リオ・グランデバレー。米南部テキサス州の西部、メキシコとの国境沿いを流れるリオ・グランデ川の河岸に広がるこの地帯は、メキシコを超えてやってくる多くの不法移民たちの〝入り口〟だ。
メキシコ人の密入国といえば、かつては職を求めるものと相場が決まっていた。ところが、この数年は劣悪な治安と貧困にあえぐグアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラスの「中米北部三角地帯」から来る家族連れが急増している。米国における本年度が始まった昨年10月から8カ月ほどで、メキシコ国境沿いから不法に入国したとして税関・国境警備局(CBP)に拘束された人は既に約59万人にもなる。その中のおよそ65%は親子連れだ。
彼ら彼女らは難民として米国に移民を希望する「アサイラム・シーカー」(難民保護の希望者)である。
米国内の不法移民拘留施設はどこもパンク状態。メキシコとテキサスを結ぶ国境の橋のたもとには、多くのアサイラム・シーカーが滞留している。「難民を装って不法入国する犯罪者」としてトランプ政権から敵視されている彼ら彼女らを支えるのは、地元のボランティア達だ。
リオ・グランデバレーにあるボランティア組織「アングリー・ティアス・アンド・アブエラス(怒れるおばと祖母)」=https://www.angrytiasandabuelas.com/=で活動するエリサ・フィリポンさんもその一人。水や日用品を持って、毎日のように国境の橋を渡るエリサさんとともに、「アサイラム・シーカー」を訪ねた。
▼国境の橋
米・テキサス州の最南端にある町、ブラウンズビル。国境を流れるリオ・グランデ川の対岸には、メキシコのマタモロスという工業地域がある。安価な薬や医療を求めてブラウンズビルからマタモロスに渡ったり、マタモロスに住んでブラウンズビルにある職場や学校に通ったり―。個々の住民にとって、国境の橋を往来するのは日常的なことなのだ。
時に歩行者が長い列をなす「ゲートウェイ橋」は、ブラウンズビルのダウンタウンにある。1ドル(約108円)分のコインを投入して回転ゲートを通り、リオ・グランデ川を横目に見ながら橋の上を行くと、わずか5分程度でマタモロスに到着する。メキシコ側から来る時は、25セント(約27円)コインを入れて回転ゲートを通り、橋の上の通関窓口で米国入国に必要な査証を提示する。
米国の連邦法では、母国での迫害を逃れてきた人は、査証の有無にかかわらず、米国領土のどこからでも「アサイラム」(難民)として保護を願い出る権利を認めている。しかし、トランプ政権は通関地以外では保護申請を受けないとしたため、「アサイラム・シーカー」たちが国境の橋に殺到するように。対応しきれなくなったCBPは、随時受け付けていた保護申請を、当局側の都合にあわせて受け付ける「順番制」にし、彼ら彼女らをメキシコに足止めするようになった。
▼長い順番待ち
日用品を入れたカートを引きずり、ゲートウェイ橋をわたる。エリサさんは、橋の脇にある広場に座っている親子に声をかけ、せっけんやタオルを手渡した。エリサさんに気づいた人達が別の方向から続々とやってくる。そして、エリサさんに話しかける。
「男物のサンダルはある?」
「娘の靴下をもらえますか」
彼らが来た方向に目をやると、金網フェンスの向こうに、たたんだテントやマットレスが見える。「受付の順番」を逃さないようにと橋から離れず、野外で生活しているのだ。
「昨日は数日ぶりに家族連れが7人、橋を渡ったらしいわ」。エリサさんがそう教えてくれた。「順番制」といっても、1人も呼ばれない日が続くこともあるので何カ月も待たされる人も珍しくない。
「あそこの女性は、2月からいるわね」とエリサさん。
6月末、リオ・グランデ川で溺死した不法移民親子の写真が報道され、全米に衝撃を与えた。現地報道によれば、エルサルバドルから来たその親子は、溺死する前日にゲートウェイ橋にたどり着いたが、申請受付が「順番制」で、すでに何カ月も待っている人が多数いる現実を知り、翌日、川に向かったようだ。リオ・グランデ川を泳いで不法入国を試みたのはこの親子が初めてではなく、死体さえあがらず行方不明になる人も少なくないという。
