『旧友再会』重松清著 背中にピストル、唇に苦虫

 中年が引き受けざるを得ない、逃げ場のない現実。それらを描いた短編集である。

 現実、それは、親の老いである。兄夫婦にまかせていた老母が、孫を亡き息子と間違えてすがりついて泣く、という事件を経て、「うちは受験生がいるから」と老母の世話を押し付けられた弟の物語『あの年の秋』。タクシーに乗り込んできたのは運転手の旧友で、彼もまた老いた両親との距離の取り方に困り果てており、大して親しくなかったはずの運転手もいろいろと思いを馳せる『旧友再会』。定年後の再就職先に、立ち食いそば屋を選んだ父親と、その理由を少しずつ知りゆく息子の心の雪解けを描く『ホームにて』。親が老いる頃と、子が自分の人生に落としどころを見つける頃が、皮肉にも一致しているから、人生ってニガい。

 読みながら、どうしても自分の親のことが頭にちらついてしまう。我が母は現在76歳、最近の趣味は、自力で自室のリフォームをすること。YouTubeでその方法を勉強し、畳をすべて上げて、フローリング的な床材を貼り付ける。それが彼女の「終活」なのだそうだ。「この家と共に朽ちていきたくない」という強い抗い。しかし、どう抗っても、彼女はいつか、自分の老いを受け入れなくてはならない。その日はいつ、どんなふうに訪れるのか。どんな絶望が彼女を襲うのか。私はどう振る舞えばいいのか。

 親と子は、勝手にメッセージを読み取り、勝手に傷つき、その傷を互いに照らし合うか、照らし合うことなく永遠に別れるかの二者択一を迫られる。背中にピストルをつきつけられるみたいに。後者を選べば、残るものは推測のみだ。

 本書の中で最もページを割かれている『どしゃぶり』は、かつて隆盛を極めていた商店街が舞台だ。「愛着のある何ものかの栄枯盛衰を見届ける」、これも中年が強いられる現実である。そしてもうひとつ。「時代の変化を受け入れる」。

 主人公は野球部出身である。息子も中学の野球部員であるが、当時とはまるで様変わりした。お仕置きまがいのうさぎ跳びや、グラウンド10周、先輩の脅しや怒鳴りは駆逐され、笑いにあふれたボケとツッコミ、思いやりのエールと掛け声、ちょっと当てただけでも「今のはヒットだと思いまーす!」と拍手が湧く「のびのび野球」とやらだ。

 何を「勝ち」とするか。人生において「勝つ」「負ける」って何だ。唯一の正しい答えなど、ない。それぞれが、それぞれの立場における「正しい」を持ち寄って、あまりの違いに途方に暮れる。それが「社会」だ。その虚しさ、ニガさ——。

 離婚のために離れ離れになる父と息子の小さな旅を描く『ある帰郷』も切ない。中年たちよ、それぞれの持ち場で、どうか、幸せに。

(講談社 1600円+税)=小川志津子

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