父が市議会選挙に落ちた代償はお金だけじゃなかった(ほんまさゆり)

「俺、市議会議員に立候補することになったから」

ひさしぶりにかかってきた父からの電話。その声はやけに明るく、あまりに突然で意味不明であった。それに対して返した言葉はこうだ。

「いいんじゃない。人生一度きりだしやりたいようにやったらいいんじゃない。協力できることはするよ。」

なんの根拠もなしに父のサポートをあっさりと引き受けていた自分がいた。わたし自身、人と違う生き方を何年も前からやっているからか、驚きはしたものの「ええやん父」くらいにしか思っていなかった。世の中をなめてる娘の67才になる父の挑戦だった。

ここだけみると「親子仲がいいんだな。これからあたたかい物語が始まるのかな」そう思うかもしれない。しかし、選挙戦というのはそんなにやさしいものではなかった。辛酸を嘗める物語が始まる。

母の悲痛なさけび

新潟から実家の千葉に帰ることができたのは選挙告示日(2019年4月14日)の1週間前だった。年度末の激務により自分のことだけでいっぱいいっぱいで、父の選挙の準備が大丈夫なのか全くわからない状況であった。

実家に行く前の電話での話はこうだった。

「チラシとかは選挙に長年関わってたベテランの人がすごくよくやってくれているから心配ないよ。それより選挙期間中のウグイス嬢が足りなくって、そっちを手伝って欲しい。」

そんな仲間がいるんだ。さすが超社交スキルのある父だ。立候補者にとって選挙戦を手伝ってくれる人たちの支えなしではとてもじゃないが選挙なんかできないだろう。それを手伝ってくれる仲間がいるのは、人徳に他ならない。

実家に帰ると、選挙に使う父の名前入りのポスター、パンフレット。それらを作る大きい作業机がバーンと置いてあり、父の写真がドアップで写っている広報物がそこかしこに置かれていた。「父親の経歴や顔写真を町中にこんなにたくさん配るのか」と思うとシュールすぎて込み上げてくる笑いがあった。こんなことってもう二度とないだろう。情熱を燃やす父。対照的に、母親は顔面蒼白であった。

「あんたよく帰ってきたね。もうお母さん疲れたよ。お父さんから必死のお願いがあって手伝いをしているけれど、お父さんが嫌われないようにゴミを捨てにいくにも誰かに会えば頭を下げて、会う人会う人すべての人に頭を下げてお願いしてる。選挙手伝ってくれてる人たちにも気を悪くしないように気を抜けないの。こんなことなら全力で反対すべきだったんだ。」

そう、選挙告示日の3ヶ月前に急に決まった選挙出馬。異例にもほどがあるし、母は一貫して「NO」を貫いていた。それでも父はやりたいと、半ば強引に出馬を決めていた。

地元愛から生まれた「俺がやらなきゃ」

家族の反対を押し切ってまで「市議会議員になろう」などと誰が思うだろうか。もし落選した時は、どれだけの人がどんな目を向けてくるだろう。蔑み?笑い?同情?そしてその後の生活はどうなるのだろうか?立候補しなければ平和は守られるというのに。

それでも父は仕事をやめた。定年を迎えた今も雇ってくれる貴重な職場を。なぜ、父はここまでの覚悟で臨めたのか。それにはもちろん理由がある。

それは、わたしの母校(小学校)に併設している、幼稚園の閉園がきっかけだった。父親はわたしの母校に並並ならぬ愛着があり、父とその地元愛の愉快な仲間たち(おじさんたち)とその小学校を支える活動をしており、地域活動に精を出していた。地域愛の鑑のようなおじさんだった。趣味が地域作りなのだ。

それなのにだ。併設している幼稚園に隣の地区への統合による「閉園」が政策として突如として上がった。「待機児童がいる」にも関わらずだ。当然町の人々は「閉園」に賛成するものなどいなかったため「3000票」もの反対署名が集まった。すごい数である。どう考えても閉園に対して「民意」はなかったのに、議会では「賛成可決」となりわたしの母校に併設されていた幼稚園はあっけなく歴史の幕を閉じた。政治の闇というのは本当に恐ろしい。

地元の市議会議員が平気な顔して「民意」を取り消すのが、わたしの故郷の現実となっていた。千葉県から離れていたわたしはその時初めて「政治」の当事者の自覚を持った。自分たちが「選挙で選んだ人」というのは「民意」を本当に尊重してくれるのか。それは選挙時の「綺麗事」だけでは当然に図ることなどできないのだ。「選挙」とは「絵空事の政策をのべる人」ではなく自分たちの声を真に届けてくれる人を、町のために本当にできることが何かを真剣に考えてくれる人を自分の目で慎重に選ぶべきなのだ。しかし今の選挙法では「真実」を見極めることは難しい点が相当にあるのも現実。

父とその仲間たちはそれがきっかけで「市議会議員に誰かが立候補しないとこの町は終わっていく」そう思った。そこに名乗りをあげたのが父だった。仲間たちは「あんたなら大丈夫だ!俺たちがサポートする!」と結束した。

選挙戦に準備するもの

選挙というと、街宣カーに乗ってウグイス嬢が名を連呼し、候補者の演説をしているイメージが大いにあるだろう。みなさんは選挙戦の前に何を準備すべきかご存知だろうか。

・供託金30万円 (選挙内容や地区によって金額が変わる。有効得票数により返還。)
・選挙事務所の設置(家賃、光熱費、通信費)
・広告(ポスター、パンフレット、選挙看板、写真撮影)
・街宣カーの手配(定められた腕章がないと街宣カーには乗れない)
・街頭演説、個人演説の許可届け
・webサイト、SNS運用
・選挙活動の人件費(ウグイス嬢、運転手)

上記が基本的な選挙の必要事項である。市議会議員の立候補であれば、極限まで安く抑えれば70万円ほどに抑えられるのではないかといった予算感を持った。もちろんのことお金は使えれば使えるほど、広報にお金をかけることができるので100万円は最低かけたほうが良いというのがわたしの見解だ。

中にはネット選挙だけでお金のかからない選挙戦をする方もいた。候補者それぞれに特有のやり方があり、わたしが今回みた選挙戦ではびっくりするほど「ネット」を使っていない候補者が多かった。

父の仲間たちはインターネットに疎いため、簡易なwebサイトの制作(ドメイン取得でWordPress)とSNS(Facebook、twitter)のアカウントを作った。告示日一週間を切っていたので、「ないよりはマシ」程度の位置付けで設置と運用を行った。注意すべきは「告示日前」というのは、「選挙運動」を行ってはならないこと。「政治活動」であればOK。例えるならば「〇〇に一票を入れてください」と選挙前に言ってはいけない。このライン引きというのは繊細で「公職選挙法違反」になってしまう可能性を孕むということもあり、非常に神経を尖らせた。

本来であれば、わたしの得意分野の「広報」をもっと早く手伝ってあげれたらとは思ったが、こうなってしまった手前、協力できることといえば、ウェブとSNSと選挙戦の手伝いだった。

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