一方で、複数の地元ボランティア団体がそれぞれにできる支援の手を差し伸べ、長い順番を待ち続けるアサイラム・シーカーの生活を支えている。それはまるで「パッチワークによる命綱」のようだ。「あれを見て」。エリサさんが誇らしげに指さした先にあったものは、簡易トイレ。メキシコのボランティア団体と協力して許可をとり、費用を出し合って設置したばかりだという。
ゲートウェイ橋から15分程度歩いたところには、「B&M」と呼ばれる1910年に開通した古い国境の橋がある。ここでも順番待ちをする親子連れがいる。回りは殺風景で、一般歩行者の姿は見かけない。
全裸の幼児がコンクリートの上を駆け回っている。古い建物の裏手にテントが並ぶ。この地域はボランティアによる支援も手薄なため、「私が運ぶ日用品は、主にこの人達のため。飲み水もないし、食事も十分じゃないから」とエリサさんは言う。簡易トイレは、まだ設置できてない。
日用品を配り終えたエリサさんに、一人の女性が心配そうな顔で聞いてきた。「米国の収容所では服を全部脱がされるって聞いたのだけど、本当?」。水も、食事も、子供のおむつも、情報も、「アサイラム・シーカー」が頼れるのは地元のボランティア達だけだ。
▼怒れるおばと祖母
「アングリー・ティアス・アンド・アブエラス」の、「ティア」はスペイン語でおば、「アブエラ」は同じく祖母のことだ。世論の強い批判を受けて、トランプ政権は昨年6月に不法移民の親子引き離し政策を撤回した。だが、地元住民は親や子に会えずパニック状態となる「アサイラム・シーカー」達を目の当たりにしたという。
強い日差しに焼かれた国境の橋の上では、食事も水も、トイレもない状態で、何週間も待たされる子供連れの家族が珍しくなくなった。ブラウンズビルの東にあるマッカレンとメキシコのレイノサを結ぶ国境の橋でも同じことが起きていた。
橋を渡った後も、アサイラム・シーカーの困難は続く。過密状態の刑務所のような拘留施設で難民申請を終えた後は、認定可否の裁判まで施設外で待機する。彼らの多くは米国内に家族や友人がいるが、連絡を取る術もないまま、早朝や深夜にブラウンズビルやマッカレンの長距離バス乗り場に放り出される。言葉も地理もわからず、立ちすくむ親子連れの姿は珍しくない。
こうした米国政府の対応に、「怒れるおばと祖母」として立ち上がったのがリオ・グランデバレーの女性達だ。ボランティアは「ティア」と呼ばれる。国境の橋にも、深夜のバス停にも、拘留施設にも、「アサイラム・シーカー」の身を案じて世話を焼くティアの姿がある。
「怒れるおばと祖母」の会は今年6月、14年のノーベル平和賞を受賞したインドの人権活動家カイラシュ・サトルヤティさんを20年近く前の1995年に選出するなど米国では高く評価されている「ロバート・F・ケネディ人権賞」を受賞した。
▼二つの顔
難民認定のハードルは高い。中米からの「アサイラム・シーカー」で、最終的に難民として認定されるのは10%程度。この数字を根拠に、トランプ大統領は「大多数は偽装難民で、経済恩恵を目的に米国を『侵略』する不法移民だ」というレトリックを使う。米国第一主義のもと、「不法移民は追い返せ」という声に同調する米国民も少なくない。
これに対し、エリサさんは語気を強めて「暴力から逃れてきた人に、帰る場所なんてない。米国は法で難民申請をする権利を認めている。助けを求めて来た人の人権や尊厳を踏みにじる今の対応は、アメリカ的じゃない」と反論する。
マタモロスを始め、レイノサやヌエボラレド、フアレスなど、メキシコ側の国境地帯はおしなべて麻薬カルテルによる抗争に加え、強盗や誘拐も多い危険地域だ。そして、米国内に身代金を払える家族がいると思われている「アサイラム・シーカー」は、誘拐の標的となってしまうのだ。エルサルバドルから来た親子のようにメキシコで待ちきれず、リオ・グランデ川を渡ろうとして、溺れ死ぬ家族もいる。
そんな実情は、国境から遠く離れた場所に住む米国民には想像できない。貧困と暴力から逃れてきた「侵略者」から米国を守るというトランプ政権。アサイラム・シーカーの姿を前にして、助けずにはいられない国境の町。米国には二つの顔がある。(テキサス在住ジャーナリスト 片瀬ケイ=共同通信特約)