錚々たる面子!パレルモから羽ばたいたスター選手たち

かつて多くの若手有望株を育てビッククラブへ売る育成型のクラブとして成功を収めていたパレルモ。ここ2シーズン2部で戦ってきたクラブは、今シーズン管理上の不規則が生じたとしてセリエD(4部)への降格を余儀なくされてしまった。「かつてパレルモで活躍した選手たちが、今もなお残っていたらどうなっていたか」英サッカーメディア『squawka』が伝えている。

GKサルヴァトーレ・シリグ

パレルモのユースを経てクラブのNo.1ショットストッパーとして地位を確立したのがシリグだ。期限付き移籍で他クラブへ移っていたため、クラブで活躍したのは2年間と短かったがその活躍が認められ2011年にPSGへと移籍した。現在はイタリア・トリノに所属している。

DFアンドレア・バルザーリ

バルザーリがフットボーラーとしての地位を確立するまでには時間がかかったが、彼の才能を花開かせたのがパレルモだった。ロサネーロのユニフォームを着てプレーしていた2004年にイタリア代表デビューを飾り、クラブの3年連続トップハーフフィニッシュにも多いに貢献した。

DFカミル・グリク

かつてレアル・マドリ―のCチームでプレーしていたポーランドの屈強DFがパレルモのスカウトに目を付けられたのは、母国ピアスト・グリヴィツェでプレーしていた頃。

シチリアでは際立った印象を放つことは出来ずバーリへとローンで出されたが、その後トリノでセリエAを代表するDFとなった。16-17シーズンのモナコではシーズンDF最多の6ゴールを記録し、モナコのタイトル獲得に貢献した。

DFシモン・ケア

彼がまだ10代の頃、他クラブが興味を示す前にいち早く契約にこぎつけたのがパレルモだった。2008年にデンマークのミッティランドからやってきたデンマーク人は、難しいとされていたバルザーリの代役を見事にこなし、欧州でも屈指のCBに成長した。パレルモを退団した後はそのバルザーリと同じくドイツ・ヴォルフスブルクへと移籍している。

DFマッテオ・ダルミアン

ミラン・プリマベーラの卒業生であるマッテオ・ダルミアンは2011年にパレルモに加入した。グリクと同じくプレーしたのはわずか1年であったが、その後トリノでブレイク。100試合以上に出場しセリエA屈指のSBに成長した。

MFハビエル・パストーレ

パレルモのスカウティングネットワークは特に南アメリカを中心とし、セリエAクラブとしての地位を確立していた。当時あまり知名度のなかったハビエル・パストーレは2009年にパレルモと契約。卓越したビジョンを持つ才能あるプレーメーカーはすぐにイタリアに馴染み、クラブのスター選手となった。PSGが買収された後、パストーレは最初のビッグマネーの契約として2年でクラブを去ったがその間に与えたインパクトは凄まじかった。

MFフランコ・バスケス

そのパストーレの代役としてやってきたのがフランコ・バスケスだ。再びアルゼンチンのクラブに目をつけたパレルモが契約したアタッカーは当初パストーレの穴を埋めるのに苦しんだが、14-15シーズンのクラブ昇格と共にその真価を証明。パウロ・ディバラとのコンビも見応えがあった。

MFヨシップ・イリチッチ

過小評価されている選手をスロベニアリーグで探していた頃、一人の選手がパレルモのスカウティングに引っかかった。ヨシップ・イリチッチだ。才能溢れるスロベニアのアタッカーは強烈な左足を備え、3シーズンの間クラブでプレーをした。その後フィオレンティーナへと移籍し、現在はアタランタに所属。昨シーズンはクラブ史上初のチャンピオンズリーグ出場権獲得に大きく貢献した。

FWパウロ・ディバラ

長くこのアルゼンチンの宝石に注目をしていたパレルモは、2012年にようやく契約にこぎつける。当時ディバラが所属していたアルゼンチンリーグ2部インスティテュートに払った移籍金は1000万ポンド。クラブの会長マウリシオ・ザンパリーニは『第2のアグエロ』としてディバラを迎えたが、彼もバスケス同様、期待の重さに苦しんでいた。13-14シーズンセリエBで自身のトップフォームを見つけた彼は、その後そのゴールゲッターとしての能力とインテリジェントなプレーを買われ、ユベントスへの移籍を果たした。

FWエディソン・カバーニ

南アメリカからやってきたもう一人のプレーヤーがエディソン・カバー二だ。彼がやってきてからの2シーズンリーグ戦計40試合でウルグアイのストライカーが決めたゴールは7つ。イタリアに馴染むのには時間がかかったが、翌年からの2シーズンでは合わせて27ゴールを記録した。その後移籍したナポリでは138試合で104ゴールを決め、クラブの再建に貢献している。

FWアンドレア・ベロッティ

2014年にクラブが昇格を果たした後、クラブは更なる攻撃の強化を計画しアルビノレフからアンドレア・ベロッティを迎えた。しかし当時素晴らしい関係を築いていたパウロ・ディバラとフランコ・バスケスの牙城は崩せず、所属2シーズンでトリノへと移籍した。すると彼の持っていたポテンシャルが爆発。ゴールを奪う術を覚えたイタリア人FWはセリエAで最も恐れられるストライカーとなった。

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