【MotoGPコラム】さらなる歴史を刻むマルク・マルケス。元チームメイトが明かす最大の強み

 イギリス在住のフリーライター、マット・オクスリーのMotoGPコラムをお届け。サマーブレイク前のMotoGP第9戦ドイツGPでは同グランプリで10連勝という記録を打ち立てた。そんなマルケスの強みとは何なのか。

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 マルク・マルケスは、サマーブレイク前の第9戦ドイツGPでさらなる歴史を刻んだ。特定のレーストラックで10回のポールポジションと優勝を達成したことは驚嘆すべきことだ。特にレースが予測不可能であることと、マルケスがシーズン中、決勝以外で頻繁に転倒を喫していたことを考えたら尚更だ。

 もちろん私たちはみな、なぜマルケスが反時計回りのコースでほぼ毎回優勝できるのかを知っている。マルケスは左コーナーを好む。なぜなら彼の人生でほとんどそうしてきたからだ。マルケスはダートのオーバルコースを走り回り、頭脳、右手首、臀部の3箇所と高速で回転するリヤタイヤを連結させているのだ。このテクニックこそ、マルケスがライバルのMotoGPライダーを目下のところ二流に見せている理由のひとつだ。

 その他の理由はフリー走行で明らかになった。マルケスは、短いが複雑なザクセンリンクで、ホンダRC213Vを走らせるなか、史上初の66度の傾斜角度記録を達成したのだ。

 マルケスは複数のクラスにわたって同じコースで10連勝を達成したが、これは史上最多記録ではない。そうであればよかったのだが。

マルケスは、ドイツGPで2010年の125ccクラスから10年連続ポール・トゥ・ウインという記録を樹立した。

 70回と半シーズンにおよぶグランプリレースにおいて、マルケスの記録を上回っている唯一のライダーはジャコモ・アゴスチーニだ。アゴスチーニは1966年から1973年にかけて、フィンランドのイマトラで500ccクラスと350ccクラスで、13連勝を上げている。

 また、マルケスのザクセンリンクでの勝利は、彼にとって最高峰クラスにおける49勝目だった。この勝利記録を上回る最高峰クラスのライダーは3人しかいない。54勝したマイケル・ドゥーハン、68勝したジャコモ・アゴスチーニ、89勝したバレンティーノ・ロッシだ。合計勝利数は75勝となり、史上4番目の成功を収めたバイクレーサーであるマイク・ヘイルウッドの記録まであと1勝に迫った。

■元チームメイトが語るマルケス最大の強み

 マルケスのドイツGPでの勝利は、第2戦アルゼンチンGPで9.8秒差をつけての優勝に次ぐ2番目の大勝だった。

 ザクセンリンクとテルマス・デ・リオ・オンドのレーストラックで、マルケスがライバルに大差をつけたのは偶然ではない。両コースともグリップが低く、コースを最も速く走る方法は、コーナーを通過する際にバイクをオーバーステアにするためにリヤタイヤをスピンさせることだ。誰もマルケスのようにこのようなことはできない。

 マルケスがザクセンリンクで敗北したのは2009年7月19日のドイツGP125ccクラスで、当時の勝者はフリアン・シモンだった。そのレースはスペイン人ライダーばかりだった。セルジオ・ガテアがシモンを追尾し、一方で当時16歳のマルケスは、非常に重要な3番手争いをホアン・オリベとニコ・テロルと争っていた。

 最終コーナーに差し掛かる際、オリベとマルケスは衝突し、マルケスは最終コーナーを通過する際にハイサイドになり、オリベが表彰台に上がることになった。

マルク・マルケス(レプソル・ホンダ・チーム)

「そのことを覚えているよ。マルクはオリベとのクラッシュを避けようとリヤブレーキをかけていたようだった」とMotoEライダーのテロルは語った。テロルは2011年、マルケスがMoto2に昇格した年に125ccクラスで世界タイトルを獲得した。

「マルクが2008年に125ccクラスに来てすぐに、みんな彼のことを素晴らしいと言っていた。マシンフィーリングの掴み方や、特殊なライン取り、そして異なる気質を持っていることなどがね。2010年の125ccクラスを、僕は首位の彼に次いで2位となった。これは僕にとって特別な思い出だ。おそらく史上最高のライダーであるマルク・マルケスの次の順位だったのだからね」

 皮肉なことに、シモンは今ではマルケスの最大のライバルであるマーベリック・ビニャーレスのライダーコーチを務めている。しかし、シモンもまた2008年の若きマルケスの登場を覚えている。彼らはレッドブルKTMのチームメイトだったのだ。

「初めてマルクと会った時、彼は本当に若かったけれど、特別なライダーだということがすぐに分かった」と2009年に125ccクラスで世界タイトルを獲得したシモンは語った。

「ガレージでは、マルクはいつもメカニックやチームマネージャーの話を聞いていた。とりわけ、バイクのセッティングに関する彼のコメントはとても正確で鋭かった」

「2011年と2012年に僕たちはふたりともMoto2に参戦していた。そしてまたも彼の特別な面を見ることになった。コーナー進入の際に、彼はフロントタイヤをコントロールするためにしっかりと感触を捉えていた。彼はフロントタイヤに関してはたくさんミスをしていたけれど、今のMotoGPでのようには転倒していなかったよ」

「特に記憶にあるのは、2012年にフレームを硬くするためにカーボンファイバーで強化したスッターのシャシーに彼が乗っていたことだ。それは厄介なバイクで、マルケスしか乗ることができなかった。彼はそのバイクでクラッシュしたが、僕よりもクラッシュの回数は少なかった。彼はフロントをさらにコントロールしていたからね。フロントタイヤのコントロールが彼の最大の強みだ」

表彰台で雄たけびを上げるマルク・マルケス(レプソル・ホンダ・チーム)

 多くの人々が、マルケスがすでに2019年のMotoGPチャンピオンだと主張しているが、彼らはドゥーハンのことを忘れている。ドゥーハンは1992年のシーズン半ば、選手権の500ccクラスで52ポイント差をつけて首位にいたが、タイトルを獲得できなかったのだ。

 もちろんマルケスが王冠を失うことはあり得る。シーズン後半にはさらなる挑戦が待ち受けていると予想されているからだ。

 ドゥカティのデスモセディチGPはブルノ、レッドブルリンク、シルバーストン、ミサノ、アラゴン、もてぎでは調子が出るし、ビニャーレスとファビオ・クアルタラロは、ヤマハでもっとスピードを出す新たな方法を見出しているところだ。

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