「ゴールデンランド」の航海 贅沢この上ないエーヤワディ河クルーズに乗って Golden Land Voyage: Cruising the Ayeyarwady 民政移管が始まった2014年ごろから、この国は外国人への門戸を広げた。特に外国のラグジュアリーなクルーズ船が相次いで就航を発表した。

民政移管が始まった2014年ごろから、この国は外国人への門戸を広げた。特に外国のラグジュアリーなクルーズ船が相次いで就航を発表した。

「ゴールデンランド」の航海 贅沢この上ないエーヤワディ河クルーズに乗って Golden Land Voyage: Cruising the Ayeyarwady

Golden Land Voyage: Cruising the Ayeyarwady

民政移管が始まった2014年ごろから、この国は外国人への門戸を広げた。特に外国のラグジュアリーなクルーズ船が相次いで就航を発表した。中でもバガン~マンダレー間の「ヘリテイジライン」は大きな話題を呼んだ。そこで、今回はこの国では飛びぬけて豪華な船旅を紹介しよう。

ホテル建設に規制があったバガン その代役として高級船上ホテルを

このクルーズの就航当時、バガン域内の保護政策に絡んで、この国最大の観光地にホテル認可が下りないという現実が存在した。今年6月にようやく世界遺産登録が実現し、一躍国際的な観光地として知られるようになったバガンだが、以前は外資系ホテルの多くがバガンにホテルを建てることができなかったという。
そうした現状ガあったため、バガンではしばらくそれが難しいとの判断で、マンダレーからバガンまでのリバークルーズ船を高級ホテルの代わりにしていこうという流れが出てきた。
もともと、ベトナムやラオスなどメコン地域で欧米人向けのクルーズが盛んだったので、そうしたクルーズ会社がミャンマーへ容易に進出できたといわれる。その中のひとつ「ヘリテージライン」は、その名の通り、老舗のクルーズ会社である。
Ayeyarwady河で最大のキャビンスペースを持つ「Anawrahta」(アノヤータ)号は、現在、ミャンマーでは最高級の船上体験を味わえるという。この船名は1044年から1077年まで、ビルマ王朝の統治者として君臨したAnawrahta王にちなんで命名された。
王はバガンをビルマの首都にし、そこに数多くの建造物、寺院および仏塔を建設し、それを「千の寺院の都市」と表現した。彼はまた、国を統一し、「長老たちの教え」に沿った最古の伝統的な形式である「セラバダ仏教」を布教させた。
「エヤワデイー河クルーズ」は、このアノヤータ王の仏教信仰の純粋さをベースに、かっての宗主国の大英帝国の豊かさを融合させたクルーズだという。
その面影を演出するため、船はコロ二アルスタイルの様式を取り入れ、3つの広々としたデッキとエレガントで豪華な23のキャビンを備えている。

豪華船による船旅が最高の贅沢に ビルマと英国文化を融合させた造り

ミャンマーの贅沢なクルーズといえば、今や「ヘリテージライン」のアノヤータクルーズ号にによるエヤワディー河の川下りである。最大収容人員で46名で、マンダレー~バガン間180マイル(290 km)を結ぶ旅は、俗に「ゴールデンランドの航海」とも呼ばれている。
ミャンマーを旅する交通手段としては、航空機、自動車、電車、バイク、自転車、三輪車、カヌー、モーターボート、カヤック、そして熱気球などがあるが、豪華クルーズ客船での旅は、一味違った非常に優雅で趣のある体験ができる。
何しろ船は植民地時代のロマンス小説に出てきそうな雰囲気である。洗練された木製の柱は、各キャビンに1つずつ並ぶ白いビクトリア朝の柱廊と対照的だ。3階にある「Kipling’s Bar」と呼ばれる屋内と屋外ラウンジでは、カクテルやフレッシュジュースを毎日提供している。最上階のサンデッキにはプールも常設されている。
客室には、アメニティのすべてが揃っている。シャワー、贅沢なルビーレッドのビクトリア朝のデイベッド、フルーツバスケットのキウイなどがゲストを迎えてくれる。無料のポストカードやベッド脇の昔ながらの古風な電話器など、細部にわたってレトロな雰囲気を演出している。船が港を離れて河から内陸を見るという貴重な体験もできる。ミャンマーという国がいかに変貌を遂げようとしても、田園地帯は昔のままだということがよくわかる。上流に差し掛かった頃、青と緑に浸された水田を徘徊する水牛の群れに出くわしたりして、その感慨を一層強くする。

寄港する町では専門の現地ガイドを頼む ミャンマー旅行業界では歓迎のクルーズ

このクルーズは沿岸の街にも立ち寄るが、外国人ならば、現地に精通したガイドを頼むべきだろう。彼らは観光客が決して訪れないであろう場所へ導いてくれるからだ。
たとえば「サライ」という村では、精神障害に陥いり、要塞のような家を建設したを19世紀のクロニー「U Po Gyi」の話を聞いた。また、マンダレーから約88キロ北上した「Pakokku」の「thanakha」という街の市場で、ミャンマーで最高品質の美容クリームを発見した。そのすぐ北には、1826年に初の「アングロビルマ平和条約」が締結された小さな町「ヤンダーボー」がある。こうした町はガイドブックにも載っておらず、関心がある方はローカルのガイドに聞くべきだろう。
壮麗な船と親切で洗練されたスタッフたちのおかげで、快適な船旅ができた。しかしミャンマーのようなまだ発展途上国で、こうした“退廃的”ともいえる旅行はどう思われているか、夕食時に旅行代理店の女性に尋ねた。デイナーではステーキと上質なワインを飲みながら歓談するが、欧米では当たり前のことでも、この国の人間たちにはそれがどう映っているのか。果たして贅沢な旅行はミャンマーにとって良いことななのかどうか自問した。
「ミャンマーにもこうした贅沢な旅行がなければ、私たちのビジネスは成り立ちません。」と彼女は言った。確かにそのとおりで、ミャンマーへの旅行者のほとんどはこの国での低コストの旅行に惹かれているが、旅行ビジネスとしては贅沢ツアーの広がりを期待している。
ちなみにこのクルーズは、4泊で5000ドル前後の料金になるという。そのような旅ができる人は限られるが、ミャンマーの観光インフラにとってはプラスになるだろう。
この旅行はヘリテージラインによって提供されました。詳細については、彼らのウェブサイトをご覧ください。

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