中学3年の時、ひょんなきっかけから大江千里を聴くようになった。それは、当時片想いをしていた人が、鼈甲縁でボストンタイプのメガネをかけていたという浅はかな理由だ。86年のアルバム『AVEC』を入口に、ジャケットを眺めては、なんとなく似ているその人を想い、過去のアルバムまでさかのぼって千里さんの曲を聴き込んだ。
期せずして、思春期女子にとってその恋愛描写はまさに、どストライク!「焦燥」「躍起」「分別」などの難解な語彙についても、背伸びをしたい盛りには好都合。さらには、ワラビー、ガムシュ、コインローファーなんて靴の名前から、ジョニ・ミッチェルまで登場し、千里さんの歌詞をなぞっているだけで、都会の大学生の仲間入りをしたような気分にさえなれたものだ。
その曲調は、どこまでもポップ!時に SOUL や R&B などのフィーリングが入り混じるのも気に入っていた。そして、15歳からジャズを聴いていたという大江千里の音感の機微は、美しいヴォイシングとなってそのコードワークに現れる。数少ない鍵盤由来の男性シンガーソングライターとして、多彩な曲作りを通じ、誰にも真似のできないキラキラとしたセンスを見せてくれた。のちに槇原敬之や KAN が影響を受けたというのも納得の楽曲群だ。
それにしても、大江千里の恋の歌は、どうしてこんなにキュンキュンするのだろう。主人公は恋の只中にいるにもかかわらず、どこか冷めた眼をもち、諦観も滲む。内なる情熱がありながらも、上手く伝えきれないエモーション。そして、つきまとう孤独感。そのもどかしさ余ってか、聴く者は感情を揺さぶられ、ついつい自分の恋の情景に重ね合わせて切なくなってしまう。
優しくすればする程 離せなくなる いっそ深く傷つけてしまえるなら 「真冬のランドリエ」より
「愛してる」って言葉はいつも早すぎる そうじゃなければ遅すぎる 間のわるい永遠の宿題だね 「ふたつの宿題」より
YOU BELONG TO ME きみが選んだ道を 許せなかったぼくは YOU BELONG TO ME 誰かを愛して さみしさ形にできずに悩んでる 「フレンド」より
きっともう少しルーズなら うまくいえるはず ああ今夜も 時々うつむいた君を抱きしめたい 「マリアじゃない」より
この場所だけは彼氏と来るなよと 大人気ないこと言うぼくが嫌だよ 「塩屋」より
そんな中、気持ちの振り幅が最も大きく、情感極まるのがこの1曲。88年の7thアルバム『1234』に収録されている「Rain」だ。
雨を背景に、例によって不器用そうな主人公は、心の置き場も曖昧なまま、恋人を抱きしめる。しかし何かの諍いからか、彼女は傘もささずに雨の中を出て行ってしまう。いつもならばここで、ただ背中を見送りそうな主人公が、この「Rain」では、なんと彼女を追いかけ外に出る。
どしゃぶりでもかまわないと ずぶぬれでもかまわないと しぶきあげるきみが消えてく 路地裏では朝が早いから 今の内にきみをつかまえ 行かないで行かないでそう言うよ
もどかしさを打ち破り、気持ちをストレートな言葉として解き放つ瞬間。行かないで行かないで…。
この曲は、2013年公開のアニメーション映画『言の葉の庭』のエンディングテーマとして、秦基博がカバーしたことでも話題を呼んだ。監督:新海誠が十代の頃から大江千里のファンであり、強い希望があってのことだったという。
この『言の葉の庭』の登場人物もまた、どこか不器用なふたりである。ひとりは、学校に居心地の悪さを感じている高校1年の青年タカオ。そしてもうひとりは、そのタカオがふとした出会いから、心惹かれていく年上の女性ユキノ。彼女も職場でのトラブルから心に傷を抱えている。居場所を探すこのふたりが、雨宿りのベンチで徐々に心を寄せていくストーリーである。
この映画は大胆にも、約8割が雨のシーンから成る。緑深い公園を舞台に、梅雨入りから始まる空模様の移ろいを時間軸として、背景のディテールが実に美しく描かれている。雲の動き、木々の葉の揺れ、霧の中にできる光のスペクトル…。沈黙が多い分、それらがふたりの繊細な心の動きを表しながら、優しくシンクロしていく。
そして、ストーリーがクライマックスを迎えるチャプター9。長い間、言葉にできなかった胸のうちを、熱情にまかせて相手にぶつけるふたり。もどかしさが解き放たれる瞬間だ。ここで、秦基博による「Rain」が感情の高鳴りに拍車をかける。まるで、この映画のために用意された曲、もしくはこの曲のために作られた映画かと思えるほど、シーンに染み入っていく曲と歌詞。
さらに、この映画では、とある万葉集の和歌が物語の重要な役割を果たしている。以下引用は、新海監督の個人サイト「Other voices -遠い声-」からの抜粋である。
「(前略)万葉の時代、日本人は大陸から持ち込んだ漢字を自分たちの言葉である大和言葉の発音に次々に当てはめていった。たとえば「春」は「波流」などと書いたし、「菫(すみれ)」は「須美礼」と書いたりした。(中略)活き活きとした絵画性とも言えるような情景がその表記には宿っている。
そして、「恋」は「孤悲」と書いた。孤独に悲しい。七百年代の万葉人たち─遠い我々の祖先─が、恋という現象に何を見ていたかがよく分かる。(中略)
本作『言の葉の庭』の舞台は現代だが、描くのはそのような恋──愛に至る以前の、孤独に誰かを希求するしかない感情の物語だ。誰かとの愛も絆も約束もなく、その遙か手前で立ちすくんでいる個人を描きたい。」
ここでふと思う。大江千里が80年代に書いた歌詞の世界観、もどかしく切ない恋愛描写は、まさしくこの「孤悲」の世界だったのではないだろうか。「Rain」という曲がこの映画にぴったりとはまる理由はそこにあるような気がする。
また新海監督は、近年の大江千里の著書『ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス』の帯に、こうコメントを寄せている。
「思春期に世界の見方を与えてくれた大江千里は、今でも形を変え、世界の美しさを奏でる方法を僕に教えてくれる。」
そして私も、千里さんの曲に出会わせてくれた、鼈甲縁のメガネに心から感謝をするのだった。
カタリベ: せトウチミドリ