井原東洋一さん死去 83歳 県被爆者手帳友の会会長

井原東洋一さん

 長崎の被爆者5団体の一つ、県被爆者手帳友の会会長で元長崎市議の井原東洋一(いはら・とよかず)氏が30日午前4時24分、腎盂(じんう)がんのため長崎市茂里町の日赤長崎原爆病院で死去した。83歳。長崎市出身。通夜は31日午後7時、告別式は1日午後2時から長崎市大橋町14の16、大橋メモリードホールで。喪主は長男和洋(かずひろ)さん。
 9歳の時、爆心地から6.5キロの旧西彼矢上村薩摩城(現長崎市田中町)で被爆した。1987年から2015年まで長崎市議を7期務めた。県被爆者手帳友の会の活動に長年携わり、06年に2代目会長に就任、反核平和を訴え続けた。
 16年には長崎市の平和祈念式典で被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げ、「『核も戦争もない平和な地球を子供たちへ!』という歴史的使命の達成に向かって、決してあきらめず前進する」と述べた。
 6月に腎盂がんが見つかり、入院していた。後任の会長は友の会が今後検討する。

 ■「行動力あった」 惜しむ声

 井原東洋一さんの死去を受け、活動を共にしてきた被爆者からは「行動力があった」と惜しむ声が上がった。
 井原さんは被爆者支援に尽力し、国内外での講演などを通じて核兵器廃絶と反原発を訴えた。戦時中に連合軍の捕虜を収容していた長崎市香焼町の福岡俘虜(ふりょ)収容所第2分所跡地の追悼碑建立でも大きな役割を担った。
 長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)の田中重光会長(78)は「活動が幅広く、非常に真面目だった。惜しい人を亡くした」と悼んだ。長崎原爆遺族会の本田魂会長(75)も「行動力があり、言うべきことははっきり言っていた」としのんだ。
 核兵器廃絶や平和を目指す被爆者運動のリーダーらが近年、相次ぎ亡くなっている。県平和運動センター被爆連の川野浩一議長(79)は「最後まで力を振り絞って戦いたい」と決意を口にした。
 長崎市の田上富久市長は「故人の遺志を継ぎ、核兵器廃絶と恒久平和の実現に向けて力を尽くしていきたい」とコメントした。

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