コーリン・ジャパニーズ・トレーディング 創業者・社長 川野作織

人生とは縁の巡り合わせ 「自由」の意味を考える

「人生は一難去って、また一難」。そう言って静かにほほ笑む、「コーリン・ジャパニーズ・トレーディング」創業者の川野作織さんは、1978年に来米した。日本の伝統文化が好きで、子供の頃から華道、茶道、着物の着付けなどを習い、いつか海外に教えに出たいと思っていた。

来米当初はウエートレスとして働いていたが、ふと和食器の行商を思い付き、2000ドルで5ケースの有田焼を日本から取り寄せた。文字通り、商品を背負って回る日々から始まり、1988年ごろにようやく事業が軌道に乗った。娘も生まれ、公私ともに「幸せの絶頂期」だったと川野さんは振り返る。

暗雲が立ち込めたのは1990年7月。湾岸戦争が始まるという噂が流れた。「今のうちに事業を縮小しよう」と決意し、オフィスを解約。そしていざ戦争が始まると、予測通り、不景気から売り上げはガクッと落ちた。人件費を含む諸経費を削り、顧客には自ら手紙をしたためて不便を詫び、心のつながりを深めた。とにかく赤字が出ないよう、必死に考えを巡らせた。

それでも立ち行かなくなった川野さんが最後に目を留めたのは、改装工事が完成したばかりの自宅アパート。娘と共にこの新居で暮らすのが、長年の夢だった。

「成功の証でもありました。維持費が掛かるし、他に削れる経費はないと知っていましたが、どうしても手放したくなくて。でも、他人に貸し、3分の1のサイズのアパートに引っ越そうと思い切った時、心から安心したんです」

一度手に入れたものを失いたくないという執着心が、全ての苦しみの元だと悟った。それからは、人も物も、時が来たら去っていき、また違う縁で「帰ってくる」のだと考えるようになった。

「ゼロから始めて、人に助けられながら学んだ。だからもう一度振り出しに戻っても、以前よりも短い期間で、今の場所まで戻ってこれるはずです」

戦後、事業も再び軌道に乗り、2005年には日本食文化を普及するNPO法人「五絆(ごはん)ソサエティー」を設立。自分の情熱に素直に、一心不乱に仕事に打ち込み続けてきた。そして、創業から35年近く経った2016年、社員の自立を望む思いと、「やれるときにやりたいことをやる」という決意から、1カ月の北極圏一周旅行を敢行。初めての長期休暇だった。自分の不在に社員たちは心細そうだったが、トラブルはなし。会社の成長を感じてうれしかったという。自信がついた社員らに見送られ、今年は3カ月、南半球の船旅で、ゆっくり世界を見て回った。

「生涯現役だけど、ペースをゆっくりにしようかと思います。60を過ぎたら、自由に生きた方がいい。自信を持って生きられることが、本当に大切なことだと思います」

川野作織(かわの・さおり) 東京都生まれ。中学校教員を経て1978年に来米。 82年「コーリン・ジャパニーズ・トレーディング」設立。 2005年に非営利法人「五絆(ゴハン)ソサエティー」設立。 07年に国連で「LeadershipAward」を受賞。 17年に外務大臣表彰を受けた。korin.com

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