登板せず“終戦”迎えた佐々木朗希 アマで復活した元プロ、須田幸太

岩手大会決勝で花巻東に敗れ、グラウンドに一礼する大船渡の佐々木朗希投手(左から2人目)ら=25日、盛岡市の岩手県営野球場

 令和元年7月25日は野球界にとってエポックメーキングな一日となった。おそらく後年になって「あの日から」と語られるような一日となるはずだ。

 時系列で言えば、まず高校野球。全国高校野球選手権大会の岩手県決勝では「令和の怪物」として注目を浴びてきた大船渡の佐々木朗希投手が登板することなく“終戦”を迎えた。

 この春、163キロの快速球を記録した剛腕、あの大谷翔平(現大リーグ・エンゼルス)の高校時代をしのぐスケールで、高校ナンバーワン投手の評価だけでなく、秋に行われるプロ野球ドラフトの超目玉として注目される存在だ。

 準決勝(一関工、129球完封)に次ぐ連投とはいえ、甲子園出場まであと1勝。これまでの常識で考えれば、当然のようにマウンドに向かうと思われた。しかし、国保陽平監督の判断は故障防止を理由に「ノー」だった。

 佐々木の県大会4試合の投球数は29回を投げて435球。とりたてて多い数字ではない。

 2、3回戦では出番も減らして、休養も与えている。だが、4回戦の盛岡四戦は延長12回の熱戦で194球の完投勝利、奪三振は21を数えた。

 そして中2日で準決勝完投。一説には、この試合前に右肘に違和感を訴えていたという情報もある。

 目の前の甲子園を取るか、それとも球児の健康面に配慮して将来性を考慮するか。国保監督の決断は当然のように賛否両論の論議を呼んだ。

 高校球児の球数制限問題が、近年クローズアップされるようになった。

 かつての高校野球といえば連投に次ぐ連投が当たり前。そこから伝説の名試合が生まれ、数々のヒーローが誕生してきたのも事実だ。

 一方でこの時期の投げ過ぎが原因で肩、肘を壊して選手生命を奪われた選手も少なくない。

 時代が変わり、青少年の野球人口は減少傾向にある。気象面では猛暑が当たり前になり、炎天下の連戦に問題が出てきた。

 専門家による健康チェックも進んでいる。まさに変革の時。国保監督は筑波大卒業後に米独立リーグに挑戦している。

 米国の少年野球では球数制限や休養は当たり前。高校野球の指導者になってからも、佐々木の骨密度を調べ、このまま160キロ近い速球を投げ続ければ故障は避けられないと警鐘を鳴らしている。そんな指揮官だからこそ下せた「英断」だったのだろう。

 高校球児が一生に一度の夢を監督の理念だけで潰すのかという意見は確かにある。

 だが、仮に佐々木が決勝も投げて勝ち、チームが甲子園に駒を進めたケースも考えてみる。

 昨年、秋田・金足農旋風を巻き起こした吉田輝星投手の場合、県予選と甲子園大会を合わせるとわずか2カ月足らずで1500球近くを投げている。

 故障のリスクを減らすには球数制限も当然議論されるべきだが、同時に大会の開催期間にも従来にない考え方が求められる。

 予選もゆとりのある日程を組む。甲子園でも今以上に連戦を避ける工夫をする。

 20年、30年に一人の逸材と言われる佐々木だからこそ、今回の将来の問題は大きな話題を呼んだ。

 願わくばこれを機に「佐々木ルール」が誕生すれば、野球界にとって新たな一歩となるはずだ。

 “佐々木ショック”がまだ冷めやらぬ夜には新たな快挙が生まれた。

 都市対抗野球の決勝でJFE東日本(千葉市)がトヨタ自動車(豊田市)を破って初優勝。最優秀選手にあたる橋戸賞には元プロ野球選手だった須田幸太投手が輝いた。

 東京ドームを揺るがすほどの「須田コール」で7回のピンチに登場した守護神は、後続を料理して、この大会5試合に登板し4勝をマーク。32歳のベテランがナインの手で宙に舞った。元プロが橋戸賞に輝くのは初の快挙である。

 早大のエースからJFE東日本を経てプロ野球のDeNA入り。通算17勝を記録したが、昨年限りで戦力外通告を受けて9年ぶりの古巣復帰を決断した。

 大学同期の細山田武史捕手(元DeNA、ソフトバンク)も元プロ選手。こちらもトヨタに戻って決勝で相まみえた。

 彼らにはプロでやってきた自負もある反面、「出戻り」の負い目もある。だからこそ「結果を出さなければ」の思いは人一倍強い。

 近年、社会人野球に元プロ選手が出戻るケースは少なくない。社会人側からすれば未知の新戦力を育成するよりも、ある程度戦力として計算できる元プロの存在は大きい。

 プロ側に目を転じるとアマとの垣根が低くなった今、第二の人生としてやりがいもあるだろう。

 一方で実力者が突如チームに加わればはじき出される選手もいる。社会人野球もまた、大きな変革期に差し掛かっている。

 将来の野球界を間違いなく背負って立つであろう高校野球の逸材が、1球も投げずに涙した日に、プロで戦力外のレッテルを貼られた32歳は社会人野球の英雄として戻ってきた。やはり忘れ得ぬ「記念日」である。

荒川 和夫(あらかわ・かずお)プロフィル

スポーツニッポン新聞社入社以来、巨人、西武、ロッテ、横浜大洋(現DeNA)などの担当を歴任。編集局長、執行役員などを経て、現在はスポーツジャーナリストとして活躍中。

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