父はセンバツV主将、次男は今秋ドラフト候補 甲子園に愛された三兄弟の食卓

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1993年、上宮(大阪)でセンバツ優勝時の主将だった黒川洋行さん【写真:編集部】

長男は日南学園で春夏出場、次男は智辯和歌山で4季連続、三男も星稜1年で可能性あり

 どこの球場へ取材に行っても、必ずと言っていいほど出会う、一人の男性がいる。7月中旬にも関わらず、すでに肌は日焼けでボロボロ……。野球が好きというレベルをはるかに超えるこの人、実は甲子園とは切っても切り離せない縁がある。

 黒川洋行さん。43歳。1993年に上宮(大阪)がセンバツを制した時の主将だ。それだけではない。長男・大雅君は日南学園(宮崎)で春夏連続甲子園に出場。次男・史陽君は現在、智辯和歌山(和歌山)の主将を務め、これまでに4季連続で甲子園の土を踏んでいる。この秋のドラフト候補としても注目されている選手だ。さらには三男・怜遠君はこの春、星稜(石川)に入学した。息子3人が名門校の野球部員。まさに甲子園に愛された家族である。

 三兄弟が甲子園を目指してやってきたのは自然の流れだった。上宮を卒業後は同志社大―ミキハウス―セガサミーと社会人野球で活躍し、指導者の経験も持つ洋行さんは「(甲子園は)行って当たり前という風に育ててきました」と徹底した環境を作っていた。

「子供のころから家にはゲームなどは一切なく、バットやボールしかない。テレビは野球しかついていない。そうすると、もう自然と野球をやるってなるんです」

 学校から帰ってくるとまずは外でのキャッチボールから始まる。夕食を挟み、次は家の中で後半戦がスタート。やわらかいスポンジボールを打って走ってスライディングと4人が相まみえるという。それが黒川家の日常だった。

 驚いたのは黒川家の食卓だ。といっても、出てくるおかずの話ではない。毎晩の“メインディッシュ”はもちろん野球である。

「野球中継をみながら『次の配球なんや?』と聞いて、三人から答えを聞くんです。このボールの次はこう、2球先はこうやろ?わかるか?という感じになりますね」

 子供たちはその場でノートに書き留めていたそうだ。ここまで野球漬けの日々を送っていると、三兄弟が名門に進学できるのも納得がいく。

 ただ、洋行さんの英才教育は最初からうまくいったわけではなかった。

「長男の時に厳しくしすぎて、バッティングセンターにいったときに泣かしたりとか(笑)次男のある試合を見に行った時に『もう来んといてくれ』と言われたんです」

 史陽君が中学1年生の時に放たれ、胸に突き刺さった言葉。それが本心のような気がしたという洋行さんは、そこからはあまり教えすぎず、少し距離を置きながら見るようになった。自分ができるから「なんでできないねん」と言ってしまう自分が間違いだと気づかされた。

厳しい言葉を封印すると子供たちに変化が…一番の近道は褒めること

 すると子供たちに変化が表れた。

「ここどうしたらいいの?とか逆に質問が増えるようになりました。そこから、子供らが自分で考えて練習したり、練習量が増えたり、うまくなったなというのが目に見えるようになりました。親は支えてあげればいいのかなと思うようになりましたね」

 この頃、洋行さんは単身赴任だったため、なかなか息子たちの野球をみることができなかった。「帰ってきたときしか見られないので余計に言いすぎるし、そうすると“帰ってくんなや”って子供らもなっていたでしょうし、その辺で気づかせてもらいました」。

 自分が変われた。親子としても変わることができた出来事だった。

 そもそも、洋行さんがここまで子供たちに甲子園を経験してほしいと思うのには理由がある。

「(自分も)上宮に入学して甲子園に出ると“人生変わるぞ”って言われていたんです。実際に行くと、周りからの目の向けられ方も違いますし、色々な大学からお誘いがきたり……。甲子園に出てすべてが変わったという体験ができたので、せっかく野球をやるならそこを子供たちに体験させてあげたいなというのがずっとありましたね」

 これまで15試合も親として甲子園で観戦することができているが、息子たちが聖地で躍動する姿を見る以上に洋行さんが喜んでいるのは人としての成長だ。

「日南学園や智辯和歌山、星稜、そういうところで野球人である前に人として成長させていただいています。そこがありがたく、とても感謝しています」

「一番うまくなる近道は好きになること」

 最も変わったのは次男の史陽君だという。

「今までは喋っていても自分本位だったし、ワガママでした。最近はチームメイトのことや後輩の事を考えて生活しているなというのが見えてわかるので。ましてや本なんて読んだこともなかったのに1週間に1回、本を読んだり。全てが変わりました」

 親元を離れ、下宿生活を送っていることももちろんあるだろうが、主将という立場になったことも大きかった。取材をしていても、先輩の後ろにくっついていた去年までとは違い、今は後輩が史陽君の後ろにくっついている。読んでいる本も野村克也さんや落合博満さんのものからリーダー論や経営に関する本へと変わっていった。

 洋行さんは現在、奈良・王寺にあるバッティングセンター「ドームスタジアム」を経営。そこで野球教室もおこなっており、三兄弟だけでなく多くの子供たちを名門校に送り出している腕の持ち主だ。子どもが伸びる方法について尋ねると、

「偉そうなことを言うかもしれませんが、褒め続けることじゃないですか?すごいで!とか、声がよく出ていたで!とか良いところをみつけてあげる。あかんところ言っても、本人もわかっていますし、前に進めないと思うんで」

 いいところを見つけてほめてあげるというのが一番だという。また、甲子園を目指す子どもたち自身には、

「一番うまくなる近道は好きになることだと思いますし、好きになって自分からこういう選手になりたいって思って練習すれば必ずうまくなると思うのでそういう気持ちをもって前向きにやってもらえればいいかと思います」

 実際、黒川三兄弟は一度も野球が嫌だとかやめたいと口にしたことはない。野球が大好きなのだ。

 頭の95%を野球が占めていると笑う洋行さん。「あって当たり前、やって当たり前、生活の一部です」と43歳にしてまさに“野球小僧”という言葉がぴったりだ。息子たちのうち誰か一人でもプロ野球選手になってほしいと、3人とも右利きなのにも関わらず、長男は右投右打、次男は右投左打、三男を左投左打に育てるといった気合の入りようだ。

「甲子園も15試合、見せてもらったんで、欲は言えないですけど、プロ野球選手になってほしいなぁとは思いますね。あと怜遠が1回でも甲子園で打席に立ってくれたら1番嬉しいかなと思います。(智辯和歌山と星稜が甲子園で対戦したら?)球場の真ん中に座ります(笑)」

 まだまだ夢の途中……。息子たちへの期待を胸に、今日も球場に足を運ぶ。(市川いずみ / Izumi Ichikawa)