【あの夏の記憶】中日“バンビ2世”藤嶋が語る甲子園の魔物とは?「僕らに天使が舞い降りた」

中日・藤嶋健人【写真:荒川祐史】

藤嶋擁する東邦が16年8月14日の夏の甲子園2回戦・八戸学院光星戦で9回に4点を奪って逆転サヨナラ勝ち

 甲子園には、時に「魔物」が現れるという。3年前の夏もそうだった。八戸学院光星との2回戦に挑んだ東邦は、最大7点差をつけられながらも終盤に追い上げ、9回に4点を奪って10-9の逆転サヨナラを演じた。球場全体を巻き込んだ最終回の異様な光景は、後に物議を醸す結果に。グラウンドで戦った選手たちが見た魔物とは。当時東邦のエースで4番を務め、主将だった中日の藤嶋健人投手があの日を語った。

 諦めるのを通り越して、完全に開き直っていた。7回表の時点で7点ビハインド。2イニングで4点差に迫っても、結果論で語られるほど逆転の機運に満ち溢れてはいなかった。愛知大会で右肘を痛めて万全には遠かった藤嶋は先発したものの、3回途中4失点で降板。残すは9回のみ。主将に就任して以来、心がけてきたことをナインに発した。

「この回が終われば、高校野球は終わり。どんな形でも、楽しく最後までやろう」

 そのゲキが合図になったかのようなタイミングで、一塁側アルプススタンドから勝負の曲が流れてきた。「戦闘開始」。応援団と吹奏楽が繰り出すテンポいい声と曲に、次第にバックネット席や外野スタンドが呼応していく。「聞いたことのない手拍子だった」。その流れに乗るように2本の単打で1点を返す。だが、まだまだ光は見えていなかった。続く4番・藤嶋は中飛で2死。「やばいな、いよいよ終わりだな」。ベンチに戻りながら、敗戦を覚悟していた。

 藤嶋が奇跡の一片を見出したのは、その直後だった。「とにかくバット振り回すヤツ」だった5番・小西慶治三塁手が、柄にもなく逆方向に技ありの右前打。途中出場の6番・中西巧樹一塁手は左前適時打で、さらに1点を返した。幼馴染で1番の親友の「ギャン詰まりのレフト前」に涙腺は崩壊しかけ、ベンチの空気も一変した。藤嶋にとって「ありえない連打」で、いま何点差なのかすら気づかないほど試合にのめり込んだ。結果的に5番からの4連打で、あまりにも劇的なサヨナラが完成した。

逆転を気負わかなった東邦に、タオル回し応援「甲子園って場所は特別。プロでも高ぶる」

 あの歓喜から3年。高卒ドラフト5位で中日入りした藤嶋は、鮮明に当時を思い出す。甲子園の魔物だと周囲は言ったが、「僕らにとっては、結果的に天使が舞い降りましたね」と懐かしむ。ふと冷静にあの9回裏の記憶をたどると、起こるべくして起きた逆転劇にも思えそうな気がする。

「楽しくやろう」。チームメートにかけた一言は、やけくそではなかった。規律より奔放さが強みだったチームカラー。「逆転するぞ」より格段に力を発揮できると選んだ言葉だった。そして何より、過去の経験から「夏は雰囲気」だと疑わなかった。1年夏に「バンビ2世」と呼ばれて甲子園デビューを果たし、3年春の選抜も経験。「春以上に、夏は勢いや流れに乗ったチームが強い」。肌で感じてきた直感に従い、主将としてベンチの雰囲気を醸成したのだった。

 そのベンチの空気を球場全体へと拡散させてくれたのが、アルプススタンドだと藤嶋は思っている。「吹奏楽がいなかったら、あんな事は起きなかったと思う」。T・O・H・O、T・O・H・O……。繰り返す呪文のような言霊に、スタンド全体が飲み込まれていくようだった。次第に観客の頭上でタオルがぐるぐると回り出し、異様な空間ができあがっていく。東邦にとっては間違いなく追い風だった。

 マウンドに立っていた八戸学院光星のエースは試合後「全員が敵に見えた」と言い、タオル回し応援は議論を呼んだ。負けている方を応援したくなる「判官びいき」な甲子園ファンの“悪ノリ”だという声もあった。その賛否について、グラウンドで戦った選手たちは与り知らないが、あの光景に藤嶋はあらためて確信したことがある。

「やっぱり夏は雰囲気なんだと」

 逆転を気負わなかったベンチ、球場全体を巻き込んだアルプス、2死からの「まさか」の連打……。それらが掛け合わされなければ、目には見えない「雰囲気」は生まれなかったし、逆転サヨナラという答えにもたどり着かなかったのではないか。そんな結論に達した藤嶋は言う。

「やっぱり甲子園って場所は特別なんだと思います。プロに入った今でも、甲子園で投げる時は高ぶるものはありますから」

 そう思わせることこそが、「魔物」そのものなのかもしれない。(小西亮 / Ryo Konishi)

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