2連覇への思いは届かなかった。6月末に行われた陸上日本選手権の男子5000メートルで、前回覇者の服部弾馬(トーエネック)は2年前の優勝者、松枝博輝(富士通)に敗れ、13分44秒40の3位に終わった。
「悔しさはかなりあった。それ以上に今回は完敗だったという気がした」と実力差を感じるレースとなった。
それでも約1年後の東京五輪に向けては「かなり視野に入ってきた。確実に出場したいなと思うところまで来ている」と、手応えを感じているようだった。
レース序盤は茂木圭次郎(旭化成)が抜け出し、服部は後続集団で様子をうかがった。
3200メートル過ぎで田中秀幸(トヨタ自動車)や松枝が茂木を吸収し、先頭が交代。残り3周で前マラソン日本記録保持者の設楽悠太(ホンダ)が早めのスパートを仕掛けて一気に抜け出すと、急激なスピードの変化に松枝は対応できたが、服部はついていけず、最後の1周で追い上げたが3秒ほど及ばなかった。
敗因として、意図する練習を積めなかったことを挙げる。
「松枝さんよりいい練習を積めなかったのは一つの理由だと思う。もともとそこまで13分20秒を狙ったりした練習はまだできていないので、そういう面で松枝さんよりも1個上の練習はできなかった」
400メートルを5本走る練習で、1周を64秒の設定タイムで行っていた。
それを、少し負担を増やしてでも、1周を62秒でこなせていれば、余裕をもった走りが可能だったことを悔やむ。
「3カ月くらい前から継続できていれば良かった」。結果的に、勝負所でついて行けなかった。
新潟県出身の服部は1歳上でトヨタ自動車に所属している兄勇馬の影響で陸上を始めた。
本格的に始めたのは中学校からで、宮城・仙台育英高から愛知・豊川高に転校し、全国高校駅伝では1区2位で同校の初出場優勝の原動力となった。
「大学は実業団に行くか迷っていたが、1年目で結構いいタイムで走っていた兄の影響も大きかった」と、兄が所属していた東洋大に進学した。
大学時代は、1年生で出場した東京箱根間往復大学駅伝で7区を走り区間1位で総合優勝に貢献。3年生の全日本大学駅伝では兄からたすきを受け、2区で区間賞を獲得して優勝へ導いた。
ロードだけでなく、日本学生陸上の5000メートルでも外国人留学生に競り勝ち制覇するなど、トラックでも強さを見せた。
大学卒業後に進んだトーエネックは強豪ではないが、松浦忠明監督の考え方や高地トレーニングの頻度、メニューの立て方などに魅力を感じたという。
今はトラック種目をメインにしており、東京五輪は5000メートルでの出場を目指す。
「自分の良さを生かせて、いろんなところで結果が出たのは短い距離だった」と話す。
東京五輪の出場資格獲得は従来の参加標準記録に加え、記録と順位に大会の格も加味して得点化した世界ランキングにより決まる。
5000メートルの標準記録は13分13秒50と高く「参加標準記録を切るのはなかなかハードルが高い。それだったらランキング制度でうまくいけるんじゃないかなと思う」と分析する。
「東京五輪は生きている中でもうないと思う。そこには絶対出たいし、チャンスがあれば逃したくない」と、服部は憧れのひのき舞台に思いをはせた。
神内 隆年(じんない・たかとし)プロフィル
2015年共同通信入社。16年から名古屋支社運動部で名古屋グランパス、相撲などを取材し、現在は中日ドラゴンズを担当。京都・山城高では陸上とサッカー、早大では競走部に所属。京都市出身。