てしまう「リアル」という言葉。例えば、ブラキオサウルスは本来骨格の構造上、後ろ足で立てないという。そういう“ウソ”がありながらも、あたかも“本物”を見たように感じさせてしまう。逆にいうと、そこにこそ『ジュラシック』シリーズのおもしろさが宿っているといってもいいかもしれない。

3DCGで再現された非常に精密な戦車の姿

そして、この“映画のウソ”でうまく担いでくれる作品のひとつに『ガールズ&パンツァー』がある。

『ガールズ&パンツァー』(以下『ガルパン』)は、女子高生が戦車を使った武道“戦車道”で試合を繰り広げていく様子を描いた人気シリーズで、現在は「最終章」シリーズの第2話が公開されたばかりだ。

戦車道で使用が許されているのは、大雑把にいうと第二次世界大戦中に使用・開発されていた戦車のみ。『ガルパン』の3DCGスタッフは戦車を表現するにあたり、当たれる限りの資料に当たり、専門家の考証も受けて、非常に精密な戦車の姿を3DCGで再現している。

そうしたリアルな形状の戦車を扱いながら、同作の戦車のアクションは、基本部分は実際の戦車を踏まえたものでありながら、ピンポイントで強烈なケレン味あるアクションが盛り込まれたりするのである。そして観客は、第二次大戦中の戦車が実際に動くところなどちゃんと見たことはないのに、つい「リアルだ」と口にしてしまったりするのだ。

『ガルパン』のアクションがかなりケレン味にあふれても、ナンデモアリの荒唐無稽と思われないのは、観客の「こういうアクションが展開したら楽しいだろうな」という気持ちに応えるようなタイミングでそれが描かれるからだ。それは「恐竜がペットのようになついてくれたらうれしい」「ブラキオサウルスが象のように振る舞ってくれたら楽しい」という観客の気持ちが、画面の中で実現するとついうれしくなってしまうのと同じだ。そうした感情が生まれることで、描写としてはウソでも、戦車や恐竜をより身近に感じることができるのだ。だからつい口をついて出る言葉が「リアル」になってしまうわけだ。

“キャラクター”としての恐竜と戦車

これはつまり『ジュラシック』シリーズの恐竜も、『ガルパン』の戦車もどちらも“キャラクター”ということなのだ。人間をリアルに模倣したからといって、キャラクターが魅力的になるわけではない。フィクションとしての味付け(ウソ)があるから、キャラクターが立って、魅力がそこに生まれるのだ。その時、ウソはウソであっても、そのまま「そのキャラクターとしてはリアル」という形で観客には届くことになる。

そんな目線で『ジュラシック』シリーズや『ガルパン』を見てみるのもおもしろいはずだ。

文:藤津亮太

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