【あの夏の記憶】鳴りやまない電話に「座布団を…」 アイドル球児だった定岡氏の喜びと苦悩

鹿児島実で1974年甲子園ベスト4に進出した元巨人・定岡正二氏【写真:荒川祐史】

1974年の夏の甲子園ベスト4、準々決勝では原辰徳らの東海大相模に延長15回の死闘

 甘いマスクと好投で夏の甲子園を沸かせたプロ野球解説者・定岡正二氏が、熱狂の渦中にいた45年前の夏を振り返った。2年夏に続き、鹿児島実で甲子園に出場した1974年、3年生エースとして、鹿児島勢初めてのベスト4進出に貢献。帰路に就くと、世界はまるで変わっていた。“アイドル球児”にしかわからない驚きや苦悩を告白。また注目を浴びてプロの世界に進んだ後輩たちへ“エール”を送った。

「鹿実が甲子園に行って、大丈夫なのか?」

 甲子園を戦う前に定岡氏はこんな言葉を耳にしたという。鹿児島商・堂園喜義(元広島)が九州ナンバー1投手と呼ばれ、そのチームを下しての出場。当時の鹿児島勢には“1回戦の壁”があり、多くは望めない――。そんな評価だった。

「見送りは(西鹿児島)駅に5人くらいでした。何とか勝ってやろうと思いましたね」

 県民のほとんどがベスト4なんて予想もしていなかった。しかし、快進撃は続いた。初戦の佼成学園(東京)、2戦目(3回戦)の高岡商業と定岡氏は連続完封。準々決勝で現・巨人監督の原辰徳(1年)、現・東海大甲府監督の村中秀人(1年)のいた東海大相模と延長15回の死闘を演じた。213球を投げ、勝利。しかし、準決勝の防府商戦では、スライディングをした時に右手を負傷し、途中降板。最後までマウンドに立つことはできなかった。

「でも、やりきりましたよ。僕がマウンドを降りたおかげで2番手の後輩・堂園(一広=鹿児島商・堂園喜義の弟)がマウンドに立つことができたので、それはそれでよかったです」

帰郷後は信じられないくらいの人だかり「まるでドラマですよ、もう」

 鹿児島実ナインは帰路に就いた。下馬評を覆す奮闘ぶりに定岡氏は「少しはほめられるかな……」と思いながら、故郷へ向かう新幹線に乗った。

 目的地に近づくに連れて、異変に気が付いた。

「止まる駅でホームからみんなが僕らに手を振っていました。西鹿児島駅に近づくに連れて、人が多くなりました」

 出発時は5人くらいだったが、帰郷後は信じられないくらいの人だかりだった。報道では3000人などとされているが「いや、それ以上だったと思います。まるでドラマですよ、もう」

 自宅に戻ってもフィーバーぶりは収まらず、家の電話が鳴りやまなかった。どこからか電話番号を知ったファンからだった。NPB球団や、スカウトからの連絡もたまに混ざっているため、電話線を引っこ抜くわけにもいかなかった。

「女の子と電話で話したことなんてないから、うれしくて話し込んじゃった時もありました。東京の子の東京弁みたいな感じが良くて(笑)。ただ、夜中になっても鳴りやまなくて、うるさすぎましたね。大事な電話もかかってくるので、電話線を抜けないので、座布団を5、6枚、電話の上にかぶせて、音を抑えていました」

長嶋茂雄監督がほれ込み巨人にドラフト1位入団、初勝利は4年目だった

 その後、巨人のドラフト1位としてプロ入りしても人気ぶりは健在だったが、入団直後は思うような結果が出せなかった。プロ初勝利は6年目の1980年。7年目に初の2桁の11勝。8年目に15勝を挙げたが、1985年、11年の現役生活を終えた。プロ入り当時のフィーバーぶりをどのように感じているのだろうか。

「僕は自分を見失っていたのかもしれません。周りからいろいろなことを言われ、10代の僕は消化しきれなかった。コーチから言われたことを『やらないといけない!』という思いもありましたし、マスコミ対応に慣れているわけではなかった。田舎の小僧がプロに入ってきた感じで、いろんなものに飲み込まれてしまいましたね」

 だからこそ、これからも誕生するであろう高卒の注目ルーキーに、届けばうれしい。

「自分のことを信じられるかどうかだと思います。僕はそれができなかった。まぁ、今の子はしっかりしているし、自分の意見も言える。僕の時は自分の意見を言ってはいけないような雰囲気でしたから……。周囲も、半年から1年くらいは自由に泳がせてあげてほしい。そこから気が付くものもたくさんあると思います」

 自分自身をしっかりと持つこと。自分の心を解放できる自由な時間もきちんと作る、周りも作ってあげることが大切だと説く。

 高校卒業後は自宅の前に観光バスが止まって見物人がやってきたこともあった。ドラフト1位の肩書でプロに入ったが、なかなか勝てず批判を浴びたこともあった。好奇の視線が集まる野球人生だったが、それも大好きな野球をやっていたからこそ。定岡氏は笑顔でこう締めくくった。

「苦しい時期もありましたが、今思うと、無駄な時間はひとつもなかったですね」(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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