【夢酒場】手品自慢の福の神 今や謎のラッキーゴッド

 週1ペースで仕事の帰りに一人で通う居酒屋があった。とびきり何かがおいしいわけではないが、いつ行っても雑然とにぎわっていて一人飲みにちょうど良かった。

 ある夜、おでこをてからせた丸っこい60代後半くらいのおじさんと出会った。店員らが「シローさんまいど〜!」と迎える。常連らしい。

 「初めまして、ですかな」。“シローさん”が隣り合わせた私に言った。 

イラスト・伊野孝行

 あいまいにほほえみつつ一人の世界を守ろうと本を開いたが、シローさんの短い腕がにゅっと伸び、目の前にトランプの束が置かれた。

 「僕ね、マジックが得意なの」。店員らが顔を見合わせフッと笑ったのが見えた。 

 どうやら初対面の相手に行う恒例の儀式らしい。

 彼はトランプを私に一枚選ばせると、そのカードを言い当ててみせた。マジックだからタネがあると分かってはいるが、つい私は「当たりです」と驚きの声を上げた。気づけば次々披露される技に夢中になっていた。

 その翌週もシローさんに会った。今度は別のマジックを用意していた。「あなたのために練習してきた新作」らしい。手のひらからチーフが出て来た。「お…おお〜」。素直に感動した。

 そのまた次の週、シローさんは明らかに私を待ちわびていた。手品だけでなく、家庭菜園の野菜を持参していた。「貴方に食べてもらいたくて」。

 その次は、「貴方のために真心込めた」ぬか漬けをプレゼントされた。

 マジシャンと観客だけの関係が、だんだん距離感を詰めてくる彼に戸惑いを覚え始めた。

 その次の週、私は仕事仲間と一緒に店を訪れた。順調に進んでいた企画に暗雲が立ち込め気分は重かった。

 人だかりの中からひょっこり頭を出したシローさんは、私に満面の笑みを向けると、「待ってたの。これをあなたに渡したくて」と、「商売繁盛 シロー」と書かれた千社札型のストラップを差し出した。

 喜ぶべきところだろうが、私はイライラした。

「えっと…。私は大丈夫です。どうぞほかの人に」。

 シローさんは驚き、一瞬肩を落とすも、くじけることなく「新しいの、見る?」と手品道具を取り出した。ついに私はいら立ち、「まだ仕事中なんで」と断わった。 

 その夜、気づいた時にはもう彼の姿はなかった。

 後日、「最近、シローさん来ないんですよ、来てほしいんですけど」と店員が言う。

「シローさん、仙台四郎なんですよ。彼が来る店は繁盛するってジンクスがあって」。仙台四郎とは明治時代に商売繁盛の福の神と呼ばれた実在の人物だ。

 私は、彼に突っ返した千社札を思い出し、ハッとした。

 心の底から後悔し、つれなくしたことに胸が小さく痛んだ。

 

イラスト・伊野孝行

 それから2年後。隣町のバーで彼を見つけた時は、思わず声を上げそうになった。シローさんは言った。「お久しぶり、ですな。僕、今タロットが得意なの」

 芸が変わっていた。さらに、「千社札は、コストがかかるからやめた。今はみんな僕の写メを撮って帰るよ」。シローさんをスマホの待ち受けにすると良いことがあるというのが新たな定説。

 しかし彼のタロットは独特だった。「強運な人生ですよ」「モテ期到来」「近々待ち人来る」などなど。死神のカードを引いた人にさえも幸先の良いことばかり言う。それがウケて、以前にも増して大人気。行列ができる謎のラッキーゴッドとなっていた。

 (エッセイスト・さくらいよしえ)

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