海底に石柱群「伝説の沈んだ集落」との関連は? 高知の海岸、科学者ら〝黒田郡伝承〟を本格調査

爪白海底で確認した石柱。矢印の「N」は北を、下方に置かれた棒の長さは30センチ(海洋研究開発機構の谷川亘主任研究員提供©JAMSTEC)

 高知県には7世紀に起きた巨大地震にまつわる言い伝えがある。曰く、「白鳳地震」によって「黒田郡(くろだごおり)」という集落が海の底に沈んだ―。近年、この伝承の真偽を確かめようと、海洋研究開発機構などの研究グループが海底探査や遺物回収などの調査を進めている。いくつかの調査地点のうち、土佐清水市爪白の海底から回収した石柱の調査結果がこのほど発表された。はたして、伝承との関連は明らかになったのだろうか。(共同通信=松森好巨)

 そもそも「黒田郡」伝承とはなにか。グループによると、県内各地には、684年に発生した白鳳地震により黒田郡や「○○千軒」(○には地名、千軒は一般に集落を指す)が海に沈んだという伝承や記録が残されている。白鳳地震によって水没したため、内陸の現在地に移ったとの由来を持つ社寺も複数あるという。また、日本最古の正史「日本書紀」には白鳳地震に関して「土佐国田苑五十余万頃没為海」(「五十余万頃」は現在の約12平方キロとされる)との記述がある。ただ、黒田郡伝承との関連は不明だ。

 「日本書紀」の白鳳地震に関する記述部分。2行目下部から「土左国…」と続いている(国立国会図書館デジタルコレクションより)

 言い伝えの残る地域では、近年になっても「海底に井戸を見た」など人工物の存在をうかがわせる証言があがっていたが、どれも実証されることはなかった。黒田郡伝承は地域の人たちのロマンをかき立てる一方で、〝伝説〟の域を出るものではないという見方も根強かった。

 ただ、あり得そうもない〝トンデモ説〟と言い切れないようなデータも示されている。

「黒田郡」伝承が残る地域、海底に遺物の情報が確認されている地域、1946年に発生した昭和南海地震後に沈降した地域がいずれも重なっている。今回の調査地点となった土佐清水市爪白は足摺岬の西方に位置している(海洋研究開発機構の谷川亘主任研究員提供)

 グループによると、過去に南海地震が発生した際、高知県沿岸部は室戸岬と足摺岬が隆起する一方、多くの地域で沈降していた。規模の大きい地震では最大2・5メートル程度沈降した地域もあったと推定されている。そして、「南海地震で沈降した地域」「水没集落の伝承が残る地域」「海底遺構を示唆する地域」の位置関係には「強い相関」があるという。

 グループは2014年から、伝承が伝わる地域での海底地形調査や潜水調査を実施。地元から目撃証言が寄せられていた土佐清水市爪白では、海岸から50~200メートル、深さ5~8メートルの海底に28基の石柱を確認した。これらは長さ50センチ~1・5メートル、縦横20センチで、そのうち4基を回収。X線測定や成分分析を行った。

爪白海底で確認した石柱群(左)。右は爪白石柱群の分布および分析した試料の位置(海洋研究開発機構の谷川亘主任研究員提供)

 その結果、①道具で削られた跡が確認されたこと②爪白地区の神社の石段などと大きさや加工痕が類似していること③周辺の石造物や石切場痕の廃材と成分が類似―などの点から、海底の石柱は近隣の石切場から採掘・加工され、周辺の集落で使用されていた石段や基礎だったとみられることが判明した。

 では、なぜ海の底に沈んだのか。その理由についてグループは、「宝永地震」(1707年)または「安政地震」(1854年)の津波によって海まで流されたとみる。なかでも、14メートルの大津波が襲ったと記録されている宝永地震の後、同地区の集落は高台に移転しており、石柱はこの時期に海中にまで流された可能性が高いという。

 加えて、石柱に付着した珊瑚などの年代を測定すると約50年前以降に付着したものであることが分かった。このことから、津波で流され海底に埋もれていた石柱は、1960年以降に発生した台風による高波で覆っていた土砂が巻き上げられ、海底表層に出てきたとみられる。

爪白の石柱群と類似した形状を持つ海岸近くで確認した石造物。(a)爪白地区覚夢寺阿弥陀堂の石段(b)平ノ段地区の日吉神社の石段(c)爪白地区と(d)浜益野地区の民家の建屋基礎(海洋研究開発機構の谷川亘主任研究員提供©JAMSTEC)

 結局、今回調査した石柱と黒田郡伝承との関連は否定された結果となった。それでも、この石柱は「過去の地震・津波災害の規模を知る上で貴重な物的証拠」だと、海洋研究開発機構の谷川亘主任研究員(実験岩石力学)は意義付ける。今後はこの成果を基に、石柱がどれぐらいの規模の津波によって現在地に流れ着いたのか、シミュレーションしていくことを検討する。

 では、黒田郡伝承の検証の行方はどうなるのか。今回の一連の調査・研究は科学研究費補助金(科研費)の助成を受けて行われたが、18年度で終了。それでも、グループでは引き続き須崎市の野見湾など他地域で調査を実施する。科研費についても来年度以降、再度の獲得を目指すという。

 谷川さんは「地震で集落が沈んだという伝承は日本各地にありますが、科学的な研究対象になることはありませんでした。ただ、過去の地震を知る手掛かりは文献史料や地上の津波堆積物の他に、海底にも残っている可能性があります。黒田郡の〝証拠〟が見つかるかどうかは分かりませんが、調査を続けていきたい」と話している。

 今回の研究成果は海洋研究開発機構高知コア研究所のHPで確認できる。URLはhttps://www.jamstec.go.jp/kochi/j/news/20190710.html

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